「商品貨幣説と信用貨幣: 現代資本主義の原理論的基礎付け」最終版
岩田佳久(東京経済大学)
2000年代以降、宇野学派では「商品貨幣」の再定義が試みられている(岩田[2022])。ここで「商品貨幣」とは商品価値に根拠を持つ貨幣であり、貨幣素材そのものが流通する金のような「物品貨幣」と、商品価値に対する債権として流通する「信用貨幣」に分類される。本稿では再定義以前の山口重克による信用創造の議論から始め、再定義を踏まえた信用貨幣論を検討する。その際、銀行システムの中で論じるために、バランスシートや残高試算表を用いて図解する。
A.山口重克の信用創造論と商品価値の根拠
A.1 山口による信用創造論
A.1.1 信用創造の理論
山口の信用創造についてよく引用される表現は「将来の資金形成を先取りして現在の資金を創出」(山口[1984]45)である。信用創造の意義は、創出される銀行券や預金といった信用貨幣の量が、現金準備の量を超えるということではなく、与信債権と見合う関係を背後にもつことである(同)。バランスシート(BS)で示すと次の図1になる。
図1 山口の信用創造論
資産 |
負債および自己資本 |
|
現金準備 |
信用貨幣(銀行券や 預金通貨) |
|
与信債権 |
||
自己資本 |
つまり重要なのは【現金準備<信用貨幣】ではなく、【与信債権≒信用貨幣】である。
A.1.2 預金と準備金
支払準備金の必要について山口とその批判者の間で、少し錯綜した議論がある(山口[2000]2部1章、斉藤[2006] 8章)。山口への批判は、銀行は流動性リスクへの対処のため銀行券(信用貨幣)発行の前に支払準備の確保のために有期預金を得ておく必要がある、というものであった。これに対して山口は、信用リスクの問題が基本であり、流動性リスクは二次的な問題に過ぎない(山口[2000]134-135)として、次のように反論した。
⑴債権が健全で元利返済があれば、銀行の債務よりも利子の額だけ多い金額が返済されるので支払準備は必要ない(同134)、⑵手元の現金貨幣を上回る支払請求があった場合は、債権としての割引手形が健全であれば他行への再割引で準備金は補充できる(同145)。つまり⑴⑵とも信用リスクがなければ流動性リスクの問題は起きない、ということである。斉藤美彦はこの説明に同意したうえで、インターバンク市場を明示すべき、とした(斉藤[2006]281)。
銀行の債務額を上回る返済額は銀行の収益なので、バランスシート(BS)に加えて収益を表現できる残高試算表で示すと図2になる。簡単にするために項目を絞り、営業費用を自己宛債務の預金で支払うことにする。当期の活動の【収益-費用】としての利益は次期の期首には蓄積されて自己資本になる。
図2 銀行業資本の蓄積
当期の活動(残高試算表) 次期の期首のBS
借方残高 |
貸方残高 |
資産 |
負債および自己資本 |
|
与信債権 |
与信による預金債務 |
与信債権 |
預金債務 |
|
営業費用支払債務 |
||||
|
|
資本 |
||
|
||||
営業費用 |
準備金は(金貨幣や政府紙幣でなければ)他行への預金債権なので、上記⑵でインターバンク借入の形で準備を補充する取引は図3になる。再割引の場合も同様に表記できるが、ここでは省略する。
図3 インターバンク取引
当期の活動(残高試算表) |
次期の期首(BS) |
|||
与信債権 |
与信による預金債務 |
銀行間預金 |
預金債務 |
|
与信債権 |
||||
他行宛債務 |
||||
他行宛債務 |
||||
営業費用支払債務 |
||||
銀行間預金 |
収益 |
資本 |
||
営業費用 |
||||
|
||||
当期の他行の活動(残高試算表) |
次期の他行の期首(BS) |
|||
他行宛債権 |
銀行間預金 |
他行宛債権 |
銀行間預金 |
|
収益 |
資本 |
A.1.3 「組織化」の議論
ただし、インターバンク市場でいつでも必ず準備金が調達できるとは限らないし、調達金利が高くなるリスクもある。産業資本の場合は、流通過程の不確定性に備えて準備金を持つとともに、準備金の不足に備えて商業信用など様々な市場機構を発展させる、それと同様に、銀行業資本も一定の支払準備金を持ち、準備金の円滑な貸借を可能にするインターバンク市場や、準備金の必要総額の供給を保証する中央銀行のような上位の銀行が発生する。こうした関係は宇野学派では「組織化」とよばれて議論されてきた。たとえば、個別資本が私的な利害を追求する中で、「非営利」の銀行間組織や中央銀行が形成される、という議論(田中[2017])や、将来の準備金不足に備えてあらかじめ受信できる契約を結ぶ事前的対処(さくら[2019])という議論がある。こうした議論は、原理論を本質規定にとどめず、現実の経済に適用可能な「分析の基準としての原理論」(山口[2006])という山口の提唱にそくしたものである。
組織化論の議論は、産業資本における不確定な流通過程と商業資本をめぐる議論から生まれてきた。そのため、まず商品売買を「単純な取引」と「組織化された取引」を表1のように分類する。
表1 単純な取引と組織化された取引
単純な取引 |
組織化された取引 |
スポット、小ロット、時間と場所で分散 |
継続的、大ロット、 時間と場所で集中 |
「単純な取引」はスポット取引、すなわちその場で必要なものだけを購入する取引で、さらに、多数の売買の当事者が時間や場所において分散し、それぞれバラバラに売買する形である。通常の原理論ではこの形の取引が想定されている。これに対して、「組織化された取引」は2つのタイプがある。一つは、継続的あるいは大ロットの買取契約である。たとえば商業資本が産業資本から継続的あるいは大ロットで買い取る契約では不確定な流通過程の負担を産業資本から、商業資本が引き受ける。もう一つの組織化の例、「時間と場所の集中」は、売買の取引相手を求め、多数の資本が売り手と買い手が一箇所に集まり、取引所のような場を形成すれば売買が容易になる。そういう場所を作るという意味で組織化になる。
この2つのタイプ組織化を銀行業資本に当てはめると次の表2になる。
表2 組織化における2つのタイプ
|
水平的な集中 |
事前的対処 |
取引の場 |
集中して一か所 |
分散して2者間 |
取引条件の設定 |
多数の銀行間で、スポットで決める |
事前に将来の取引をオプションの形で決める。 |
準備不足へ対処 |
多数の銀行の集中で相殺や貸借取引の可能性を高める |
不足した場合に受信できることを事前の約束で確保 |
事後的か事前か |
事前に組織はあるが、調達は事後 |
事前に確保 |
例 |
決済システム、スポットのインターバンク貸借 |
クレジットライン、流動性ファシリティ |
これは、完成した銀行間組織の比較ではなく、そうした組織を形成する個別資本の行動の動機における分類である。
水平的な集中の例には、クリアリングハウスや全銀システム、短資会社が仲介するインターバンク取引などであり、債権債務の相殺やスポット貸借がされる。組織化のプロセスから言えば、各行は準備が不足すれば、他行に対して自行への受取や借入先を探すので、結果として水平的に集中した組織が生じる。実際にこの組織を使って銀行間で支払・受取や貸借をするのは、顧客からの支払請求や受取の後、つまり事後的である。
他方、分散した2者間での事前的対処の例には、クレジットラインや流動性ファシリティがある。これらは基本的にオプション型の契約であり、一方の側は受信する権利を事前に持ち、他方はそれに応じる義務を負う。実際に準備が不足する前にオプションの契約をするという意味で事前的対処である。この事前的対処の発展した形が中央銀行による与信の事前的な保証であり、日本銀行では補完貸付制度となる。
これらの組織化によって銀行業資本は、まず水平的に集中した仕組みに基づき、自行の支払いを自行の受取によって相殺できる可能性を増やす。次に、相殺の結果、自行が支払超過になれば、他行では受取超過になっている。そのため準備が不足すれば、準備が過剰となった銀行から借りることができる可能性が高くなる。さらに、事前的対処の措置があれば、準備が不足するときに他行から与信を受けて準備を調達できることがあらかじめ確実となる。
A.2 山口・吉田論争
山口の「将来の資金形成を先取りして現在の資金を創出」という説明はあらかじめ貨幣の概念を前提にしている。この概念的な意味で、信用に対する貨幣の先行性について、山口と吉田暁の間で論争があった。
吉田は「貨幣がまずあって,それが貸借されるのではなく,逆に貸借関係から貨幣が生まれてくる」という内生的貨幣供給説に立つが、山口は、貸借関係は貨幣の貸借関係だから、貸借関係に先行する貨幣概念をまず想定しなければならない、と批判した。貨幣とは何か、という説明において、貨幣は貨幣の貸借関係から生まれたものだと説明すると循環論に陥る。そのため理論的には「現金貨幣」が前提だとした(山口[2006]40-41)。
これに対して吉田は、現実には、本来の意味での現金貨幣は存在しない、と反論した。ただし同時に、「強制通用力をもつ不換銀行券(fiat
money)を信用理論の基軸にすえる『理論』」にも批判的だった(吉田[2008]24注3)。
A.3 内生と外生における2つの軸
このように吉田は貨幣そのものの説明を回避した。実際、内生的貨幣供給説は貨幣供給の説明であって、貨幣とは何かを論じるものではない(斉藤[2021]77,
82)。
他方で、マルクス経済学において貨幣とは何かという文脈で「内生的」とは、商品世界の中から貨幣が選び出される、あるいは貨幣が商品価値に基礎を置くという意味で使われてきた(山口[2000]240、小幡[2013]106など)逆に「外生的」とは商品経済的関係ではない外部から貨幣が導入されるという考え方である。この文脈を「貨幣の論理的な生成」とよぶと、貨幣の生成と供給の2つの意味において、それぞれ内生と外生があるため、表3の2×2のマトリクスとなる(Iwata[2024])。
表3 貨幣における内生と外生:2×2マトリクス
貨幣供給量調整 |
|||
外生説 |
内生説 |
||
貨幣の論理的な生成 |
外生説 |
①外生的貨幣供給説 |
③内生的貨幣供給説 |
内生説 |
②金属主義 |
④商品貨幣説 |
③内生的貨幣供給説としてよく取り上げられるMcLeay et
al. [2014]は、与信によって発行されるBank
depositsを貨幣の中心に置くが、Bank
depositsはFiat money
(Bank notes and Coins)への支払義務によって信認される(ibid.,11)としている。Fiat money自体の流通の根拠として挙げられるのは、社会的・歴史的な協約、政府による租税での受け取り、そして銀行券の偽造困難さである(ibid., 10)。このように説明されるFiat moneyは、商品経済の中から生まれてきたものではない、または商品価値を根拠に持つものではないという意味で外生的である。
ただし、内生的貨幣供給説には様々なバリエーションがある。貨幣の弾力的な発行を維持するためには、貨幣そのものが商品であってはならない、と積極的に外生説を主張する場合や、吉田暁のように理論的な規定を回避する場合もある。
本稿では以下、論理的な生成においても供給においても内生的な④商品貨幣説を論じる。
B.商品貨幣説に向けて
B.1 西川説:不換銀行券の商品的な根拠
西川元彦[1984]は、不換銀行券の債務の性格について、債務者の商品を根拠に説明した。簡単に言えば、まず、商業資本が産業資本から商品W1を商業手形で仕入れる。産業資本はその商業手形を市中銀行で割り引いて銀行券を得て、この銀行券で別の商品を購入する。市中銀行はこの手形を中央銀行に再割引して銀行券を補充する。銀行券を中心とした債権債務関係は次の図4になる。
図4 西川説における債権債務関係
商業資本 |
中央銀行 |
銀行券保有者 |
|||||
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
||
商品W1 |
手形債務 |
手形債権 |
発行銀行券 |
銀行券 |
純資産 |
西川が言うには、銀行券保有者が中銀に銀行券の債務の履行を求めると、(ア)中銀は商業資本が保有する商品を取り戻してその商品を銀行券保有者に渡す。しかし実際にはそのような回り道をせず、(イ)銀行券保有者は市場で商品を買うことで銀行券債権の弁済を受けたのと同じ効果を得る(同47-48)。
この説への批判はいくつかある(建部[2014]など)。たとえば(ア)への批判として銀行券は一覧払であるのに対して手形債務は期間付きなので、銀行が商業資本に対してすぐに債務の履行を求めることはできない。また、銀行券保有は貨幣としてどんな商品も買えることを望んでいるので、特定の使用価値の商品W1を受け取ることは望まない。(イ)については、債務は債務者が果たすべきなので、市場で商品を買うのは銀行が債務を履行したとは言えない。
しかしここで、商品的な根拠を活かす方向で西川説を再検討すると、(ア)の難点は、西川説が単純化のために債務者と商品種を1つにしたために生じている。しかし銀行が多数の債権を満期が連続に到来するように組み合せ、さらに商品種も{Wi}i=1,2,3…のように多数にすれば、銀行券保有者が欲する商品を引き渡せる可能性は高まる。ただし、中央銀行だけで使用価値の制約を無限に緩和するのは現実的ではない。
次に(イ)については、銀行券保有者が銀行に対して保有する債権とは、自分の望む商品と交換できる能力としての価値を得ることである。銀行への債務者が保有する多数の商品種の中に、銀行券保有者が望む商品があり、銀行券によって交換できれば、銀行は債務を履行したことになる。
B.2 最近の宇野学派の展開
B.
2.1 小幡による商品貨幣の再定義と不換信用貨幣
小幡[2009]は貨幣を図5のように分類した[1]。
図5 貨幣の分類
商品貨幣とは、通説では貨幣素材、つまりその商品体が流通する貨幣を指すが、小幡は「広義の商品貨幣」として、商品に内在する価値を基礎にした貨幣、と再定義した。商品貨幣には2つのタイプがあり、一つは商品体がそのまま貨幣の素材となった「物品貨幣[3]」、もう一つは商品価値が債権の形で自立化した「信用貨幣」である。そして商品価値の根拠がない純粋な表券貨幣は流通できない、とした(小幡[2009]44-48)。
B.2.2 小幡の価値形態論と信用貨幣
小幡の価値形態論は、小幡[2023]では大きく変化しているが、ここではそれ以前の小幡[2009]や小幡[2013]にそくして説明する。
まず簡単な価値形態で、たとえば、綿布の所有者が上着を欲して[4]、【綿布10メートル=1着の上着】と価値表現しても、上着の所有者が綿布を欲しなければ、交換はできない。
しかし、上着の所有者が茶を欲し、茶の所有者が上着を欲していれば、綿布の所有者にとって以下の間接交換の可能性がある。
綿布 → 茶 → 上着(綿布所有者が欲する商品) 〔間接交換1〕
この間接交換は綿布所有者にとって2つの方向に展開する可能性がある。第1に、綿布の所有者にとって、間接交換の媒介手段は茶でなくても他の商品でもかまわないので次の形になる。
綿布 → 【茶または鉄、小麦などなど】 → 上着 〔間接交換2〕
つまり間接交換の手段になることができるのは、「上着所有者が欲する商品」集合と「綿布を欲する経済主体の所有する商品」集合の積集合である。
第2に、綿布所有者にとって間接交換の媒介手段の茶は、交換可能性としてその価値のみが必要なので、茶の現物ではなく、茶の受取債権のみがよい。ここに、間接交換の媒介手段となる商品において、使用価値の制約が除かれ、商品価値の受取債権が信用貨幣となる萌芽がある。つまり次の形になる。
綿布 → 【茶の受取債権】 → 上着 〔間接交換3〕
ただし、この説明に対して、茶は事実上、貨幣になっているので兌換信用貨幣に過ぎない、という批判がある。しかし、この〔間接交換3〕の意義は、茶の「価値」のみが自立化する契機である。この契機を発展させるには、茶という特定の使用価値が後景化する必要がある。
B.2.3 岩田[2022]:商品集積体に基づく商品貨幣説
岩田[2022]は小幡[2009]に以下の点で拡張する。
1.〔間接交換2〕の複数種の商品を同時に所有[5]する主体Xを想定する。
2.〔間接交換3〕の債権を発行する主体Xは、自らの債務が他の主体によって等価形態に置かれるように行動する。上記1と合わせると、この債権は複数の種類の商品のうちいずれかを引き渡す商品券のような債務になる(小幡[2013]98)。
3.相対的価値形態の商品も債権になる。
以上を前提に、上記の綿布のように相対的価値形態にある商品をW1、Xが所有する複数の商品種を{WXk}k=1,2,3…とする。〔間接交換1〕は次のように発展する。
W1 → {WXk}のいずれかを受け取る債権 →
W1所有者が欲する商品 〔間接交換4〕
価値形態の展開のプロセスとしては、まずW1所有者は以下の価値表現をする。
W1 = {WXk}受取債権 (1)
ただし、XがW1の現物を欲せず、その債権の受取だけを望めば、次の形になる。
W1受取債権 = {WXk}受取債権
(2)
「W1所有者が欲する商品」の所有者が欲する商品が{WXk}にあれば、「W1所有者が欲する商品」の所有者は次の価値表現をする。
W1所有者が欲する商品 = {WXk}受取債権 (3)
こうして〔間接交換4〕が可能になる。
W1所有者のように交換を求める主体が他にも多数、存在するとして、その所有者たちが所有する商品の集合を{Wi}i=1,2,3… とする。その所有者たちによる価値表現は(2)の多数化として以下の形になる。
Wi受取債権 = {WXk}受取債権 i=1,2,3… (4)
Xのもとには、もともとXが所有する{WXk}の他に、{Wi}受取債権も加わる。両者を合わせるとXの下にある商品種は{WXk}∪{Wi}になる。その結果、式(3)は次の形になる。
W1所有者が欲する商品 = {WXk}∪{Wi}受取債権
(5)
こうなると、Xはさらに間接交換の媒介手段になりやすくなる。
価値形態の式は、宇野学派の方法では、相対的価値形態の商品の所有者が等価形態の商品を欲するので、等価形態の商品の所有者が交換を承認すれば交換が可能になる。W1所有者は、Xによって【W1受取債権={WXk}受取債権】が承認されれば、W1の使用価値の制約が解除され、W1は、価値量がW1と等しい{WXk}∪{Wi}受取債権となり、交換可能性が高まる。このときの、W1とXの関係をBSで表現すると次の図6になる。
図6 商品集積を基礎にした信用貨幣の発行
W1
所有者 |
X |
|||
資産 |
負債及び純資産 |
資産 |
負債及び純資産 |
|
{WXk}∪{Wi}受取債権 |
W1引渡債務 |
{Wi}受取債権 |
{WXk}∪{Wi}引渡債務 |
|
W1 |
純資産 |
{WXk} |
純資産 |
ここでXに対する「{WXk}∪{Wi}引渡債務」が信用貨幣になる。その裏付けとして{WXk}と{Wi}の商品集合が存在する。次に、{WXk}∪{Wi}受取債権を、「W1所有者が欲する商品」の所有者が受け取る関係までを含めると次の図7になる。
図7 商品集積を基礎にした信用貨幣の流通
W1 所有者 |
X |
|
「W1所有者が欲する商品」の所有者 |
||||
W1が欲する商品 |
W1引渡債務 |
{Wi}受取債権 |
{WXk}∪{Wi}引渡債務 |
|
{WXk}∪{Wi}受取債権 |
純資産 |
|
W1 |
純資産 |
{WXk} |
純資産 |
|
|
|
ここでXは商人と銀行を未分化に含んだ主体になっている。貨幣が成立しない理論レベルではXの価値増殖をいうことはできないが、以下の点でXは商品所有者としての利得を得る。
1.販売可能性、言い換えれば等価形態に置かれる可能性の高い{Wi}に対してのみ、自己の債務との交換を承認し、Xは自分の商品集合全体の販売可能性を高める。
2.{Wi}所有者との交換に受動的に応じることで、Xにとって交換比率を有利にできる。
この構造を銀行信用にそくしていえば、受信者が保有する商品{Wi}が将来、販売できる可能性を認め、{Wi}受取債権に対して、Xが{Wi}の価値値よりも小さい額面のX債務を発行する。
この方法は価値形態論において{Wi}の商品価値が抽出され、それがXの債務の形をとることを示す。ただし、Xは商人を銀行業者の性質を含んでおり、商品所有者としては過度の負担となるのが難点として残る。
B.3 商品貨幣説に基づく不換信用貨幣の構造
上記の図7を基にして信用貨幣の構造は以下のように示すことができる。
図8 信用貨幣の構造
まず信用貨幣は債務者のもとにある商品価値の集合によって裏付けられ(backed)ている。この集合は、債務者が商業資本の場合は商品資本であり、産業資本の場合は商品資本の他に生産能力が含まれる。労働者の場合には将来にわたって販売される労働力商品になる。ただし、これらの裏付け資産には、現在の会計基準ではBSには記載できないものも含まれる。
次に信用貨幣は信用リスクを吸収する自己資本によって補完(backstop)されている[6]。自己資本が不足するときには、他の銀行や政府機関によって外部から補完されることもある。たとえば預金保険や公的資金注入である。
図8のように預金通貨の裏付けは最終的に借り手の商品にあるが、預金通貨保有者は、借り手の商品に対して物権的請求権をもつわけではない。債権の連鎖のみがある。しかし、銀行が与信をする際には、借り手の商品が適切に売れるかどうかを信用調査で確認する。その際、銀行が自行の預金通貨保有者が欲する商品が借り手の資産に集中するように与信先を選べば、Wiの商品は、自行の預金通貨保有者が欲する商品となる。この商品を自行の預金通貨保有者が預金通貨で購入することで、自己完結的な構造が形成される。この自己完結によってあらゆる商品売買における貨幣取引はこの銀行と銀行システム内の預金債務の振り替えだけで完結する。この自己完結は図9で示される。
図9 信用貨幣と商品市場
B.4 商品貨幣説の2つの意味での内生的な性格
最終的に図8で示される商品貨幣説に基づく信用貨幣では、まず貨幣の論理的な生成では、使用価値に制約された商品価値を、制約されない貨幣に転換するという点で内生的である。次に貨幣の供給では、銀行への債務者のもとにある商品価値量に応じて、その販売可能性を根拠に貨幣量に転換できるという点で内生的である。
C.物品貨幣の諸問題
C.1 法貨規定
不換銀行券の流通の説明には法貨規定が強調されることがよくある。しかし物品貨幣でも法貨規定は必要である。現在の宇野学派の価値形態論によれば、一般的等価物を一つに絞り込む要請はあるが、商品所有者間の利害対立によって、市場の作用だけでは一つに絞り込まれない。一般的等価物、さらには貨幣形態の最終的な成立には、外的要因(山口[1985]27、小幡[2009]40など)が必要となる。外的要因の一つに、政府による法貨規定がある。
法貨規定や強制通用力とは、金銭債務の弁済時にその貨幣の受取を債権者が拒否できないという規定である。しかし「契約の自由」のため、法貨以外での契約を政府は禁止できない。また市場経済を前提にするならば、納税など政府への支払手段を特定の貨幣に指定するとしても、その貨幣で政府が購買するには、すでに市場で流通する貨幣を指定する必要がある。市場も貨幣も存在しない状態で徴税を課すには、かつての租庸調のように現物での納付が必要になるだろう。つまり、法貨規定というものは万能ではない。
C.2 物品貨幣の難点
従来の価値形態論で導出されるのは物品貨幣だが、それは秤量貨幣である。しかし物品貨幣は均一の質の貨幣素材を大量に必要とするため、そうした素材を生産する能力が未発達であれば、代理物を生み出したり、名目的な計算貨幣になったりする。
ポランニー的な歴史観ではBC3000年紀の古代メソポタミアは再分配国家で市場は社会に埋め込まれたものであり、貨幣はイマジナリーな名目的計算単位という考えになじみやすい。しかし明石
[2015]、Van der Spek
et al.[2018]、Silver[2007]などの研究は、再分配国家とは相対的別個に市場経済が存在し、銀が本位貨幣として実際に流通していたことを示している。ただ、生産力が未発達なため十分な銀が供給されないため、銀が名目的に計算貨幣化して、実際の支払いは大麦や錫などが代用されることがあった。また、秤量の不便を緩和するために、自然発生的に銀地金が特定の形状に加工されたり、袋詰めにされて封印されたりした。さらに都市国家による証明などが用いられた。その工夫の延長に鋳造貨幣がある。日本でも無文銀銭に同様の経緯がみられる(今村[2015])。
まとめ
貨幣の内生的性格については、論理的な生成と供給という2つの側面がある。最近の宇野学派の議論に基づけば「商品貨幣説」と「組織化論」がポイントになる。商品貨幣説では債権の対象となる商品の価値量が銀行の信用貨幣の量的な裏付けとなる。また、銀行の債務である信用貨幣の保有者が欲する商品が、銀行の債務者の資産として集積しており、これが信用貨幣の使用価値的な根拠となる。商品貨幣説とは、この価値と使用価値の両面を含む。
組織化論については、準備金の過不足への対処として水平的な集中と事前の受信契約がある。
現代経済分析の観点から言えば、商品の交換可能性としての価値を裏付けとし、自己資本によって信用リスクを吸収する仕組みとして信用貨幣の構造は、公式の規制下にある銀行の他にも様々なシャドーバンキングにも存在する。裏付け資産としては資産担保証券(asset-backed
securities)などがあり、補完としては優先劣後構造におけるエクイティや、超過担保(over-collateralization,
O/C)がある。外部からの補完には信用補完などがある。新たなナローバンキング(資金移動業など)にも適用可能である。また、仮想通貨や資金移動業についても、たとえばビットコインは裏付け資産がなく、価格が乱高下するが、テザーのようなステーブルコインには裏付け資産があり価値が安定し、実際に通貨として使用される。このような事例も、分析基準として活用できるだろう。
商品の販売可能性の面では、銀行は、自己の預金通貨の保有者が欲する商品を借り手の資産として数多く集積する必要がある。ここに、銀行が商工業に対して「浸透」する根拠がある。古典的には産業資本と銀行資本が融合した金融資本もあるが、事業サポートや経営指導などさまざまな形もあるだろう。
質疑応答
質問①
(質問要旨:この報告は、信用貨幣を価値形態論に組み込むことによって、マルクス貨幣論を「原理論」と「組織化」の範囲内で多様化・具体化する試みであると理解したが、背景としての問題意識を明らかにしてもらいたい。イネスやグレーバーの議論についての評価)
本報告の問題意識は、不換の銀行券は勝手に創出されるものではなく、商品価値を根拠としている点である。信用創造とは「無から有」の創出ではなく、銀行と銀行システムが、使用価値に制約された商品価値を、価値が制約されない貨幣へと引き出す仕組みだといえる。
イネスやグレーバーの負債論について詳しくないが、おそらく記録された信用が先にあり、その後、鋳造貨幣が始まった、という主張であろう。ポランニー的な歴史観によって、古代メソポタミアを市場経済ではなく再分配国家だとすればそう見えるかもしれない。しかし、実際には市場で銀が秤量貨幣の形で流通しており、秤量の手間を省くために硬貨という形がとられるようになったのであろう。また、生産力が未発達であれば貨幣素材が不足するので、大麦などの代替手段が使われたのであろう。
質問②
(質問要旨:報告者の貨幣論によれば現代における「価格」とはどのように理解されるのか? 現代のMEGA研究の成果の評価は? 現代をどう見ることになるのか? )
一つは「計算単位(unit of account)」をどうするのか、という問題であろう。具体的には「W1=WXK受取債権」の右辺の単位の問題になる。これは難しいところだが、Xが任意に計算単位を作るか、あるいはXの中の特定の一つの商品が名目的な計算単位になるかであろう。いずれにしても名目的な計算単位が設定される、と今のところ考えている。
次に、マルクスの原典研究の発展については、前提として宇野学派の方法では、マルクスの記述を論理的に再構成して原理論をつくり、その後に段階論を論じる。そのため、マルクスの原典研究がすぐに現代資本主義の分析に影響することはない。そのうえで現代の金融化を説明に「利子生み資本」を用いるには、そもそもその概念に問題がある。BSで言えば資本は右側(負債および純資産)の概念で、「利子生み資本」はおそらく左側の資産の概念である。つまり銀行業資本にとっては国債のような「擬制資本」は資産勘定となり、銀行券発行による「架空資本」は負債勘定になる。もともと宇野弘蔵以来、宇野学派では利子生み資本概念に対して批判的なことが多い。その結果、MEGA研究に基づいて利子生み資本から金融化を説く議論に対しては批判的になる。ただし、マルクスの原典研究については今後も学んでいきたい。
最後に、現代資本主義分析における貨幣論・信用論の意義について。19世紀の物品貨幣のシステムの後、世界大戦や大恐慌を経て、不換貨幣や中央銀行に基づく銀行システムができた。この伝統的な銀行システムの外側に、1980年代の新自由主義や規制緩和の時代に、仮想通貨や資金移動業など、いろんな貨幣システムができつつある。これらに対して、商品価値の根拠として商品貨幣説と、銀行間組織という組織化の概念が分析基準になるだろう。
質問③
(質問要旨:即時払い預金債務に対しては同時的な準備が必要ではないか? 価値形態論は交換手段形成論ではないのではないか?)
預金債務への支払請求について最も簡単に、自行から他行への支払請求が別の銀行への振り替えだと想定すると、自行の支払超過は他行の受取超過になる。ここで相殺システムやインターバンクの貸借システムという組織が発達していれば、さらに、信用リスクがなければ、支払超過と受取超過の銀行間で貸借がされるので、事前の準備がなくても問題はないというのが、山口や組織化論の議論である。中央銀行券での支払いや法定準備率があれば、金融が引き締まることがある。その場合には、金融調節として中央銀行が与信をする。その金融調節が必ずなされるという仕組みは、組織化論の観点からは「事前的対処」にあたる。ただし、その仕組みが円滑ではない場合に備えて、現実的にはある程度の準備は必要になる。
価値形態論と交換過程論の関係については、宇野弘蔵以来、交換過程論の要素を一部取り込んで価値形態論が作られている。つまり、価値形態での価値表現をする動機として「交換を欲求している」ことを論理展開の起動力にしている。ただし最近では宇野学派の中でも、交換欲求を起点とすることへの批判(小幡
[2023])などもあるが、ここではこれ以上はふれない。
質問④
(質問要旨:報告では銀行債務の裏付けとして借り手の商品価値とされている。しかし、預金債務の裏付けは、借り手が獲得する将来のキャッシュフローではないか)
質問⑤
(質問要旨:「岩田[2022]の方法では「商品」の中に「金融商品」を導入することができるか」
この2つの質問にはまとめて回答する。預金通貨は銀行の債務であり、銀行の債務は銀行の債権によって裏付けられている。銀行の債権は借り手の債務であり、借り手は事業活動を通じて在庫や、商品をつくる能力を資産として持っている。これが商品貨幣の価値の根拠になる。
もし金融市場だけに閉じた世界を考えれば、すべて金融的な債権債務関係の連鎖であり、キャッシュフローのアウトとインが連鎖しているだけ、となるだろう。しかし、金融債権と対応しない金融債務をもつ最終的な借り手を考えると、その借り手は自分の商品を販売してはじめて最終的なキャッシュフローは成立する。借り手が商品価値を得る根拠として、商品の他にも、商品を生産する能力、さらには知的所有権や社員権、非金銭債権など様々な財産権を資産に保有している。これらは図8の3つのBSの連鎖では、一番左の端にある借り手の資産である。これには現在の会計基準ではBSに載らないものもある。そのため商品貨幣説における価値の根拠を現物の商品で考えるだけでなく、もっと抽象的な商品価値としてとらえる必要がある。
参考文献
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小幡道昭[2009]『経済原論:基礎と演習』東京大学出版会
小幡道昭[2013]『価値論批判』弘文堂
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[1] 小幡[2009]
46に筆者が追記した。
[2]
この「兌換信用貨幣」の扱いは小幡[2023]に基づく。
[3] これは通説の「商品貨幣」にあたる。
[4]
相対的価値形態にある商品の所有者と欲求の導入は宇野弘蔵以来の方法である。
[5]
複数の商品種の所有と、等価形態の商品所有者の存在と行動の想定はさくら原論研究会[2019]にある。
[6]
back,
backstopという表現はAdrian and
Mancini-Griffoli[2019]とくにp.4,
p.6の用語を利用した。
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