価値形態における「交換を求める形態」と「評価を求める形態」

 

さくら原論研究会『これからの経済原論』の価値形態論では「交換を求める形態」と「評価を求める形態」が入れ替わりながら記述が進んでいくことを以前の記事で説明した。

 この記事では、これまでの価値形態についての議論において、「交換を求める形態」と「評価を求める形態」に相当するものがどのように取り扱われていたかを確認する。

 

マルクスにおける「評価を求める形態」

 マルクスは貨幣のない状態において、20ヤールのリンネルの価値の大きさを、何らかの他の商品の物量で表現する価値表現を価値形態論の出発点においた。これが簡単な価値形態である。なお、価値形態とは価値の形である。商品所有者の能動的行為としてみれば、商品の価値を表現する形態であり、所有者を後景化させて商品自体を見れば商品の価値が現象する形態となる。

 

20ヤールのリンネル = 1着の上衣

右辺の等価形態に置かれる商品はなんでもよい(「最も単純な価値関係は、明らかに、何であろうともただ一つの異種の商品に対するある一つの商品の価値関係である」『資本論』WerkeS.62

展開された価値形態では、20ヤールのリンネルの価値が他の無数の商品で表現される。 

 



等価形態に置かれる商品は無限に続く(S. 78)。マルクスの議論に乗れば、無限に続くこと自体に意義があるとともに欠陥もある。

マルクスによれば意義として、20ヤールのリンネルの価値が他の無数の商品で表現されることによって、20ヤールのリンネルはリンネルという特定の使用価値に限定されず、価値として示される。引用すれば「商品価値の諸表現の列のうちに、商品価値はそれが現れる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されている」(『資本論』WerkeS.77) 

マルクスによれば欠陥として、等価形態が未完成で、雑多な集合になる(S. 78)。

原理論として考えると、この方法の難点として理解しがたいところは、等価形態に置かれた商品は直接的交換可能性をもつ(S.70 )ということだ。等価形態に置かれる商品がなんでもいいのなら、リンネル以外の商品はリンネルに対して無条件にいつでも直接的交換可能性が与えられる。しかしそうであれば、貨幣は不要になる。たしかに商品は交換可能性としての価値をもつ。しかし、交換可能性には、直接的交換可能性と非直接的交換可能性があり、直接的交換可能性を集中するものとして貨幣がある。直接的交換可能性をリンネル以外のすべての商品に無条件に与える論理は間違いだ。宇野はマルクスを批判して、リンネル所有者が欲する商品を等価形態に置く、とすることでこの問題を解決した。マルクス自身が、貨幣とその他の商品について直接的交換可能性と、非直接的交換可能性との区別を強調した例はS.8224のプルードン批判にある。

なお、この難点について、宇野の方法を採らない大谷「価値形態」183頁では、価値形態で等価形態に置かれる商品は商品所有者の欲求の対象になっていることが前提であり、その前提は価値形態論の次の交換過程論で論じられる、としている。もしそうであれば、宇野の「交換を求める形態」と同じになる。

マルクスの方法は「交換を求める形態」と「評価を求める形態」の二つのうち、「評価を求める形態」に近い。ただし、マルクスの場合の出発点は、他の連関のない20ヤールのリンネルそのものだが、さくら『原論』の場合は、必ずしも交換に供せられない商品部分、という違いはある。

 

宇野における「交換を求める形態」

宇野はマルクスを批判して「交換を求める形態」一本で進んでいく方法をとった。その場合、

リンネル20ヤール = 1着の上衣

という価値表現では、リンネル所有者が自分の欲しい商品の欲しい数量(ここでは1着の上衣)を等価形態に置き、それに合わせて自分の保有するリンネルの中から一部を取り出して相対的価値形態に置く(宇野弘藏『新原論』23頁注1など)。「20ヤールのリンネル」ではなく、「リンネル20ヤール」という表現は、多数のリンネルの一部を取り出すことを意味している(らしい)。 



リンネル所有者が欲しい商品を多数並べていけば展開された価値形態となる。多くの商品所有者が等価形態に並べた商品のうちに同一の商品があれば、その商品は一般的等価物となり、それが固定すれば貨幣となる。商品所有者の欲求で等価形態の商品に並べられるので、展開された価値形態では等価形態に置かれる商品が無限に広がることはない。

 

 

この方法の難点は、一般的等価物や貨幣は、一般的等価物になる前に多くの人から欲求の対象になっていることが必要だということである。金のような物品貨幣を説くには難点とは思われないかもしれないが、物品貨幣を介することなく信用貨幣を説こうとすると大きな難点になる。つまり、特定の物品を兌換対象としない信用貨幣は、それ自体が欲求の対象になりえず、等価形態に置かれることはないからだ。

さくら『原論』でも、評価を求める形態として等価形態に置かれた商品セットが、代理物の証券になれば流通できるように書いてあるが、そもそも現物であろうが代理物の証券であろうが、それ自体が欲求の対象にはならないことが難点となる。


小幡『経済原論』における二つの形態

小幡『原論』は宇野の方法を踏襲しているが、展開された価値形態では間接交換の方法を用いるところが異なる。

つまり上衣の所有者がリンネルを欲しない場合、上衣所有者が欲する商品集合Xと、リンネルを欲する主体が所有する商品集合Yとの共通集合の商品は、間接交換の手段になりうる。


リンネル所有者にとっては間接交換の手段はなんでもいいので、間接交換の手段として多数の商品が、展開された価値形態の等価形態に並ぶ。多くの商品所有者にとってこうした共通集合の中に含まれる商品が一般的等価物となる。

この方法も「交換を求める形態」として、宇野の方法と同じ難点を持つ。一般的等価物の候補となるのは、間接交換の手段になる前に、多くの商品所有者が欲することが条件になるからだ。

小幡『経済原論』での価値形態論の進行は、「交換を求める形態」を前面に出して進みながら、その裏側で、必ずしも交換に供せられていない部分の資産の表現の発生も伴う(小幡『原論』42頁、小幡『価値論批判』40頁)。つまりメインは「交換を求める形態」であるが、貨幣が発生することで、すぐには交換に供せられない部分の価値も貨幣で表現される。「商品は、交換を求める側面を陽とすれば、資産としての側面を陰としてもつ。一般的等価物は、その固定化により、商品の交換性と資産性を、同時に表現する貨幣に転化する」(小幡『原論』42頁) つまり「交換を求める形態」を価値形態論の起動力にしながら、「評価を求める形態」も結果的に裏側で進行する。

「交換を求める形態」と「評価を求める形態」のまとめ

交換を求める形態

評価を求める形態

①先にある商品

何らかの量のリンネルがある

特定された量のリンネルがある

②量の決定

上衣の量が先に決まる

リンネルの量が先に決まっている

③調整される量

リンネル所有者の手元にあるリンネルの中から上衣1着にふさわしいリンネルの量を選んで取り出す。つまり、

19, 20, 21…ヤールのリンネル= 1着の上衣

リンネル20ヤールにふさわしい上衣の数を選ぶ。つまり、

20ヤールのリンネル = …1/2, 1, 2…着の上衣

④難点

等価形態に置かれるものは誰かが欲するだろうという使用価値の制約を逃れられない

等価形態に置かれた商品に直接的交換可能性が与えられる理由が不明のまま

以上の「交換を求める形態」と「評価を求める形態」の難点に対処しうる方法は以前の記事で試みた。





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