変容論的アプローチの適用による地代論の知識への拡張と地代論そのものの再構成について
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近年、原理論の地代論の知識への応用が試みられている。しかし土地を対象につくられてきた地代論をそのまま知識に応用することはできない。この問題を本稿では以下の3点を中心に検討する。
第1に土地を本源的自然力として高度に抽象化するとともに、本源的自然力がより具体的な形に変容する二つのタイプとして考察する。つまり特定の有体物と不可分で本質的に不均質なタイプと、特定の有体物から分離可能で多数の有体物に遍在(ユビキタス)しうるタイプである。
第2に日高説を発展させる。宇野学派の地代論の基礎となっている日高の説は土地を対象としているが、土地に限定されず、本源的自然力についての基準になりうる。ただし、もともと対象としていた土地のような本源的自然力のタイプよりも、知識などのタイプに適合的、という逆説的な関係になっている。
第3に地代論の直前にある市場価値論における特別利潤との関係を検討する。特別利潤も知識を超過利潤の源泉とするからである。
以下、本稿では、A節で地代論を知識に拡張しようとする先行研究を簡単に概観する。次にB節で日高説の功績と新たな難点を指摘する。続いてC節で小幡『経済原論』における本源的自然力の定義を確認して、本源的自然力の変容論的アプローチによる解釈を試みる。続くD節が本稿の中心部分で、特別利潤から地代論への展開を本源的自然力の二つのタイプに分けて説明する。最後にまとめとさらなる発展の展望を述べる。
A.先行研究の概観
20世紀の半ばには巨大な固定資本を有する産業資本が資本主義経済の中心にあったが、1980年代頃を画期に、ITなどの知識によって利得を得る企業が多くなってきた。この知識による利得をマルクス経済学原理論でとらえるために、地代論からの拡張がいくつか試みられている。
土地は「制限された自然力」だが、知識も同じように考えて「制限」を重視すれば知識が知的所有権によって利用制限されると土地と同じように扱えるように思える。他方で、「自然」を重視すれば、土地は有体物として限りがあるとともに本質的に不均質で多様だが、知識では事情が異なる。知識もそれぞれの種類では不均質で多様だが、しかし土地とは異なり同じ知識は多数の有体物に均質に遍在しうる。
マルクス『資本論』での土地の地代論をそのまま適用する方法としては、Rotta and Teixeira [2019]のように、知識について差額地代第1形態(以下DR1)、差額地代第2形態(以下DR2)、絶対地代(以下AR)、独占地代(以下MR)と順に検討する例がある。そうすると、知識の場合は、その知識を用いた生産場面への追加投資で生産性が減少するとは考えにくいため、DR2が困難になる。また、『資本論』はARを農業での資本構成の低さから説明するので、知識が重要になる産業ではARは存在しない、と論じることになる( 388) 。
また、Rigi [2014]は地代論を著作権や営業上の秘密、ブランド(商標)などの知的所有権にも拡張しているが、そもそも地代論は確定的な生産過程における認識可能な生産性の違いを対象とするので、流通過程にそのまま適用できるか、という問題がある。
これらの見解は、土地と農業を対象につくられた地代論をそのまま知識に適用することの難点を示している。
マルクス『資本論』の論理的な再構成は主に宇野学派が担っており、とくに地代論では日高[1974]の功績が大きい。日高は土地のみを対象としていたが、本稿で論じるように、日高の説はさらに論理的に再構成することで知識に拡張できる。
最近の原理論では小幡『経済原論』で土地を「本源的自然力」として抽象化し、その中に知識や生産技術を含める方法をとった。しかし、知識も土地の範疇に加えることが中心になっており、しかも具体的な展開では主に従来の通り、土地と農業を取り上げている。そのため、地代論において知識が土地とはどのように異なってくるのか、積極的には論じていない。ただし、その中でも土地とは異なる知識の特殊性を指摘する個所もある(たとえば205頁問題132)ので、そこをさらに発展させることも可能である。
課題の限定
もともと地代論は「機構論」の前半である「価格機構論」の最後にある。「生産価格」では、各部門で単一の生産条件を前提とするが、「市場価値」では複数の生産条件の存在について考察する。続いて「地代」で生産条件の格差が固定化された場合の超過利潤を扱う。
表1 機構論の体系
機構論 |
価格機構 |
費用価格と利潤 |
生産価格 |
||
市場価値 |
||
地代 |
||
市場機構 |
(略) |
|
景気循環 |
(略) |
土地には住居用など最終消費向けの用途もあるが、原理論で論じることができる土地は、生産に用いられて、他の方法による生産とは生産性が異なる場合に限る。同様に知識についても原理論で論じることができるものは限られる。知識の分類としてはたとえば、制限される知識を知的所有権と考えれば、知的所有権には以下の種類がある。
表2 日本の知的所有権の分類
保護対象 |
||
知的創造物についての権利 (創作移植を促進) |
特許権 |
発明 |
実用新案権 |
物品の形状などの考案 |
|
意匠権 |
物品、建築物、画像のデザイン |
|
著作権 |
文芸、学術、美術、音楽、プログラムなどの精神的作品 |
|
回路配線利用権 |
半導体集積回路の回路配置 |
|
営業秘密 |
ノウハウや顧客リストの登用など不正競争行為を規制 |
|
育成者権 |
植物の新品種 |
|
営業上の標識についての権利(信用の維持) |
商標権 |
商品・サービスに使用するマーク |
商号 |
商号 |
|
商品等表示 |
周知・著名な商標などの不正利用を規制 |
|
地理的表示 |
品質、社会的評価その他の確立した特性が産地と結びついている産品の名称 |
原理論の地代論ではこれらがすべて対象になるわけではなく、生産過程で原価のレベルで認識可能なものに限られ、上の表2でいえば主に特許権で、他にあるとすれば回路配線利用権、営業秘密、育成者権に関するものの中にありうる。
残りの多くは流通過程に作用するものなので「商業地代」になる。「商業地代」は『資本論』第3巻第18章「商人資本の回転、価格」の最後に出てくるが、これまでは議論が進んでいない。
B.日高説の功績と新たな難点
B.1 日高説の功績
日高[1974]は土地を主たる生産手段とする農業をもとに論じているが、知識にも通じる考察がある。その限りにおいて日高による理論的成果を確認する。
第1に、DRの「一般」と「特殊」の区別である。この「一般」の概念は『資本論』にあるが、日高は、その概念を明確にし、「一般」はその部門の生産物が制限された生産条件と制限されない生産条件によって生産され、「特殊」は制限された生産条件のみによって生産される場合である。「一般」で例示されるのが、数が制限される落流を動力に用いる生産と、制限されない蒸気機関を用いる生産である。
第2に調整的な生産条件の概念である。おそらくマルクス『資本論』では個々の生産性の異なる土地区画が一つ一つ生産に利用されていくと想定されていたのに対して、日高は同じ生産性、つまり同じランクの土地にも多数の区画があり、それらの中には利用されている部分と利用されていない部分があることを重視する(日高87、282-283頁)。優等な生産条件は優先して利用されるので、利用される中で最劣等の生産条件には利用されるものと利用されないものがある。生産量の変動に対しては、この最劣等の生産条件の利用度の伸縮で調整されることになる。これが調整的生産条件である。これは古典派以来想定されている「任意加増」とほぼ同じ概念である(小幡『経済原論』問題12の解説にある281頁)
ここでの日高の想定は、①同じ生産性の土地が多数ある。②異なる生産性の土地の間には非連続的な格差がある、ことになる。ここからARが説明される。
第3にARの説明である。最劣等の生産条件には利用されているものと利用されていないものがあるが、利用されていない土地の所有者も一定額のARを要求して、ARを払わなければ土地を賃貸しないと結託すればARを得ることができる。さらに最劣等の調整的生産条件の所有者たちが次々と結託し続ければ無限にARが高まりそうだが、そうはならない。というのは、最劣等の土地でARを高めすぎると優等地での追加投資が始まり、それが調整的な生産条件になるからである。後者はDR2である。そこからARとDR2の背反と相互転換が生じる
第4に、DR1(+AR)とのDR2の背反と相互転換である。最劣等となる調整的な生産性の投資先には2つの可能性があり、一つは最劣等地に投下される場合で、これはDR1になる。この場合、最劣等地の所有者たちの行動によってはARも生じうる。もう一つは優等地の追加投資であり、この場合は優等地にも最劣等地にもDR2が生じる。DR1はなく、最劣等地のARもない。その代わりに最劣等地にもDR2が生じている。
図1 日高説:DR1とARがある場合
図2 日高説:DR2のみがある場合
それぞれの場合の調整的な生産条件で生産拡大の余地がなくなり、さらに劣等な生産性の投資が必要になったときに、最劣等の土地に投資が拡大するか、あるいは優等地での劣等な追加投資になるかによって、DR1(+AR)とDR2は相互に転換しうる。
B.2 日高説が新たに残した難点
日高説は功績と同時に難点を残した。それは①同じランクの土地の多数性と、②異なるランク間の非連続的な格差、という、日高の功績の基礎そのものである。土地が再生産されずに本質的に不均質であれば、なぜ同じ生産性の土地が多数、存在するのか? しかもこの「同じ」は1次投資だけでなく、高次の追加投資にわたって「同じ」となる必要もある。そのため①は成立しない。さらに、無限に不均質であれば、異なる生産性の格差も微小となる。そのため②も成立しない。日高のARについての説への反論の多くはこの②についてである(飯島[2016]など)。なお、『資本論』などで「限界原理」として理解されてきたことは、日高とは異なり、求められる生産量を満たすための最後の1区画という意味である。そのため①も②も不要だが、容易にミクロ経済学の市場供給曲線や費用曲線の理解になりやすい(たとえば飯島[2106]58頁、中野[1967][1985])。
ところで、知識の場合は日高説の①と②が2つとも成立する。つまり①については同じ知識が多数の有体物に均質に遍在可能であり、同じ生産性として調整的な生産条件になりうる。②では異なる知識の間では非連続な格差がある。というのは、地代を得るには知的所有権による利用制限が必要であり、知的所有権が認められるのは、既存の知識との明確な格差が必要だからだ。
そうすると、日高説は土地よりも知識の方が適切になる。ここで考えなければならないことは、土地と知識を本源的自然力として混和するのではなく、論理展開として土地について抽象度を高くしで本源的自然力として論じた後、より具体的には土地のようなものと、知識のようなものへと変容する、という論理構造で説く必要がある。これが「変容論的アプローチ」になる。
C.本源的自然力の変容
C.1 小幡『経済原論』における本源的自然力の定義
小幡『経済原論』では本源的自然力を「生産に用いられるが、再生産されない生産条件」(201)と定義し、「再生産を通じて均質化することはできない」(210)と特徴づける。土地から知識への拡張については、「本源的自然力の概念は、このような(耕地や鉱山-引用者注)外的自然力に限定されない。パテント化された生産技術など、原理的には同様に考えるべき対象は、制度と権力を背景に、無形の知的対象においてもつくりだされている」(202)とする。さらに本源的自然力の「ポイント」として「(1)本源的自然力は、何回用いられても劣化することがない」「(2)再生産されるのではなく、発見される対象である」とする。ここで「生産」と「発見」との違いは、生産には社会的再生産に基づいて必要なコストが確定的にわかるが、発見の場合には再現性がなく、要したコストに客観的な根拠がない、ということである。しかし、知識が本源的自然力であるためにはパテント(特許)のような制限が必要だろうか? 制限されずに誰でも利用される知識も上記のポイント(1)、(2)を満たす。つまり制限されない知識も、何度も用いられても劣化しないし、その知識自体は生産ではなく、発見されるものである。こうして制限されない知識も本源的自然力となる。(注記:新しい知識によってこれまでの知識の有用性が失われるのは「劣化」ではなく「陳腐化」である)
小幡『経済原論』では、パテントなどで利用制限されなければ本源的自然力ではない、とも読める。これは特別利潤から地代へ、と超過利潤を論じる流れで制限が前提になっているのかもしれないし、または土地が有体物として限界があるので、土地とのアナロジーで知識にも制限が必要だとされているのかもしれない。いずれにしても、本源的自然力が開口部としても設定されず、変容論的にも論じられていないので不鮮明が残る。
C.2 本源的自然力の変容
「変容論的アプローチ」とは小幡『経済原論』や小幡[2012]などで提唱されているものである、原理論には論理展開だけでは一つに決まらず、外的条件と結びついて異なる形をとりうる箇所がある。この箇所が「開口部」であり、異なる形が変容である。この開口部は具体的には小幡『経済原論』では、貨幣、資本など10か所が挙げられている。なお「変容」は「歴史的な変化」の意味ではなく、抽象度を下げることで生じる複数のタイプの存在の可能性である。たとえば貨幣はより抽象度を下げて具体に近づけると、金属貨幣と信用貨幣の形をとる。資本では個人資本家と結合資本の形をとる。
ただし、変容論的アプローチについては原理論や方法論でも、現状分析でも、まだ十分には考察されていないので、本稿での説明は、筆者の理解(詳しくは岩田[2022])であり、他の説とは異なることもある。
変容論的アプローチを本源的自然力に適用すれば、変容は次の図のようになるだろう。ただし、「土地」や「知識」といった具体的なイメージを強く持つ用語は、原理論に必要な抽象化を妨げることがあるので、ここでは土地などは「タイプ1」、知識などは「タイプ2」とよんでおく。
表3 本源的自然力の変容
多態化 |
土地など |
知識など |
変容 |
タイプ1 |
タイプ2 |
特定の有体物と不可分に結合 |
特定の有体物と分離可能で、多数の有体物に遍在しうる。 |
|
本質的に不均質 |
他のモノとは非連続的な差異。 |
|
物理的に利用制限可能 |
法的に利用制限可能 |
|
展開 |
資本移動の自由→生産条件の格差→競争制限による格差の固定化〔地代〕 →流通過程における競争 |
展開
変容論的アプローチの最も基礎にあり、最も抽象度の高いものは原理論の論理的な「展開」である。展開の順序は、まず生産価格論では資本の自由な移動と優等な生産条件の模倣が想定され、次に特別利潤では優等な生産条件による一時的な超過利潤と普及による消滅、続いて地代論では優等な生産条件が持続的に固定される、という展開である。確定的な生産過程に基づく価格機構は地代が最後で、その後は不確定な流通過程における競争となる。
本源的自然力そのものは利用制限の有無にかかわらず生産条件の一部をなすが、利用制限された場合に超過利潤を生じうる。
変容
変容の複数のタイプは互いに両極端に対になる概念として抽出されるものであり、現実の存在は二つ概念の中間にあたる場合が多い。
タイプ1の特徴は土地をそのままイメージすれば容易に理解可能だ。ただし、変容のレベルでの抽象度では本質的に不均質を徹底化させることに注意が必要になる。
タイプ2は無体の要素として同じモノが多数の有体物に遍在しうる。
ここでタイプ2の概念を明確にするために補足すると、
①ここでは知識を「無体物」とは言わず、「無体の要素」とよぶことにする。
②「無形資産」とは異なる。
③無体の要素と有体物とは通常、一体となっているが、無体の要素による制限性と、有体物による制限性は異なる。
以下、順に説明する。
①「無体物」とは言わないのは、簡単な話で、日本の民法85条では「この法律において「物」とは、有体物をいう」とあるので「無体物」は自己矛盾になるからだ。たとえば1890年公布されたが施行されなかった旧民法では「物に有体なる有り無体なる有り」となっていた。さらに続けて「有体物とは人の感官に触るるものを謂ふ。即ち地所、建物、動物、器具の如し。無体物とは智能のみを以て理会するものを謂ふ。即ち左の如し。第一 物権及び人権、第二 著述者、技術者及び発明者の権利、第三 解散したる会社又は清算中なる共通に属する財産及び債務の包括」(旧民法財産編 第6条)とあった。しかしこうすると「有体物」の所有権は「無体物」になって混乱を招く。現在では有体・無体の区別は権利の対象を指す。(現行の民法は1896年公布、1898年施行が始まり)。
以上は、水津[2014]を参照したが、実際には「無体物」という用語は普通に使われているし、日本の民法85条の規定は世界共通というわけでもない。しかしここで言いたいことは「無体」の言葉自身にある曖昧さである。
②「無形資産」とは言わない。会計上の「無形資産」は雑多な概念である。これには知的所有権も含むが、それ以外にも「競業避止協定」「注文または生産受注残高」「雇用契約」などの非金融債権も含む。また、株式時価総額と有利子負債から構成される企業価値から、有体物や金融資産の簿価を引いたものを一括して「無形資産」とよぶこともある。そもそも「無形」「無体」とは、intangible であり、in(非)+ tangible(触れてわかる、有体の・有体の)なので、非・有体物や非・有形資産という雑多な概念になるからである 。(注記:「非」という言葉のあいまいさは小幡『経済原論』問題6の解説277頁にもある。
③この点はDrahos [2016]に詳しい。すべての有体物は、無体の要素を含んでいる。その無体の要素は知的所有権で制限されていることもあれば制限されていないこともある。制限される場合には無体の要素の所有権によって有体物の所有権が否定される場合もある。原理論に現れる例を挙げれば、同種の商品は無体の要素の共通性によって同種と認識される。また、無体の要素が陳腐化すれば有体物は物理的使用可能であっても社会基準上moralischの磨滅をする。
D.特別利潤から地代へ
D.1 特別利潤とは
特別利潤とは、たとえば小幡『経済原論』では「平均利潤をこえる利潤」のうち「原価のレベルで識別可能な特殊な超過利潤」である(199頁)。超過利潤の原因は一般の資本とは異なる新技術を持つ資本が高い生産性によって獲得する超過利潤であり、新技術が普及すれば超過利潤は消える。
特別利潤あるいは特別剰余価値という概念は『資本論』以来、生産論(『資本論』第1巻)と機構論(『資本論』第3巻)に分かれて現れてきた。生産論では、総資本と総労働の関係である「相対的剰余価値の生産」を促進することになる個別資本の動機の観点から説明され、機構論では市場価値論においてその部門の市場価値となる標準的な生産方法とは異なり、コストに格差のある生産方法によって平均利潤から超過(あるいは不足する)利潤の説明に用いられる。マルクス『資本論』第3巻では他にも、利潤率の傾向的低下に反対に作用する諸原因の章でも現れる。
マルクス『資本論』での使用例をもう少し見ると、第1巻では「相対的剰余価値の概念」の章で「特別剰余価値」Extramehrwert(Werke版S.336, 337) が使用され、第3巻では「市場価格と市場価値」の章で「特別剰余価値」Extramehrwert(S.188)と「特別利潤」Extraprofit(S.208など)の2つが事実上、同じ内容で使用されている。同じ意味で、利潤率の傾向的低下に反対に作用する諸原因の章では「特別利潤」Extraprofitの語が使用される(S.269)。その他、第3巻にはいくつかExtraprofitの語があるが(S.658(注33)、689、880、915)同じ部門内の生産方法の違いに関するものではない。(注記:第1巻には第1巻にExtraprofitが2つあるがいずれも工場監督官の報告からの引用である)
このように『資本論』では特別剰余価値と特別利潤はともに、標準的な生産方法とは異なる方法で得る高い利潤を指す。他方、超過利潤Surplusprofitは広い意味で使われている。
その後、宇野弘蔵は岩波全書版の『経済原論』で生産論でも分配論でもともに「特別の剰余価値」という(生産論69、分配論165, 180,181) 。(注記:ただし一度のみ「特別剰余価値」という語がある)
大内力[1982]では分配論の利潤論で「価値論のベースでいえば特別剰余価値が生ずるのであり、ここでの視角からいえば超過利潤が与えられる」(477)として、生産論では「特別剰余価値」、利潤論では「超過利潤」という。しかし超過利潤の「超過」はかなり広い一般的な意味なので、生産技術に根拠を持つことを示す用語の方が都合がよい。
富塚[1976]は生産論(相対的剰余価値の生産)と利潤論(市場価値)で明確に用語を使い分ける。つまり市場価値論の箇所で「この《特別剰余価値Extramehrwert》はいまや《特別利潤Extraprofit》という現象形態において現れる」(327)と表現している。さらにここには注記が付いており「 「特別利潤」なる概念は『資本論』においてはやや多義的に用いられているが(例えば『資本論』第3巻193ページにおけるエンゲルスの註記や、同394ページ本文における用例等)、本書ではそれを「特別剰余価値」の直接的転化形態という意味においてのみを用いることとする」(328。引用内の括弧は原文のまま)としている。
逆に区別をなくしてしまうのが山口『原論』で、生産論でも競争論でも、ともに「特別の利潤」という(生産論137、競争論195, 197)。つまり特別剰余価値という用語がなく、「特別な利潤」という用語で統一されている。
小幡『経済原論』では生産論に特別剰余価値の概念がなく、機構論の利潤論で特別利潤という。
超過利潤や特別利潤といった用語の関係について小幡『経済原論』(主に199頁)でまとめると以下の表になる。
表4 超過利潤の分類
多態化 |
土地など |
知識など |
変容 |
タイプ1 |
タイプ2 |
特定の有体物と不可分に結合 |
特定の有体物と分離可能で、多数の有体物に遍在しうる。 |
|
本質的に不均質 |
他のモノとは非連続的な差異。 |
|
物理的に利用制限可能 |
法的に利用制限可能 |
|
展開 |
資本移動の自由→生産条件の格差→競争制限の固定化〔地代〕 →流通過程における競争 |
生産論での「特別剰余価値」、機構論での「特別利潤」という富塚の使用法が形式的には最も整合的だろう。ただし、総資本と総労働の関係で剰余価値を説く生産論で、個別資本が取得する利得を述べるのは適切ではない、という判断もありうる。そうすると小幡『経済原論』のやり方になる。
D.2 特別利潤と地代論との関係
これまでの原理論の通常の想定は、特別利潤が特別に優等な生産条件の利用に基づく超過利潤であり、やがて優等な条件が普及すると特別利潤は消滅する。他方で土地をはじめとする外的自然に基づく優等な生産条件は制限されており、超過利潤は持続して地代となる。ここには、特別利潤では知識、地代は土地をはじめとする外的自然という区別とともに、超過利潤の根拠も、特別利潤では産業資本の内部にあるのに対して、地代では資本の外側にいる経済主体が本源的自然力所有者階級がいる、というズレがある。特別利潤から地代へという展開と、知識と土地という内実の組み合わせは次の図のようになる。
表5 特別利潤と地代、知識と土地の組み合わせ
一時的な特別利潤 |
持続的な地代 |
|
知識 |
A |
B |
外的自然 |
C |
D |
従来は特別利潤がA、地代がDとクロスして、別々に取り扱うことが可能だった。しかし知識の領域に地代論を拡張することはBに相当する。
そうするとまず問題になるのはAからBへの移行である。つまり同じ知識が特別利潤になる場合と地代になる場合を検討する必要がある。単純に考えれば、「高い生産性をもたらす知識が、時間の経過で社会全体に普及していくのであれば特別利潤で、持続的に利用制限されれば地代」というだけで済みそうな気がするかもしれないが、そうはいかない。特別利潤では暗黙の裡に産業資本が特別利潤の源泉となる知識を自身のものとしている と想定しているはずだ。しかし地代論は土地などの本源的自然力と産業資本との階級的分立と賃貸借関係を想定しているはずだ。このギャップは地代論を知識に拡張しようとすると明らかになる。この問題はさらにD.3で詳しく検討する。
さらに言えばこの表の対称性からCの領域も問題にできる。このCはこれまで考えられてこなかったことだが、外的自然の利用においても産業資本が一時的に特別利潤を得る可能性もある。この問題はさらにD.4で詳しく検討する。
D.3 本源的自然力タイプ2における特別利潤、地代、本源的自然力所有者階級
もともと地代論では、土地所有者階級が資本家階級とは別に存在し、資本家階級は土地を所有しないことが前提だった。しかし、特別利潤の段階で産業資本のうちに存在する特別な知識が地代論でも継続すると、地代論に至っても産業資本の本体と本源的自然力とが混然一体となり、産業資本とはいえなくなる。現代のIT企業やトヨタなどは本源的自然力タイプ2を産業資本の中に組み込んでおり、あらかじめ、本源的自然力タイプ2も産業資本の外側で所有されている、と言って済ますわけにはいかない。
そこで特別利潤の段階では、産業資本の内部に本源的自然力タイプ2があるが、これを外部に押し出して、利用と所有へと分離する契機を考えるとすれば、それは資本移動である。つまりこの本源的自然力タイプ2を内に含む産業資本が資本移動(事業再編を含む)して、不要となった本源的自然力を売りに出せば、価格がついて地代の源泉である本源的自然力タイプ2が明確に分離して現れる。資本家以外が買い取れば本源的自然力所有者として資本に対立する階級となる。
なお、本源的自然力から常に超過利潤が得られるのであれば、本源的自然力を手放して資本移動する理由がないように思うかもしれないが、平均利潤や超過利潤は将来にわたって常に保証されるものではなく、将来も含めて多数の資本の間には相異なる思惑がある、そのため、現時点で超過利潤を得ていたとしても、それを手放す資本移動もある。その価格は、本源的自然力に起因し、将来に渡る超過利潤を現在価値に換算した価額となる。この計算方法は従来の原理論で、超過利潤としての地代を基にした土地価格の計算と同じである。
ところで、本源的自然力タイプ2を他の産業資本が買い取った場合は、本源的自然力所有者階級が自立化しない。ただし、買い取った産業資本の内部で産業資本の本体とは区別された、地代を生む本源的自然力が認識されることで、本源的自然力の自立化を説くことができる。ただしやはりこの場合は、資本家階級に対する本源的自然力所有者階級の自立化は観念的にとどまり、社会的な階級の自立化までには至らない。
D.4 本源的自然力タイプ1における特別利潤、地代、本源的自然力所有者階級
タイプ1ではもともと利用と所有として階級的に分立している。また、通常の原理論の論理展開では特別利潤では現れず、地代論に入ると現れる。しかしここで無理に、産業資本の内部に優等な条件があることを前提にした特別利潤を考えるとすれば、たとえば産業資本がやがて枯渇する鉱山を開発して一時的に超過利潤を得るのがありそうな気がするが、優等な方法の普及にはならないので特別利潤とは言えない。
産業資本の外部にある優等な条件を産業資本が賃借したうえで、そこで契約締結時には想定されていなかった超過利潤を得るという形であれば、特別利潤も考えることができる。図解すると次の図のようになる。
図3 賃借り契約時の想定
図4 契約期間中の特別利潤
契約期間中に産業資本が、その生産条件の特有の状況から超過利潤を生む新たな追加資本投下の方法を見つけ出した場合に特別利潤を得る。この方法が他の生産条件にも利用可能な知識であればタイプ2だが、その生産条件特有の知識で、その生産条件があってこそ意味のある知識であれば特定の有体物と不可分の本源的自然力タイプ1になる。
これが特別利潤といえるのは、第1に「一時的過渡的」であることである。契約更改で本源的自然力所有者に地代として取得されるので、産業資本にとっては契約期間中のみ取得できる超過利潤だからである。
第2に、「量的な制限」があることである。本源的自然力タイプ1は特定の有体物と不可分に結びついており、この特別利潤もその生産条件(本源的自然力タイプ1)以外に広がることはない。この特別利潤は賃借した産業資本にしか利用できないという量的制限の点で、新技術による特別利潤と同じである。
第3に、「普及して社会的に生産性が向上」することである。もともと想定されていた劣等な旧2次投資よりも高い生産性は、次に契約した産業資本に引き継がれる。多くの賃借り産業資本がこの特別利潤を追求して、契約時には想定されていなかった生産性向上を実現すれば、全体として生産性は向上し、社会的な生産量が同じであれば調整的な生産性はより高く(つまり市場価値はより低く)なり、社会的に生産性が上がることになる 。(注記:本源的自然力タイプ1を賃借した産業資本がその生産条件特有の超過利潤の可能性を契約期間中に特別利潤として徹底的に得ることを追求すれば、本源的自然力タイプ2ではDR1はなく、DR2しかないことも明らかになる。次稿「本源的自然力タイプ1,2における差額地代と絶対地代」参照)
まとめと展望
現代の資本主義で重要性を増す知識を、知的所有権を基に地代論で論じるのは非常に展望のある方法である。しかし、土地を基礎にした従来の地代論にそのまま知識を論じるには、土地の概念に過重な負荷がかかる。土地をいったん本源的自然力へと高度に抽象化したうえで、本源的自然力がより具体的に変容する二つのタイプとして本稿のようにタイプ1とタイプ2に分ける必要がある。タイプ1は具体的には土地だが、「土地」という用語をそのまま用いると現実の土地にイメージを引きずられて抽象度が低くなりすぎるためタイプ1は「特定の有体物と不可分に結びき、本質的に不均質なもの」とした。そうしたうえで変容よりもさらに具体的な多態化のレベルに土地や日光、風力などを置くことができる。タイプ2は「特定の有体物から分離可能で多数の有体物に均質に遍在できるもの」とした。タイプ2の多態化は知識しか思い浮かばないが、「知識」は広い概念なのでそれでもよいだろう。
この方法はマルクス『資本論』を再構成した日高の地代論を適切に利用することで、日高説を発展の基礎にすることができる。
ただし本稿での地代論の知識への拡張はあくまでも古典派以来の、生産要素における生産性の格差の範囲のみでの考察である。現在の知識の役割はそれ以外にも、流通過程に作用する知識や最終消費向けの知識など多様であるが、これらは本稿の枠組みではすぐには適用できない。
本源的自然力のタイプ1とタイプ2は変容のレベルでは、相互に背反する抽象的な概念だが、多態化のレベルではその中間形態や互換も考えてみることもできる。たとえば、優等な農地はタイプ1だが、その生物的化学的分析を徹底すればタイプ2の知識になりうる。逆に、知識は本来的にタイプ2だが、特定の人にのみ習得可能な知識はタイプ1になりうる。小幡『経済原論』でいえば、「名人芸のような『個人の熟練』」(136頁)に相当するだろう。複雑労働として習得可能な範囲であればタイプ2であり、その知識が知的所有権の対象となればタイプ2のままで利用制限される。この知識は「競業避止協定」や場合によっては「雇用契約」の形で無形資産になっている。さらにD.4でも触れたように、知識といっても特定の有体物と不可分に結びつく場合にはタイプ2ではなく、タイプ1になる可能性もある。
また、他の研究分野として、商品売買ではなく資産保有での利得が中心になるAssetizationの研究などにも関連すると思われるが、本源的自然力の研究は今後の展望があるだろう。
また、本稿の対象は生産過程にとどめたが、流通過程に作用する私的所有権の、商標権や商号権、地理的表示なども商業地代としてさらに考察の対象となるだろう。著作権は最終消費の対象に関連すると思うのが自然だか、本という有体物やアクセス権といった債権を売るためのラベルとして流通費用と考えると話が非常に簡単になる。いずれにしても現実には雑多に理解されていることを原理論で説明すること自体に展望があるといえるだろう。
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