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FRB(アメリカ連邦準備制度)の赤字(2025Q2まで)

以前「 FRB(アメリカ連邦準備制度)の赤字 」について 2025Q2 まで更新されたので、グラフを延長する。データ、出所などの説明は以前の記事を参照。 FRBの利息収入( 青い破線 )は2022からほぼ同水準で変動しているが、利息費用( 緑二重線 )が2023Q3から徐々に減少している。それ以外に債権(国債など)と債務(当座預金)の額を考慮する必要があるが、ここでは省略している。財務省への送金前の純所得( 赤い線 )の赤字はかなり縮小してきた。2025Q2も前期比べてわずかだか赤字は縮小し、銀行業資本として正常な状態に戻りつつあるといえる。 なお、用語の対応は、 総利息収入Total interest income、 総利息費用 Total interest expense 財務省への送金前の純所得 Reserve Bank and consolidated variable interest entities net loss before providing remittances to the Treasury 損失の場合は、 Reserve Bank and consolidated variable interest entity net loss before providing remittances to the Treasury   準備預金への利子率 Interest rate on reserve balances (IORB rate)

「間接交換」における相対的価値形態と等価形態の「逆転」:主観的な世界における信用貨幣の生成

 



マルクスが「展開された価値形態」を逆転させて一般的等価形態を導出したことを宇野弘蔵は批判した。

マルクスでは「展開された価値形態」は以下のようになり、


この左右を逆転させ、以下のようにリンネルが一般的等価物として導出される。

しかしそもそもマルクス自身が逆関係は両立しないとしていた(『資本論』WerkeS.93)。さらにリンネルについて逆転できるなら、他の商品を相対的価値形態において「展開された価値表現」も逆転可能で、一般的等価物が無数発生する。これが『資本論』初版の「形態Ⅳ」の問題である(『資本論』初版S.34

 このマルクスの方法を宇野は批判して、逆転させずに一般的等価物を導出した。具体的な例は以下の通り(前回の記事も参照)。


銀が一般的等価物になると、

一般的に言えば、商品Aiの所有者が等価形態に置く商品の集合をXiとする。ここでi{1, 2, n} 

 X1 X2 … ⋂ Xn という共通集合に属する商品は、すべての商品所有者から等価形態におかれるので、価値表現の式の左右を逆転させることなく、一般的等価物となりうる。

 この宇野の方法を引き継いでいる小幡『経済原論』では、マルクスのような逆転はない。しかしよく見ると、「展開された価値表現」にあたる間接交換のところで相対的価値形態と等価形態が逆転する。今回はそのことについて説明する。

 「間接交換における二つの価値表現 

 小幡『原論』の設定では、まず「簡単な価値形態」は以下の形になる

 リンネル20ヤール = 1着の上衣  …⓪

 これはリンネル所有者が1着の上衣を欲して行う価値表現である。

しかし上衣の所有者がリンネルを欲しておらず茶を欲している場合、リンネル所有者は、リンネルを欲する茶所有者に対してリンネルと茶の交換を行い、上衣所有者と交換する方法が考えられる。リンネル所有者にとっては、茶を媒介にする間接交換になる。リンネル所有者にとっては茶のような媒介物はなんでもいいので、媒介物を等価形態に置く価値表現では、多数の商品を等価形態に置くことが可能で、これは「展開された価値表現」となる(小幡『原論』38-39頁)。

 この論述は、実際にリンネルと茶の交換、茶と上着の交換、という形で商品同士の物々交換が順に行われると考えると疑問は浮かばない。しかし、そもそも価値形態論は商品所有者の主観的な価値表現であり、多数の商品所有者の価値表現によって価値表現の素材が統一され、貨幣が導出される、と説いてきた。そして貨幣が導出される前には商品同士の交換はされない。小幡『原論』の間接交換の部分でもまだ交換されていない。間接交換はリンネル所有者の考えである。

 そこで、リンネル所有者の考えの中に上衣所有者の行動までとりこんで、リンネル所有者の主観の世界の全体像を示すと次の図の形になる。






最初の価値表現①は以下の形になる。

 リンネル20ヤール = 茶4kg   …①

次に価値表現②では、「リンネルの価値量に基づく茶4kg」と「1着の上衣」との等値、となるが、どちらの商品が相対的価値形態で、どちらが等価形態だろうか?

 リンネルの所有者の主観で組み立てられた価値表現の体系なので、リンネルが相対的価値形態に置かされそうだがそうではない。茶は上衣所有者の欲求の対象なので、「交換を求める形態」で考えれば等価形態になるはずだ。つまり、価値表現②は以下の形になる。

上衣1着 = リンネル20ヤールの価値を体現した4kgの茶 …②

 この価値表現②を行う主体は上衣所有者である。しかしこれをリンネル所有者の主観の世界で構成すれば、リンネル所有者は「上衣所有者が価値表現②をするであろう」と見込んで、価値表現①をする。

 この2つの価値表現において、茶はいずれも等価形態に置かれる。他方、リンネルは価値表現①では相対的価値形態に置かれ、価値表現②ではリンネルの価値を体現した茶が等価形態に置かれる。つまりリンネルは①と②の2つの価値表現を通して、リンネルの現物としての相対的価値形態から、価値が抽出された等価形態へと移行している。

もう少し問題を見えやすくすると、間接交換ではなく、「簡単な価値形態」の段階でのリンネル所有者の価値表現は、上述のように次の形である。

リンネル20ヤール = 1着の上衣  …⓪

価値表現の式⓪と②を比べると、価値表現の左右が逆転している。上衣の位置は明確に逆転している。価値表現⓪はリンネル所有者が行い、価値表現②は「上衣所有者が高価値表現する」とリンネル所有者が想定する。リンネル所有者の主観の世界の内部で価値表現の主体が変化することで逆転が生じる。

リンネルの方は自力で移動したのではなく、茶という媒介物を借りて逆転した

上衣の場合も、リンネルの場合も、リンネル所有者の主観の世界の中で構成された逆転であり、マルクスの意味での逆転とは異なる。(ただし、マルクスの場合と同じ、として再構成を試みてもいいかもしれない)

 小幡『原論』の「間接交換」の記述では、上衣所有者による価値表現を含む2つの価値表現や、左右の逆転といった関係が明確ではない。しかし小幡「仮想通貨の貨幣性・非貨幣性」と合わせて読むと、これらの関係がみえてくる。ただし、こちらの方の論文は難解なので、私が理解した形で簡潔に説明する。

 

小幡「仮想通貨の貨幣性・非貨幣性」における二つの価値表現

上記の二つの価値表現に関連するのは、この論文で17頁の図、本文は17-18頁「価値物」で信用貨幣の「価値代表性」を論じる部分である。

論分におけるこれらの箇所での目的は、物品貨幣と並列的に発生しうる信用貨幣を論じることだ。「間接交換」とこの論文の商品名との対応は、リンネルがWA(所有者はA)、上衣WB(所有者はB)、茶WC(茶の所有者または引渡債務者はC)である。

リンネル所有者は、リンネルの価値を基礎に、茶の商品体を引き渡す債務(他者にとっては受け取る債権)を創­出する。この債務を等価形態において上衣所有者が、上衣の価値を表現する。茶を引き渡す債務(受け取る債権)は、リンネルの価値が茶の商品体(現物)の形をとったものとなる。

もともとはリンネル所有者が上位を欲する、という出発点が保持されているとすれば、価値表現の方向が逆転していることがわかる。つまり、リンネル=○○ が、上衣=△△ になっている。

論文では原理論の信用論における「受信のため与信」が「補助線」とされている。そこで、小幡『原論』227頁の図の記号と立場に対応させれば、リンネル所有者がA、上衣所有者がB、茶を引き渡す債務者がXである。債権・債務関係の連鎖として説明すると、リンネル所有者はまず次の価値表現③をする。

リンネル20ヤールを引き渡す債務 = 4kgの茶を受け取る債権  …③

続いて上衣所有者が次の価値表現④をする。

上衣1着を引き渡す債務 = 4kgの茶を受け取る債権      …④

「受信のための与信」の形に合わせると、リンネル所有者は上衣所有者との関係では、上衣を受け取るが見返りに自分の商品を渡さないという点で受信になる。他方、茶の所有者との関係ではリンネル所有者は、リンネルを引き渡すが見返りに自分にとって必要な商品を受け取らないという点で与信している。

ただし、この論文では(少なくとも17~18頁では)、価値表現は上衣所有者による価値表現④の一つしかない。もう一つの価値表現③は17頁の図にある「商品結合」の中に埋没している。しかし、この「商品結合」の内部にもリンネル所有者と茶との間で価値表現が生じるはずだ。

 

さらなる発展のために

 「間接交換」や信用貨幣の「価値代表性」では、能動的に作用する経済主体が複数、存在している。

ところで、宇野は価値形態論を、相対的価値形態の商品の所有者による主観的な行為として説明し、等価形態には所有者はいない、としてきた。

しかし「間接交換」や信用貨幣の価値代表性」では、等価形態に置かれた商品の所有者の行動が重要になる。

まず「間接交換」では、間接交換以前の「簡単な価値形態」では等価形態にあった上衣の所有者が、間接交換の価値表現②では相対的価値形態の商品の所有者になり、価値表現の能動的な主体となる。リンネル所有者は、上衣の所有者による価値表現②で、等価形態に置かれるような商品(茶あるいは茶の受取債権)を創出する。つまり、自分の商品リンネルの価値を抽出し、現物では茶という形を持つ商品に作り変える。これらはいずれも等価形態に置かれる商品所有者の活動が必要になる。

また、信用貨幣の価値代表性」でも、茶の受取債権が等価形態に置かれるが、その債権を作り出す主体が存在する。

 このように、宇野の方法を踏まえたうえで敢えて、最初の相対的価値形態の商品の所有者以外の経済主体を登場させるのは最近の原理論の特徴である。さくら『原論』の商品セットεの発行者の存在そうである(同28頁、 A:小麦90kg = 8ε の段階)。

 とはいえ、そもそも商品は「他人のための使用価値」なのだから、等価形態に置かれている商品であっても、他の経済主体から等価形態に置かれるように能動的に努力する経済主体が存在する、と想定するのは当然とも言える。

 ただし、間接交換の例に戻していえば、価値表現②で、実際の上衣所有者を登場させることは必要ない。必要なことは、リンネル所有者が上衣所有者の行動を予測する中で、複数の主体の相互作用を詰将棋のように主観的世界の中で組み立てることだ。

 

この続き

 「受信のための与信」は原理論の信用論では、第三者Xによる「受信と与信の媒介」へと続く(小幡『原論』230頁「媒介された信用関係」)。原理論をさらに進むと、この媒介が同一の媒介者のもとで多数、集積される。ここで信用論の「補助線」を外して、間接交換における債権債務関係の道へ戻ると、Cの下で、同一商品が債権と債務の両方に並ぶことがある。そうすると、C自身がもともと茶のような商品を持たずとも、間接交換を媒介することが可能になる。また、Cのもとに多くの種類の商品の受け取り債権が並べば、Cに対して茶の受取債権を持つ経済主体Bは、他の商品の引き渡し債権への転換という選択肢も受容できる。ここから債権債務関係による商品集積体を基礎にした信用貨幣の導出が可能になる。詳しくは以前の記事









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