貨幣を発行すれば発行者はその額面の儲けを得るか?
授業でよく用いる例は次のものだ。国によって通貨発行の処理の仕方が異なる場合があるので、ここでは日本の例を考える。
①「1万円札の製造原価は22円ほどなので、1万円札を1枚発行するごとに、日銀は約9978円の利益を得る」
②「500円玉の製造原価は30円ほどなので、500万玉を1枚発行するごとに、政府は約470円の利益を得る」
解答:①誤り。銀行券は信用貨幣。直接的な解答は、「銀行券の発行は通常、預金の引出によるので、預金残高が減って発行銀行券が増える。貸借対照表では負債項目の構成変化(当座預金→発行銀行券)だけなので利益には関係ない」 ただし、「銀行券発行で貸出を行った」という問題だとすると、資産と負債が両建てで拡大し、返済によって銀行券が戻ってくる。利益は貸出による利子で、日銀券の製造原価は利潤からマイナスされる費用(流通費用)。この場合の日銀の純利潤は【貸出利子-日銀券製造原価(と他の流通費用)】
fiat moneyは日本語で政府紙幣とされることが多い。しかし、「紙」だろうが、金属だろうが、電子データであろうが関係ないので、「政府紙幣」とよぶこと自体に問題がある。以前、或る研究会でfiat money「命令貨幣」と訳すことを聞いたが、その「命令貨幣」が適切だろう。ただし、ここでいう「命令貨幣」は「法貨」とは概念が異なる。「法貨」とは政府が発行する命令貨幣だろうが、銀行が与信で発行する信用貨幣だろうが、区別せず、債務の弁済として渡された場合、受け取りを拒否できない貨幣のことである。現在の日本の法貨は日銀券と硬貨だが、日銀券は信用貨幣、硬貨はfiat moneyである。
古いマルクス経済学では貨幣とは金(キン)だったので、金との兌換を義務付ける金本位制が停止したら貨幣はfiat moneyになった、と論じるものが多かった。現代のマルクス経済学では信用貨幣論が発展してきたので、そのような考えはしない。しかし金を経ない形で貨幣を導出する価値形態論が必要になる。それはまだ完全には完成していない。
現代のマルクス経済学の信用貨幣論では、fiat moneyと信用貨幣の違いは、信用貨幣は与信によって発行されるので裏付け資産となる債権があるのに対し、fiat
moneyは支出によって発行され、発行者が購入した資産は消費されて消滅し、貨幣の裏付けとなる資産は残らない。fiat moneyは現在では補助貨幣として政府が発行する硬貨が該当する。
信用貨幣とfiat moneyについてのこうした区別は、19世紀のイギリスの通貨論争でも銀行学派が正しく論じていたが、19世紀の銀行学派は金本位制によりかかりすぎていて、信用貨幣を純粋にとらえることができなかった。
兌換停止後の信用貨幣は、金兌換に依存しない純粋な信用貨幣となる。
上記の設問の②で得られる利益は本来の意味でのシニョレッジ(貨幣発行益)である。ただし、現在では拡張解釈して、中央銀行が貨幣として発行する自身の負債の利子率と、獲得する債権の利子率との差額がシニョレッジとされることが多い。しかしこれは利鞘と理解すべきである。吉田[2002]73-79頁にそうした批判がある。「『広義のシニョレッジは民間銀行にも発生し得る』というのは正当である。むしろ。「利鞘」であるものを中央銀行に限ってはシニョレッジとして別のものに考えることに問題があるといえるだろう」74-75 この点は研究会でも何度か話題になった。「吉田暁派」を自称する人が、この吉田によるシニョレッジ批判を知らなかったので、想像以上に重要な点のようだ。
以前、授業で「『貨幣は、金属で作られた硬貨と、紙で作られた紙幣がある。』と言っている人がいた。これに対して、信用貨幣としての現代の貨幣の特徴を説明してあげたいと思った。どう説明するか?」という問いを出した。しかし答案の多くは有体物や貨幣外生説にとらわれていい解答がなかった。次の機会にも使おうと思う。
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