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FRB(アメリカ連邦準備制度)の赤字(2025Q2まで)

以前「 FRB(アメリカ連邦準備制度)の赤字 」について 2025Q2 まで更新されたので、グラフを延長する。データ、出所などの説明は以前の記事を参照。 FRBの利息収入( 青い破線 )は2022からほぼ同水準で変動しているが、利息費用( 緑二重線 )が2023Q3から徐々に減少している。それ以外に債権(国債など)と債務(当座預金)の額を考慮する必要があるが、ここでは省略している。財務省への送金前の純所得( 赤い線 )の赤字はかなり縮小してきた。2025Q2も前期比べてわずかだか赤字は縮小し、銀行業資本として正常な状態に戻りつつあるといえる。 なお、用語の対応は、 総利息収入Total interest income、 総利息費用 Total interest expense 財務省への送金前の純所得 Reserve Bank and consolidated variable interest entities net loss before providing remittances to the Treasury 損失の場合は、 Reserve Bank and consolidated variable interest entity net loss before providing remittances to the Treasury   準備預金への利子率 Interest rate on reserve balances (IORB rate)

「架空資本」と「擬制資本」という訳語について(20240926補足)




「架空資本」と「擬制資本」

 マルクス『資本論』のfiktives Kapital (英語では fictitious capital )には「架空資本」と「擬制資本」という二つの訳語がある。

 「架空資本」は信用創造による銀行の資産と預金通貨(と銀行券)の増加のことで、「擬制資本」は土地価格や国債のように定期的な収入があるものを、利子率をもとに何らかの計算をして価格付けしたものである。「擬制資本」については、先に価格のついた資本があってそれが存在し続けているわけではないので「擬制」とよばれる。たとえば土地価格は先に地代収入があってそれに基づいて土地価格が計算される。国債は国債発行収入の貨幣で購入した政府の財産はすぐに、あるいは徐々に消滅するので国債価格に相当する「資本」があるわけではない。といっても政府は資本ではないので「資本がない」というよりも「資産がない」と言う方が正確だろう。株式など有価証券の場合は現実に機能する資本があるので、土地価格や国債とは同じではないが、利子率の変動などが原因となって、もともとの資本の価額とは関係ないところで、株価が変動するところが「擬制」とされる。あるいは本来は利潤率を得る資本を利子率で割ることで、本来の資本額よりも大きくなることも「擬制」といわれる理由である。


Fiktives Kapitalの「架空資本」と「擬制資本」の訳し分けの伝統

 訳し分けの例として、『資本論を学ぶ:第Ⅴ分冊、資本主義的生産の総過程下』(有斐閣、1977年)の「8銀行信用」(春田素夫)の78頁に、信用創造による貨幣資本の累積が「架空資本」とよばれることについて以下の注記がある。

 「「架空資本という言葉は、マルクスによって非常に多義的に使われているが、ここでは銀行信用の規定にとって最も基本的と考えられる限定された意味で用いた。その他の意味のうち、〈定期的収入の資本化〉の意味では、同じ用語が、むしろ「擬制資本」という訳語で日常化している」

 また、『資本論体系6:利子・信用』(青木書店、1985年)の「序説」(深町郁彌)17頁には、「架空資本」には銀行が与信で作り出すものの他にもう一つあるとして次のように説明する。

 「もう一つの架空資本である国債、株式など有価証券は、それらの年々もたらす利子や配当が一般的利子率を基準に「資本化」―資本還元―されたものである(通常これらは、全体の架空資本から区別して、とくに擬制資本と呼ばれることが多い。原語は同じくfiktives Kapitalである)。」


マルクス『資本論』で探してみると

fiktiv の形で、Werke版『資本論』第3巻をPDF検索すると、fiktiv. Kapitalとfiktiv. Geldkapitalの場合がある。とりあえず両方とも同じとして検討する。

まず架空資本というべき箇所は

S.424 輸出手形の割引(エンゲルスが書いた部分)。

S.488 貨幣資本は銀行業者に対する貸方勘定でしかない。

S.492(注5)イングランド銀行による金準備無しの銀行券発行。

S.514 融通手形と無担保信用による信用の膨張。銀行業者の証言の引用。

S.525 貨幣資本の一大部分は金属貨幣ではなく価値に対する権原に過ぎない。つまり預金は預金者にとっては貨幣資本でも、銀行に対する請求権に過ぎない。

S.557 イングランド銀行による金準備無しの銀行券発行。


次に「擬制資本」となるべきは

S.483 国債。

S.484 有価証券。資本還元(kapitalisieren)による価格計算。

S.485 有価証券の価格変動。

S.510 利子生み資本。恐慌での有価証券の価格下落。


 他にどちらとも言い難いのはS.487の記述で、 銀行の資産にある債権(手形)、国債、株式のことを言っている。銀行の資産勘定にある国債、株式は実体がないので架空と言う部分は擬制資本だが、銀行業者の資本の多くは銀行の負債勘定にある公衆の預金によって構成されていると言っている部分は擬制資本の意味ではない。おそらく、信用創造による架空資本の意味に近い。


現代の原理論では「擬制資本」とは言わない

 そのうえで、現代の原理論では「擬制資本」も「架空資本」の用語も使わない。擬制資本という語に類似する「貸付資本」や「利子生み資本」という語も使わない。なぜならそれは資本ではないからだ。銀行業資本のバランスシート見ればすぐにわかる。

資産

負債

与信債権

有価証券

預金通貨

銀行券

自己資本

営業資産

 

 ところで、銀行について「資本」には二つの意味がある。たとえば小幡『経済原論』では「活動自体をさすときは銀行業資本とよび、この活動に投下された資本を銀行資本とよぶ」(233頁)と区別している。

 「架空資本」に当たるものは銀行業資本の負債勘定にある預金通貨と銀行券であり、銀行資本ではない。

 「貸付資本」や「利子生み資本」は銀行の資産勘定にある与信債権や有価証券であり、これも銀行資本ではない。貸付は銀行の活動だから貸付をする資本として「貸付業資本」という意味で「銀行業資本」とよぶ考えもあるかもしれない。しかし、銀行の信用創造を考えれば、銀行はもともと持っている貨幣を貸し付けるのではなく、自分の負債を預金通貨や銀行券の形で流通させることによって与信を可能にするのだから、「貸付業資本」はあまりに狭く、貸金業者に近い概念になってしまう。また「利子生み資本」については、資本が生むのは利潤なので適切ではない。

もう少し詳しくBSで図解すると次のようになる。


 「擬制資本」は「資本のようなもの」という意味だが、資本ではないのだから資本とよぶべきではない。国債や社債は債券であり、土地は資本ではなく土地である。株式は資本(結合資本)の分割された持ち分である。

それでも残る問題点とそれへの対処

 といってもいくつか問題が残る。

①定期的な収入を何らかの利子率で計算して価格を求めることは「資本還元」という名前で定着していることだ。これ資本ではなく資産の現在価値還元、あるいは現在評価評価と言い直すと「資本」という言い方を回避できる。国債と土地はこれで解決する。

②株式については、ヒルファディングが創業者利得として示したように、もともとの資本投下額と、株式市場における株式の総額との間にはギャップがある。資本還元とは後者の価額を導出することを意味する。そのように計算すると、簡単に言えば株式市場における株式の総額が「擬制資本」ということになり、実際に「擬制資本」は存在することになる。しかし「擬制資本」という紛らわしい言葉を使うよりも、株式の時価総額、または有利子負債と合わせて企業価値としておいて、「資本」の用語はROE(Return On Equity、自己資本利益率)のように自己資本の意味に用いた方が、資本概念を正確に維持できるので理論的には有益だ。


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