銀行の信用貨幣の2つの発行方法

 

「預金」とは「預けるお金」か?

「預金」という言葉は「預けるお金」と書くが、内生的な貨幣供給理論では、与信によって預金は創出される。つまりもともとある「お金」が存在して、それが預けられるのではない。

いったん創出された預金は、支払い請求されれば、送金先の他行ではお金が預けられることになる。

つまり個別の銀行にとっては預金通貨の増加方法には、与信による創出と他行からの受け入れという2つの方法があることになる。

預金通貨は、一般化した言い方をすれば銀行券を含めて信用貨幣となる。信用貨幣として銀行券と預金通貨における2つの発生方法について、19世紀の通貨論争にも論じられた。そこでは、通貨原理と銀行原理は背反する二つの政策ではなく、同じ一つの銀行において、銀行原理による信用貨幣(銀行券または預金)の発行と、通貨原理による信用貨幣(銀行券または預金)の発行がある、と論じられている。

以下、私の著書からの引用をする。

前回の記事の続きに相当する。

実務としての銀行原理と通貨原理:二つの銀行通貨発行方法

英国の銀行原理フリーバンキング派のギルバートは1841年下院委員会で「通貨原理」とは「金と交換に銀行券を発行し、銀行券と交換に金を交付する銀行のこと」(Q932)と述べ、「銀行原理」とは、「預金の支払い、または手形割引、貸付によって発行される銀行券のこと」(Q933)として、通貨原理は正しい原理ではない、と非難している。またGilbart [1841] p.48でも、BOE(イングランド銀行)券が金の預託や政府証券の購入で発行されることが物価騰貴につながると非難している。特にBOEによる政府への特別貸出による過剰発行と、それによる物価騰貴も非難した。この場合、「真正手形原理」と「需要に応じた発券」の2点で銀行原理に違反する。さらに金と引換えの発券は通貨原理そのものになる。

ところでBOEは手形割引による発券も同時に行っているのだから、法制度概念としては対立している通貨原理と銀行原理は、実務的には一つの銀行において両立することになる。

ギルバートのように銀行券の発行に銀行原理と通貨原理をみとめるならば、同じ銀行塚である預金通貨発行(預金設定)にも二つの発行原理を認めることが論理的に必要となる。

ジュグラーは二つの預金、つまり《正金(numéraire)または銀行券の預託の結果生じる預金=「現金」当座勘定》と《手形割引による信用開設で生じる預金=「割引」預金》との区別 を強調した(Juglar[1868b]p.143)。預金通貨発行において前者が通貨原理、後者が銀行原理にあたる。ジュグラーは後者を重視し、預金と貸出との一体的増加は決済システムの完成された姿だとみなす。逆にコクランは特権銀行批判において前者を重視し、預金と貸出の一体的増加は不安定な原資(預金)に基づく貸出の増加で金融恐慌の原因とみる (後述C-7)。

2つの銀行原理

引用は以上。
一般にマルクス経済学では、通貨学派よりも銀行学派の方が優れている、と認識されている(さらにマルクスは資本循環の観点で、銀行学派よりも優れているが)。それはたしかにそうだが、銀行原理にも、中央銀行派の銀行学派と、銀行原理フリーバンキング派があり、預金の通貨としての性質や、競争的な銀行システムの観点からは、銀行学派よりも銀行原理フリーバンキング派の優れているように見える(詳細は私の著書参照)。ただし、銀行原理フリーバンキング派は、非競争的な中央銀行を否定するため、階層的な銀行システムの発展のにとっては、銀行原理フリーバンキング派は受け入れられなかった。


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