現状分析研究者のための原理論
ここ数年、原理論の専門家と現状分析の研究者との合同の研究会を行ってきたが、問題意識を合同させるのは容易ではない。もちろん「耳学問」的に話を聞いたり、人間関係的に集まったりすることは可能だが、本当に理論として互いに必要としているのか、と追求してみると、常に遠心力が働いていることがわかる。
しかし結論を先に言えば、現在の原理論の水準に依拠すれば、資本主義経済の分析にとって原理論が必要だといえる。
信用貨幣と銀行業資本での例
たとえば、最近の原理論では「貨幣は商品貨幣として商品価値の裏付けを持つ」と主張する。そうすることで現実にも、中央銀行の不換紙幣は資産の側に商品価値をもつ信用貨幣だが、仮想通貨は持たない。そのため中央銀行の不換紙幣は貨幣として流通し、仮想通貨は貨幣として流通しない。仮想通貨が流通するには商品価値の裏付けをもつ、あるいは商品価値に裏付け持つ信用貨幣を裏付けに持つことが必要で、これは担保型のステープルコインになる。こうなるとMMMF(MMF)と同じで、振替の方法だけに特徴があることになる。振替の方法といえば、今の原理論では銀行業の流通費用を、信用調査費と貨幣取扱費に分ける。そして信用貨幣を創出する銀行業としては信用調査費の方が核心になる。これを現実の銀行業資本に投影すれば、銀行業資本にとって核心ではない貨幣取扱費に関する業務は○○ペイ、正確には資金移動業や電子決済等代行業がとって変わる部分が多くなっている。他方、信用調査費にかかわる部分は、調査そのものは一部のFinTech企業に委託されているが、信用調査の如何によって被るリスクは銀行が全面的に負っている。資本主義の組織化の時代には、銀行業への規制と保護で、信用調査費にかかわる業務と、貨幣取扱費にかかわる業務が一体化して、原理的規定における両者の相違が見えづらくなっていたが、新自由主義と規制緩和によって分離可能となることで、銀行業資本の原理的規定における核の部分が浮かび上がってくる。
このように流通できる貨幣の根拠、銀行業の核の部分は原理論の規定で論じられる。
労働での例
また、労働については、マルクスの時から、「労働とは人間の目的意識的な活動」と定義されている。最近の原理論では目的の設定や、目的の達成に至る生産手段の設定など、労働の定義がもっと精密化されつつある。こうした労働の説明は、ミクロ経済学の「労働とは貨幣を得る非効用」といったものとは全く異なる。労働における目的意識は複数の労働者の間で共有されることで協業が生まれ、管理主体の目的の中で生産手段を介して複数の労働者が結合されれば分業となる。分業によって与えられた作業の難易度の相違から複雑労働と単純労働が分岐し、それぞれの作業への習熟度の相違から未熟練労働と熟練労働へと分岐する。
労働を目的意識的活動と定義することで、資本主義の特徴である賃労働と、賃労働以外の労働も共通して定義することが可能で、資本主義の下での労働の変化を考えることも可能になる。また感情労働のように労働手段を持たない「純粋労働」ともいえる労働も目的意識の観点から考察可能となる
労働をこのように概念的にとらえなおすことで労働に対する考えが変わることは、原理論(経済原論)の授業の中で学生が最も実感を持って感ずることである。
機構論における組織化での例
機構論における最近の組織化の議論は、まとまりを欠いて拡張する傾向もあるが、体系的に整理すれば不確定な流通過程の委譲と利潤の分与の関係を整合的に示すことが可能になっている。そうして銀行業資本や商業資本の利潤の根拠を示し、利潤率の量的規定を考えることが可能になる。
原理論の側での立場
このように現実の経済分析に原理論を用いることは可能な部分はいくつもある。しかし、原理論研究は、現実経済への原理論の適用を忌避してきた。古く宇野弘蔵の時代には、原理論は19世紀のイギリスにおける純粋化傾向に依拠したものなので、19世紀以降の不純化した時代には適用できない、とされた。最近の小幡『経済原論』では「資本主義を捉える原理論は、いくつかの理論領域を関連付けることのほうに力点を置く。それぞれの理論領域を取り出して、現実の分析に当てはめようとすれば、きっと失望するだろう。それは⑴理論としては抽象的にすぎ、⑵適用する対象からみれば単純で狭すぎるからである」(12頁)とされている。また、研究会で原理論の専門家からよく聞くのは「現実を持ち込んで理論の代わりにしないため、現実を極力持ち込まない、抽象度を高める」といったことだ。かつての原理論では、19世紀のイギリスの現実を調べて理論を考える、ということが行われていたことを考えれば、そういった理論純化方針は当然あるべき姿だろう。
今後、ありうる方向の一つ
であればこそ、純粋理論の原理論とは別に、現状分析に使える原理論を示す、というのも一つの戦略だ。具体的には現代の特徴的な経済事象を原理的規定から説明する部分が連鎖して続く原理論となる。
内容としてはたとえば、流通論の領域では価値形態論では貨幣には商品価値の根拠を必要とすること。概念フレームワークの形で体系化された会計基準の財務諸表には資本の定在とその運動が現れている。それを原理論に基づいて把握すること。生産論の領域では労働の概念、労働組織や賃金形態の原理的規定と現代の資本主義における発現形態。機構論では技術や知識について地代論からの解明、商業資本や銀行業資本の現代のおける特徴と原理論における根拠など。なお、こういったことについて私は「現代資本主義」の講義の形でいろいろ試行してきた。
今後の原理論がどのような方向に進んでいくのか、また、その方向が複数に分岐するとすれば誰が何を担うのか、それは各自の自由だが、いずれにしても何らかの形で現状分析の研究者に原理論が影響を与えることが必要になるだろう。
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