グローバル「金融化」の時代の金融バブルをめぐるBIS viewとFed view(一部抜粋)

 

柴田徳太郎編著『世界経済危機とその後の世界』(2016年、日本経済評論社)で私(岩田田)は1つの章「グローバル「金融化」の時代の金融バブルをめぐるBIS viewとFed view」を書いた。その一部で「金融化」について書いた部分を抜粋する。

なお、この本には書評がある。その中に私の書いた部分への批判がある。書評はこちら。

掛下 達郎氏(『季刊経済理論』54(2))、楊枝 嗣朗氏(佐賀大学経済論集』49(4)

1.1 「金融化」の時代       

1.1.1「金融化」とは

「金融化」とは形式的に簡潔に言えば、経済活動が金融資産によって媒介される度合いが大きくなることである。現実の経済活動を金融資産の動きから理解し、金融資産の構成変更が経済活動の重要な部分と認識されるようになる。

マルクス経済学における金融資本の古典的な概念では《産業資本と銀行資本との融合》とされるが、その場合でも産業資本の側から見れば、資本の運動に対する支配権が株式など証券を介した間接的な形になる。たとえば宇野弘蔵の整理でも、金融資本化の傾向とは、形式的には、「資本家的再生産過程を基礎としながらもある程度それと遊離した形でこれを支配する」(宇野(1971191)、「証券を基礎とする資本、形式的に言えば証券業資本主義」(宇野(196310)と説明される。もちろんそれだけでは空虚な抽象であり、産業と銀行との関係が基礎をなすドイツを典型とするタイプ、海外投資を基礎とするのはイギリスを典型とするタイプ、となる(1011)。つまり形式を成立させる実物的根拠として、固定資本の巨大化した重化学工業投資あるいは後発諸国での開発投資などが存在する。

その後、金融資本概念はドイツ型に絞り混まれてきた。しかしこの絞込み、さらにいえば宇野の方法自体にはいくつか問題が残る。

ひとつの問題は、イギリス型の金融資本が後景化したことだ。実物経済から遊離して自己運動する金融資産の運動の理解を妨げることになった。

 もうひとつの問題は、宇野の「金融」は「遊休貨幣資本の融通」という概念に強く規定されており、本稿で重視するような信用創造や金融資産における債権債務関係の拡大という金融経済の特徴が十分に捉えられていないことである[1]

1.1.2貨幣と金融資産

金融資産とは、借り手となる経済主体に対する将来の貨幣的な請求権であり、債務と対をなして形成され、存在する。金融資産の中で、通常の決済システムにおいて債務を弁済しうる債権は信用貨幣となる。通常の決済システムとは預金振替システムや銀行券の社会的認知である。預金通貨が貨幣となり得るのは、それを発行する銀行資本への信認と預金を含む決済システムの整備を基本的条件とし、さらに中央銀行や政府関連機関による制度的保証を補完的条件とする。現代の貨幣のほとんどは銀行預金の形をとる信用貨幣である。

信用貨幣も金融資産の一部であり、信用貨幣は必ず金融債務と対をなして形成されて存在する。こうした信用貨幣の創出が信用創造と呼ばれる。信用貨幣の基礎は金融債務の履行、つまり借り手による返済、さらに言い換えれば将来の貨幣還流にあり、「準備金」にあるのではない[2]。「準備金」も上位の銀行に対する債権としての金融資産であり、上位の銀行が与信によって創造する信用貨幣である。

1.1.3信用貨幣の生成・流通・消滅

 かつては金属貨幣のようにその現物自体に商品価値をもつ物品貨幣も存在したが、現代では(実際には過去においても多くの場合は)貨幣といえば信用貨幣である。この信用貨幣は銀行が与信を行い、借り手に対する債権を獲得すると同時に銀行の債務として形成される。こうして創出された信用貨幣は通常の決済システムを通じて流通する。借り手が自己の経済活動の結果として入手した信用貨幣を用いて借入を返済すると、貸出債権とともにその信用貨幣は消滅する。信用貨幣の生成・流通・消滅は多数が重なり合い、信用貨幣の残高がいつでも何らかの規模で存在する[3]

1.1.4貨幣と「流動性」

 貨幣経済において、貨幣は商品を買えるが、商品は他の商品を買うことはできない。つまり信用貨幣は貨幣以外の金融資産を購入できるが、貨幣以外の金融資産はいったん売却されて貨幣に転換された後でなければ他の貨幣以外の金融資産を購入することはできない[4]

 しかし金融経済が発展して、貨幣以外の金融資産が容易に換金できるようになると、「流動性」という概念が現れる。「流動性」とは本来、証券が損失を被ることなく容易に貨幣に転換できる程度を示す言葉であるが、貨幣(信用貨幣)そのものを指す場合もある。これらの異なる定義が両立して用いられるのは2つの理由が考えられる。一つは「ある資産を即座にまた損失なしに他の資産へ転換しうる可能性の度合い[5]」というように貨幣の特殊性を無視して商品同士の物々交換経済を想定している場合で、もう一つは貨幣を銀行券や補助貨幣といった手に触れる物的な存在に絞り込み「ある資産について損失を被ることなくただちに現金に換えられる可能性の度合い[6]」として、銀行預金は銀行券に転換できるという意味で流動性があると理解している場合である。前者は貨幣経済の特性を無視し、後者は民間銀行も創出する預金も貨幣として流通していることを無視しているところに問題がある。

最近、「流動性」の意味について、国際決済銀行(Bank for International Settlement: BIS)などで議論があり、本稿とも関連があるので触れておく。BISグローバル金融システム委員会は流動性について一般的な要素として「ファイナンスの容易さ[7]」とした(CGFS2011p.4)。BISのエコノミスト・ボリオ(C.Borio)はもう少し正確な定義として「流動性」を「適正と評価される価格(perceptions of value)で購買力に転換できる容易さ」としている(Borio2013bp.264)。続けて「この評価は、将来の所得やキャッシュフローに基づくときと同じように明らかに不確実な場合もあるし、また金融資産ないしは実物資産の価値として具体的に現れている場合のように誤って確実と判断されることもある」と補足している。流動性の評価には「損失を被ることなく」が必要になるが、その評価に含まれる曖昧さや主観性に注意していることがこの説明の特徴である。

こうした議論を踏まえ、貨幣と商品との区別を崩さないとすれば、「流動性」は非貨幣金融資産が将来の収益予測や過去の経験に基づいて適正と思われる金額で貨幣に転換しうる程度、という説明を維持することが適切だろう。そうすれば、たとえば「中銀による流動性供給」という場合には、「中銀が貨幣を供給した」というよりも、「中銀が担保貸付(あるいは買取)のコミットメントを通じて、民間銀行の保有証券に対して貨幣に転換できる能力を与えた」と考える方が適切と思われる。

流動性の概念は、金融資産や実物資産が貨幣に対して頻繁に売買されることを前提にしている。こうした状態の発展を前提にして金融化は拡大する。

1.1.5金融化の諸形態

 まず、非金融経済主体(企業や労働者など)が「金融化」するという場合、そのバランスシートにおいて金融資産・債務が拡大し、キャッシュフローにおいては金融資産・債務から派生するグロスの支払・受取が増加することである。

金融債権・債務の発生以前には各経済主体が私的に行っていた将来の貨幣の支出・受取の計算は、金融資産を通じた債権・債務関係の拡大に伴い、その経済主体の経済活動について、外部の経済主体も計算を行うようになる。この計算が発展すると金融資産・債務に関わる部分だけでなく、実物資産や無形資産など非金融的なものも含めて企業価値として計算されるようになる[8]

資本とは自己増殖する価値の運動体なので、増殖の根拠としての自己の価値と増殖分の価値を不断に計算し、高い利潤率を求めるのが資本の本性である。ところで、金融化によって、利潤を高めるための計算と金融資産の組み換えが高い頻度で行えるようになる。資本主義がこうした金融化の状況に入ったことが原因となって、「短期的利益の追求が問題」であるかのような観念が生まれてくる。

このように金融化は非金融経済主体に重要な影響を与えるが、現代の「金融化」の最大の特徴は銀行など金融機関の「金融化」であろう。

金融機関の核にある銀行が「金融化」するとは、上記の定義の通り、債権債務関係の媒介が増加することである。伝統的な銀行業務では債権の主要部分は貸出だが、これは金融資産として販売できるものではなく、個別銀行の私的な計算によってリスク評価がされる。そこでは個々の債務者によって異なる様々なリスクが含まれる。しかし取引可能な金融資産が多数存在すれば、多数の債権・債務関係から生じるキャッシュフローの受取・支払が組み合わされ、他の経済主体にも認知可能な比較的計算可能で予測しやすいものと、そうではなく予測しにくい部分に分けられる。こうして分けられる過程で様々な金融機関による債権債務関係の連鎖が形成される。たとえば、多数の金融債権を保有する経済主体[9]が保有資産を裏付けとして計算可能なキャッシュフロー受取をもたらす証券を発行すると、その証券は発行主体にとって金融債務となる。こうして金融債権と金融債務を結ぶ信用媒介が生じる。

ただしキャッシュフローの計算可能化で創出しうる発行主体の金融債務は、その発行主体の保有する金融債権の全額を覆うのではなく、【金融債権>金融債務】となり、差額は計算不可能な部分として金融機関の自己資本、優先劣後構造のエクイティ、資産担保証券の超過担保overcollateralization、レポ取引のヘアカットなどの形で分散的に負担されることで計算可能性は成立している。また、バランスシートに全額は現れない金融商品保証保険やCDSによるリスク負担も必要とされる。極端な場合は、流動性に問題のある金融資産を中銀が買い取る形でのリスク負担、究極的には政府による公的資本投入など将来の非常時における支援が期待されている場合[10]もある。

こうして債権のリスクが計算可能となって、初めに貸付を行った銀行以外もその債権を保有することが容易になり、貸付可能対象が拡大し、債権保有の選択の幅も広がり、分散投資によるリスク管理や、様々な業種や地域によって異なる規制に効果的に対応してコストを削減することも可能になる。

 ところで、「金融化」以前には金融資産の比較的多くの部分が銀行預金として保有されていたが、金融化の進展に伴い、預金以外の利回りの高い金融資産の比重が大きくなる。しかしこれは貨幣として流通しうる銀行預金への需要が減ったというよりも、「準貨幣」「近似貨幣」とも呼ばれる預金類似金融資産の増大による構成変化である。預金類似金融資産のうち、最近の金融危機前にはABCP、レポ債務などが大量に増加した。こうした預金類似金融資産は、流動性の高さを前提にして貨幣の代わりに保有されるが、流動性が低下すると急速に貨幣への転換が求められるようになる。

1.1.6貨幣の伏在化と顕在化

 貸出によって創出された信用貨幣は、借手による最終的な返済の前に、流通の過程で伏在化して貨幣ではない金融資産に一時的に転換することがある。

その最もシンプルなものは中央銀行が銀行手形を発行して中銀の当座預金を一時的に消滅させる場合である。中央銀行は政府や金融機関への債権を獲得して中銀預金を創出するが、債務者が返済する前に中銀が中銀手形を発行するとその額だけ中銀預金が減少する。これは貨幣が消滅したのではなく伏在化しただけである。中銀手形の満期が来れば中銀預金に戻る。

民間銀行でも同じことがありうる。銀行がCP など非預金債務を発行し、他の経済主体が預金通貨で購入する場合である。これらの場合、銀行の債務の形態が変化するだけだが、貨幣としての預金通貨と、貨幣ではない金融債務としての手形・CPという違いがある。手形やCP は支払期限があるので、繰延べされなければ預金債務として再び現れる。貨幣の伏在化は、全体としては貨幣の節約ともいえるが、個別の貨幣の動きに見れば節約ではなく、貨幣から《貨幣でないが将来、貨幣に転換すべきもの》に転換することである。マネーストック統計で言えばM0M1と、M2, M3,…との相互転換である。

もう少し複雑だが一般的には次のような例がありうる。非金融経済主体が銀行から借入れを行うと銀行の信用貨幣が増加するが、その経済主体が債券を発行し、その代金として得た信用貨幣で銀行への債務を返済すれば、信用貨幣が消滅する[11]。債券が長期であれば、その支払い期限までに保有する資産を貨幣に転換[12]して貨幣を支払い、債券は貨幣に復帰する。

この例をさらに発展させてみよう。銀行が信用創造(預金創造)によって獲得した貸出債権を他の金

融機関[13]に売却し、後者の金融機関が前者の銀行から信用補完や流動性補完といった支払保証を受けてABCP などの非預金債務を発行して得た信用貨幣で銀行に支払いを行った場合である。この場合、銀行の信用貨幣はいったん伏在化するが、貸出債権が返済される前にABCP が繰り延べ不能になれば、何らかの形で支払保証をした銀行がABCP所有者に債務を負い貨幣を支払う、あるいは債務としての預金通貨が発生し、貨幣が再び顕在化する。

信用貨幣のこのような伏在化は、銀行以外の多数の金融機関が連鎖することで行われている。かつては銀行が行っていた貸付・預金設定、債権保有、預金通貨流通、リスク管理、流動性管理、債権の回収などのさまざまな業務が分解され、証券化や預金類似金融資産の発達を利用して、多数の金融機関の債権債務関係の連鎖によって媒介されるようになった[14]。この連鎖の中で多数の債権が組み合わされながら、満期・流動性・信用度・通貨単位などの要素において異なるものに変換されるとともに、リスクが確率的に計算可能とされ、様々な種類の金融資産が創出されることになった。こうして以前は銀行貸出の対象とならなかった分野も貸出・証券化の対象となり、金融機関システム内部での連鎖の増加という意味での「金融化」と、金融的な債権債務関係の対象となる非金融経済主体の拡大という意味での「金融化」が拡大したのである。

1.1.7「金融化」の時代の特徴

こうしてみると「金融化」とはあらかじめ存在する「過剰な資金」が、新たな分野に流れ込む、とか、社会的に遊休する「資金」あるいは「貯蓄」が銀行に集められて貸し付けられる、ということではない。なぜなら、将来の利潤獲得が確実であれば非銀行資本は投資のための債務をつくり、銀行資本は投資のための購買力を信用創造によって創出することができるからである。そうではなくて「金融化」の重要なポイントは利潤獲得の確実性をキャッシュフローの組み合わせで新たに作り出し、それが他の経済主体に認知されることである。計算可能というのはさまざまなキャッシュフローを適切に組み合わせるという金融工学の手法に加えて、計算不能として残る部分を誰かが分担して引き受けることで成立する。この計算可能性とリスク分担の拡大によって、これまではハイリスクと思われていた住宅貸出などに金融的な債権債務関係の連鎖を拡大することが可能になったのである。

 債務を負うことで得た購買力は実物的な商品の購入になるとは限らない。その購買力は別の金融資産の購買に充てられ新たに債権債務関係を生み出すこともある。多数の金融機関が信用媒介を行うことで、最終的な貸し手と借り手は遠く離れることが可能になる。途中の信用媒介を相殺すればネットとしての最終的な借り手・貸し手が現れるが、これは、途中の信用媒介における債権債務関係に含まれる多数の異質性(満期・流動性・信用度などの違い)から生じる破たんの可能性を無視しており、過度の抽象である。このように金融資産における債権債務関係が連鎖的に拡大していく経済では、貨幣をヴェールとする物々交換を想定する経済理論とは異なるのはもちろん、あらかじめ保有する貨幣で商品を買うという経済とも異なる性質が現れる。

また、信用創造によって増加した購買力が繰り返し売買しうる資産の購入に向けられて資産価格が上昇すれば、担保価値の増加から信用創造がさらに増えるという累積的な過程が発生して資産バブルになることもある。とはいえ、過剰な信用拡張は必ずしも資産価格上昇を伴うとは限らない。たとえば、新たな分野など過去の計算例が少ない分野に貸出が拡大する場合には、根拠の乏しい計算に基づいて貸出が大量に行われて、同一資産の価格上昇ではなく金融資産の量的増大という意味での金融バブルというべき事態になることもある。たとえば自動車ローンの証券化で計算の可能性が高まり、主観的にはリスク負担が減って貸出対象が拡大した場合、将来の破たんの可能性もあればバブルといえるだろうが、資産価格の変化とは関係ない。

これらの様々な形の金融バブルでは、あらかじめ存在する資金の量が金融バブルを規定するのではなく、計算可能性や資産価格上昇によって利潤上昇の確実性が高まるために、与信が拡大して金融バブルに至る。このような信用拡張は、将来の貨幣還流の不確実性や移転したはずのリスクが移転しない、など計算の不確実性を含みながら進行する。



[1] この点は岩田(2015cⅣ節で論じた。

[2] 岩田(2015c)Ⅳ.2参照。

[3] これらの内容は、吉田2002『決済システムと銀行・中央銀行』、西川(1984)『中央銀行:セントラル・バンキングの歴史と理論』などで明確に述べられている。

[4]関係者が契約で認めれば、貨幣以外の債務を互いに相殺することも可能だが、その場合は貨幣の購買力のような一般性をもたない。

せよ、いったん貨幣に転換してから債務が消滅する。

[5] 『金融実務大辞典』1745(金融財事情研究会編、2000)

[6] 島村・中島『金融読本[29]7頁(東洋経済新報社、2014年)

[7] 公的流動性、民間流動性の区別などいろいろと他の論点もあるがここでは省略する。

[8] 本書中川論文はこの例を示している。

[9]あるいは「器」「導管体」と呼ばれるものも含む。

[10] こういう状態はモラルハザードとも表現される。

[11] 複数の銀行にまたがって取引が行われている場合は、銀行システム総体の信用貨幣額の変動のことである。

[12] 商品在庫の販売など、実物的な経常取引も含む。

[13]この「金融機関」は様々な金融機関や導管体、投資ビークルの連鎖の総体を意味する。

[14] Pozar et al.2010Appendix に見られる多数の機関の連鎖を参照。


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