資本主義の変化と原理論の「開口部」
宇野弘蔵における「二つの純粋化」
マルクスの『資本論』は、19世紀の半ばのイギリスの資本主義の現実に、遅れて発達するドイツなども収斂していくと考えた。
その後、19世紀末からの資本主義の変化を、ヒルファディングやレーニンは、19世紀の資本主義の発達の延長線上において論じた。ただしそれは「自由競争から独占へ」といわれるように、必ずしも同質の延長ではなかった。
宇野弘蔵は、19世紀末からの変化を資本主義が不純化する新たな段階として明確に論じた。そして、それ以前、19世紀半ばのイギリスの資本主義を純粋化の時代とした。こうして、資本主義経済の理論を説く原理論と、歴史的変化を説く段階論、さらに段階論を基にした現状分析という3段階論という方法を設定した。こうすることで、マルクスの『資本論』を理論的に再構成するとともに、段階論や現状分析では『資本論』の直接の引用にとらわれることなく、現実の資本主義経済の分析を行うことが可能となった。
この場合、宇野では「純粋化」には二つの意味がある。「純粋化」の一つは、賃金労働者・資本家・土地所有者という3大階級によって構成され、各経済主体が商品所有者として自己の市場経済的利得を最大化しようとして生じる純粋資本主義の想定である。その際、注意すべきことは、労働の単純労働化、金貨幣、結合資本ではなく個人資本家といった単純な想定を置いたことである。
もう一つの「純粋化」は、現実の資本主義自体が「純粋化」する時代が実際に存在した、ということである。これが19世紀の半ばのイギリスだった。
労働の単純労働化など、理論における純粋資本主義での前提は、現実の化である19世紀のイギリスの状況を前提とし、逆に現実における純粋資本主義は、19世紀末に結合資本としての株式会社の影響力の拡大などによって純粋資本主義の理論的想定から乖離することで資本主義は不純化した、と認識されることになる。
こうした理論と現実における宇野の「二つの純粋化」の方法を引き継げば、現代は不純に不純を重ね、理論とは無縁の世界になる。
「二つの純粋化の否定」と資本主義の多態性
しかし、近年の原理論の研究は、宇野の狭い「純粋」概念の制約を取り払いつつある。例えば、宇野が原理論の中では説くことができず不純とした株式会社は、今では十分に原理論の中で論じられている。また、金兌換停止後の貨幣も商品価値を裏付けに持つ信用貨幣として理論的な進化が進みつつある。
こうして現れる原理論の姿は、宇野のように、労働の単純労働化、金貨幣、個人資本家といったような単純で単一の資本主義ではなく、金貨幣⇔不換信用貨幣、個人資本家⇔結合資本というように、複数の姿をとりうる。これが資本主義の多態性である。
理論的に単一の姿に決められないというのは、資本主義世界の中にも、現実には非商品経済的な領域があるから、ということではなく、賃金労働者・資本家・土地所有者という3大階級であったとしても、経済主体が商品経済的利得を最大化しようとしても、複数の可能性が生じるところがある。
宇野の二つの純粋化の方法では、理論的に複数の可能性が生じるところについては19世紀のイギリスの現実を基準に判断するという選択肢もあった。しかし原理論に複数の姿の可能性を認めることは、宇野の「二つの純粋化」の方法を否定することになる。そうすると、19世紀半ばの「純粋化傾向」を基準とした段階区分も否定される。「純粋化」が否定されるということは、逆に「不純化」も否定される。そして現代の資本主義も原理論をもとに分析する可能性も開かれる。これは原理論と現状分析にとって非常に大きな意義を持つ。資本主義の純化・不純化という段階論の設定ではなく、資本主義なる原基が、等位のレベルで様々な形をとりうる。この方法の意義は未だ、十分に理解され、活用されているとは言えない。このあたりの事情は、「宇野弘蔵の段階論の方法における歴史と現在 : 典型・中心,自由主義の観点から」で論じた。
「開口部」
上記のように複数の可能性のある箇所について小幡[2009]『経済原論』では「開口部」として具体的に説明されている。以下の10カ所である。
開口部 |
分岐 |
頁数 |
|
貨幣 |
物品貨幣 |
信用貨幣(中央銀行券) |
47 |
資本 |
個人資本家 |
結合資本 |
80 |
労働組織 |
マニュファクチュア |
機械制大工業 |
127 |
賃金制度 |
先決め型・時間賃金制 |
後払い型・出来高賃金制 |
139 |
絶対地代 |
本源的自然力の所有者間の結託 |
結託なし |
204 |
恒久的土地改良 |
本源的自然力の改良 |
210 |
|
銀行間組織 |
水平的な関係(中央銀行無し) |
垂直的な関係・中央銀行 |
242-243 |
債券市場 |
法制度による規制を伴う取引所 |
245 |
|
株式市場 |
安定した利潤率の可能性 |
247 |
|
景気循環 |
好況と不況の不連続な相転移(恐慌) |
連続的な相転移 |
小幡[2014]194 |
小幡[2014]『労働市場と景気循環』と小幡[2012]『マルクス経済学方法論批判』では以下の追加がある。
労働力の商品化 |
小幡[2014]5 |
労働者階級の生活過程 |
小幡[2014]37 |
本源的自然力の処理 |
小幡[2012]66 |
こうした「開口部」が現実の経済分析にとってどのような意味があるが、別の機会に論じる。
コメント
コメントを投稿