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The Logical Emergence of Banking Capital from the Circuit of Industrial Capital: A Modern Unoist Approach

  introduction   To explain commercial capital and banking capital, Marx began by discussing the transformation of commodity capital and money capital into commercial capital and money-dealing capital (Marx 1981: title of Part 4). His method was first to divide the circuit of industrial capital, G-W…P…W’-G’, into production and circulation. The capital in the circulation phase is called “merchant’s capital”. Then the merchant capital is divided into “Commercial capital” and “Money-dealing capital” (Marx 1981: 379). We can denote merchant capital as W’-G’-G-W, commercial capital as W’-G’, and money-dealing capital as G’-G. This method is, in terms of form, well balanced. However, Uno and the Unoists criticized it and argued that, methodologically, the emergence of specialized capital requires an explanation of how it can raise the profit rate by reducing circulation capital and costs. Behaviors for higher profit by individual capitals leads to the emergence of specialized capita...

ゼミレポート④「貨幣における『信用』」

 

「貨幣における『信用』」という題のゼミレポートの簡単な骨子を箇条書きのように記すと、

 

このレポートはもともと、「仮想通貨」をテーマにしたものだった。

しかし、仮想通貨が通貨として流通するとする条件を考えると、「みんなが貨幣として受け取ると信用するからだ」ということしか思いうかばなかった。

そこでテーマを変えて、「貨幣における信用とは何か」とした。

主な内容は、物品貨幣、信用貨幣、国家の信用。

 物品貨幣はそれ自体、使用価値としての有用性を見出す人が多くいるので、受け取られる可能性が高くなる。

 次に信用貨幣は、典型的には銀行が与信に際して、自分の債務として信用貨幣を受信資本に引き渡す。受信資本はそれを、支払いに用いて、貨幣として流通する。銀行は、受信資本が支払可能と判断できれば いくらでも信用創造を行い、信用貨幣を創出できる。(ここまでは経済原論の通常の理解の範囲に収まる。次からがこのレポートの特徴)

ここで疑問が生じる。各銀行がそれぞれ自分で信用貨幣を発行するのであれば、銀行の数だけ別々の貨幣が現れるのではないか。貨幣が一つに決まるためには、国の政府が法定貨幣を強制することが必要なのではないか。

国家による法定貨幣の強制によって貨幣が一つに定まる。そして、その強制力の根拠は、まず前提として国家への信用があり、具体的には国家への納税にはその法定貨幣の使用が義務付けられるから。では、国家の信用とは何かと言えば国を運営する能力であり、財政が破たんすると貨幣が信用されなくなる。

 

このレポートで考えされられることは、これまでの経済原論では、価値形態論で金貨幣のような物品貨幣が登場し、金の引渡約束が信用貨幣となるものだったが、金貨幣を前提としないところで信用貨幣を解こうとすると、貨幣の一元化がわからなくなる、あるいは、いきなり国家による強制にしかならなくなることだ。国による法定貨幣は解決にならない。

法定貨幣には銀行の原理で発行される中央銀行の信用貨幣(法貨になるのは銀行券のみ)と、政府が発行するfiat moneyとしての硬貨があるが、法定貨幣と一括することで、信用貨幣の形をとる貨幣と、fiat(命令)だけが根拠の貨幣を混同することになる。

また、政府との取引以外の民間経済主体の間では、法定貨幣以外の貨幣で支払い契約を結ぶことは禁止されない。

 

必要なことは価値形態論で単一の物品貨幣に限定することなく信用貨幣の発生を説くこと、ということはこれまでの記事ですでに書いた。今回のレポートから手掛かりを見出せるとするならば、論理的に貨幣が発生する前の段階で、貨幣の以外の商品の引渡債務と受け取り債権を銀行的な存在が媒介することだ。その銀行的な存在が多数の商品種の債権・債務を媒介すれば、その銀行に対する債権は、銀行の保有する商品の受取を請求することができる。小幡『経済原論』では間接交換の手段として茶が出てくる。そしてその茶は現物ではなく茶の引渡債務、受取債権でもよい。(以下の図は2020年度「経済学原理」第4回「価値形態」の授業資料の抜粋。以下は小幡『経済原論』の内容を利用したもの)


 茶の現物が間接交換の手段として用いられる場合、私がまず綿布と交換に茶を入手して、茶で上着と交換する。私にとって茶は使用価値が希薄化し、純粋に価値のカタマリになる。


 私にとっては茶の使用価値は邪魔なので引換券の方が好ましい。その場合、

 ただ、これだけだと、茶が物品貨幣で、茶の引換券(債権)は茶の代理物にしかなりかねない。これが小幡『経済原論』の限界だ。

しかしここで茶の所有者となっている人が、実は茶を持っていなくともこの形はありうる。その場合は茶の所有者は、資産に綿布を持ち、負債に茶を引き渡す債務を負う。ただ、綿布をすぐには欲しない場合は、綿布を受け取り債権だけを資産に記録してもよい。すぐに欲しないもの債権に、自分が所有していないものを債務に大量に組み合わせることも可能だ。そして債権と債務に同種類のものが存在し、量的に【債権額>債務額】であれば債権と債務を相殺できる。貨幣が存在しない銀行はこのような形になる。 


 在庫に満ちた市場、交換に供せられない商品の存在、与信と受信を媒介する第三者の存在といった概念を組み合わせれば、貨幣発生以前の銀行と、そこから信用貨幣の発生が価値形態論のレベルで論じられそうだ。

 レポートへのコメントとしては、国家を万能として、困ったこをすべて国家に面倒見てもらうのではなく、経済主体の多様な行動の可能性を挙げて、貨幣が発生する萌芽を追求してはどうですか、ということになる。とはいえ、貨幣論なき信用貨幣論は実は、新しい形の価値形態論を作りそうなので、アイデアを与えてくれたレポートに感謝してここにメモしておく。


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