orの関係の商品集合体と信用論を用いて信用貨幣の発生を説く新しい価値形態論
0.はじめに
価値形態論の間接交換における第3者と、信用論における商業信用から銀行信用への展開で受信と与信を媒介する第3者は同じ構造を持っている。
価値形態論の最近の議論では、単一の物品貨幣を経ることなく、商品の価値から信用貨幣の導出を目的としている。また、信用論では、将来の貨幣還流の先取りによる現在の購買力の創出として信用貨幣論が従来から説かれてきた。両者がともに商品の価値を基礎とし、信用貨幣に至るのであれば、同じ構造となるもの十分に考えられる。
なお、商品集合体から信用貨幣を導出する方法はさくら原論研究会『これからの経済原論』にもあるが、そこでは複数の商品がandの関係となって商品セットを構成している。
この記事では、信用論での受信と与信を媒介する第3者の論理を価値形態論に持ち込んで、価値形態論を再構成する。その際、信用貨幣の価値の根拠は、多数の商品がorの関係で集積した商品集合体を根拠とする。
この記事の表題は長いので、以下では「新しい価値形態論」と簡略化する。また第3者は、「第3者X」と表記する。
A.新しい価値形態論の必要性
マルクスによる原理論である『資本論』では金こそが貨幣であった。しかし、その後、金本位制が徐々に廃止されていく中で、貨幣は商品価値に基づかず、政府の強制によって流通するfiat money(命令貨幣)になったとも言われる。しかし、中央銀行の貨幣は与信によって発行され、負債の側の貨幣に対応して資産の側に貨幣の裏付け資産が存在する。負債の側の貨幣と資産の側の裏付け資産という仕組みは市中銀行でも同じである。貨幣は与信によって発行され、発行者のもとにある貸付資産の形で商品価値の裏付けがあるので、fiat moneyとは言えない。
金が貨幣ではなくなった現代においては、金といった単一の物品貨幣を媒介せず、商品の価値に基づく信用貨幣論が必要になる。これは金本位制廃止が確定的となった頃から数十年にわたって論争の的となってきた課題である。
ところで「信用貨幣」という語はいくつか異なる意味で用いられる。
第一に、最も素朴なものは、金貨幣の受取債権が貨幣として流通する場合に信用貨幣となる、というものである。厳密に言えば、信用貨幣自体が貨幣とは言えずあくまでも貨幣は金である。これは従来の原理論の考え方だった。
第二に、小幡『原論』やさくら『原論』で試みられているもので、信用貨幣とは「商品価値が債権の形で自立化した貨幣」とされる。金貨幣のように商品の現物そのものが貨幣となる場合は物品貨幣とよばれる。信用貨幣も物品貨幣の商品の価値に基礎を置いている点でともに商品貨幣である。
ただし、小幡『経済原論』の価値形態論で説かれる信用貨幣は、将来の銀行による信用貨幣を先取り的に示したものなので、価値形態論の部分だけで完結して理解するのは難しい。
第三に、吉田暁の説明では「信用貨幣」とは、信用関係で発生する貨幣である。ここで「信用」とは第一の場合のような貨幣に対する信用ではなく、貸付・返済という一連の行為のことである。つまり与信という「信用」行為によって貨幣が発生する。この方法は信用論として優れているものの、貨幣論なき信用貨幣論であり、原理論から見ると限界がある。以前の記事を参照。今回の記事は「信用貨幣」を第二の意味で用いる。
B.価値形態論の学説史
B.1 マルクスの方法
マルクスは、価値形態論の初めの簡単な価値形態で、リンネル20ヤールの価値の表現として
リンネル20ヤール = 1着の上衣
(相対的価値形態) (等価形態)
という式を示した。両辺は対称的に価値量が等しいということではなく、リンネル20ヤールの価値量を上衣1着という量で示す、一方向の非対称的な表現である
全面的な商品経済では、多数の商品が存在するが、貨幣が存在しないため単一のモノを用いた価値表現はできず、リンネル20ヤールは多数の様々な商品とその量で表現されなければならない。
こうして「展開された価値形態」となるが、右辺は悪無限として拡張されていかざるをえない。
マルクスは右辺と左辺を顛倒させて、あらゆる商品が自身の価値量をリンネルによって統一的に表現するようになる、として以下の形で一般的価値形態を説いた。
しかしこれは左辺の商品の価値を右辺の商品の物量で表現するという、価値表現の非対称的な方法とは異なる。
この項で確認することは、マルクスの価値形態論の出発点は、リンネル20ヤールという特定の数量の商品の価値を多数の商品とその量によって表現する、ということである。また、マルクスは貨幣の導出には成功していない。
B.2 宇野弘蔵の方法
宇野弘蔵は左右両辺の顛倒を批判し、左辺の商品の商品所有者が右辺の商品を欲しているとした。全面的な商品交換の社会では、リンネル所有者は上衣だけではなく、多数の商品を欲するため、以下のように展開された価値形態となる。
先に右辺に欲しい商品とその量が設定されているので、左辺のリンネルの量はばらばらである。他方、マルクスの場合は、先に相対的価値形態に特定の量の商品、つまりリンネル20ヤールが存在し、その価値量を表現する、という順序である。
宇野の説明では、リンネル所有者以外の商品所有者も同様に展開された価値形態で表現していけば、多数の商品所有者から共通して右辺の等価形態に置かれる商品が現れる。これが一般的等価物となり、貨幣となる。
この項で確認することは、宇野の方法は、商品所有者が交換を求める論理で押し通されて貨幣が導出されるということである。
B.3 小幡『経済原論』の方法
小幡『経済原論』では次のようになる。リンネル所有者が上衣1着を欲しており、自分が所有するリンネルの集まりの中から20ヤールを取り出して、リンネル20ヤールの価値の大きさを上衣1着で表現する。リンネル所有者が多数のリンネルの中から20ヤールを取り出すということは、すぐには交換に供せられないリンネルが存在することになる。これが簡単な価値形態で想定されている前提である。
なお、小幡『原論』では貨幣形態まで導出された後、すぐには交換に供せられない商品部分についても資産としてその価値の表現を論じる。
次に、上衣所有者がリンネルを欲しない場合、リンネル所有者が茶を欲していて、茶所有者がリンネルを欲していれば、リンネル所有者はいったんリンネルを茶と交換して、茶と上衣を交換することができる。
その際、リンネル所有者にしてみれば、茶は現物である必要はなく、むしろ、茶の引換券の方が望ましい。上の右の図にある緑の線を茶の現物ではなく、茶の引換券と読み替えればよい。
こうして、「展開された価値形態」と「信用貨幣の萌芽」が明らかになる。まず、「展開された価値形態」としては、リンネル所有者が茶の他にも間接交換の手段となりうる様々な商品を等価形態に置くことで、展開された価値形態が発生する。
次に「信用貨幣の萌芽」としては、茶の引換券は、リンネル所有者にとって、他の商品と交換できるという、商品の価値の部分のみが抽出された存在になる。
なお、さくら原論研究会の『これからの経済原論』はすでに以前の記事で論じたのでここでは詳細は省略するが、注意すべき結論は、価値表現としての価値形態では「交換を求める形態」と、それとは別に、すぐには交換に供せられない商品部分に関する「評価を求める形態」の区別の明確化である。それと、andの関係で集められた商品集合体を示す証券(ε)が、多数の商品所有者から「評価を求める形態」で等価形態に置かれることで一般的等価物から貨幣になる、という論法である。
C.信用論での第3者による受信と与信の媒介
ここで商業信用から銀行信用への発展を確認しておく。信用論はまず、2者間の商業信用から始まる。商業信用が成立するには以下の二つの条件が必要である。①受信資本の保有する商品の販売可能性、つまり将来の貨幣還流の確実性と、②与信資本の側の貨幣的余裕である。受信資本における将来の貨幣還流が、与信資本にとっては不確かな場合、第3者による媒介で商業信用が可能になる場合がある。それは第3者が受信資本における将来の貨幣還流の確実を調査して、確かなものだと保証する場合である。そうすると第3者は与信・債権と受信・債務を媒介し、以下の形となる。
受信資本:債務-債権:第3者:債務-債権:与信資本
第3者の債務が広く信用されればそれは信用貨幣として広く流通することになる。銀行を基礎にした信用貨幣の構造については以前の記事も参照。
D.新しい価値形態論の前提
価値形態論を論理的に展開するには、論理的展開の出発点となる前提とその拡張を確認する必要がある。
D.1 従来からの価値形態論の領域において
①商品所有者が保有する商品には、交換を求める部分と、すぐには交換に供せられない部分が存在する。
この前提は小幡『原論』・さくら『原論』では左辺の相対的価値形態の商品所有者の商品についてだった。ここで新しい前提として、この二つの部分の区別は右辺の等価形態の商品においても存在、とする。つまり、上衣所有者のもとには、交換対象とされる1着の上衣以外に、すぐには交換に供せられない多数の上衣が存在するということだ。
②貨幣形態が生じるまで交換されない。
これはマルクス以来、共通する前提である。貨幣形態以前の価値形態は、相対的価値形態の商品所有者の主観的な価値表現にとどまる。この前提は、間接交換のように複雑な価値形態になると、忘れられがちとなる。
③等価形態の商品の所有者の行動をある程度、想定する。
宇野は相対的価値形態の商品の所有者の欲望を出発点にしたが、それと対照的に等価形態の商品の所有者の存在は後景化された。しかし、間接交換となると、媒介者の存在と行動を想定せざるを得ない。ただし、等価形態といった場合、3者の取引では2つある。㋓リンネル所有者が間接交換の手段(茶)を等価形態に置く段階と、㋔最終的に上衣を等価形態に置く段階である。
㋓の段階では、等価形態に置かれる間接交換の手段となる商品所有者は存在せざるを得ない。小幡『原論』では茶の所有者が茶の引換券を発行する。さくら『原論』では茶の引換券の位置に商品セット証券εがあり、その証券εを組成する主体が存在する。ただし、両方の『原論』でも、㋔の段階では、最終的な等価形態の所有者は積極的に表に出てこない。
しかし新しい価値形態論では、最終的な等価形態の商品所有者の存在と行動を想定し、その商品所有者のもとにも、交換に供せられない商品が存在する、と前提する。ただし、これは相対的価値形態の商品所有者と同じ想定なので、前提の拡張はさほど大きくない。
D.2 信用論を価値形態論に持ち込むことで生じる前提
④等価形態の商品の所有者は、見返りの商品を受け取ることなく、自分の商品を引き渡すことができる。
まず2者間の商業信用の成立の条件は、㋕受信資本の保有商品の将来における販売可能性と、㋖与信資本における貨幣的余裕である。
㋖を価値形態論に即していえば、最終的な等価形態に置かれる商品(上衣)の所有者は、上衣を引き渡したとしてもすぐに見返りの現物の商品の引渡を要求するわけではない、となる。つまり、小幡『原論』の間接交換の例では、上衣所有者は茶の引換券を受け取っても、すぐに茶の現物を請求するわけではない、ということだ。上述のように、上衣所有者の保有商品には、すぐには交換に供せられない部分があり、その部分に対しては、自分の商品(上衣)をすぐに引き渡したとしても、その見返りの商品はすぐに受け取らないこともできる。これは商業信用を価値形態論に導入すれば当然の帰結である。というよりも、最初にリンネル所有者から等価形態に置かれようとした上衣の所有者は、積極的に茶を入手しようとはしていない。なぜなら、もし上衣所有者が積極的に茶を欲するならば、自分で上衣を相対的価値形態に置き、茶を等価形態に置く価値表現を自分で行っているはずだ。上衣が受動的に等価形態に置かれていることは、上衣所有者は、茶の引換券を受け取ってもすぐには受け取りを行使しないことを意味する。
⑤間接交換の手段を提供する主体は、債権と債務を媒介する。
前項の結論から導き出されることだが、リンネル所有者は第3者が発行する茶の引換券を等価形態に置くが、その引換券が上衣所有者に渡ったとしても、すぐに交換請求されるわけではないので、第3者は茶を所有しなくてもよい。これは小幡『原論』とは異なる想定である。
価値形態論の間接交換における第3者は、小幡『原論』では茶の所有者であり、リンネルを自分の使用のために欲することを前提にしている。しかし、商業信用の展開における第3者はあくまでも媒介である。そこで、価値形態論における第3者を媒介者の地位に置くとすれば、第3者はリンネルを自己消費するわけではなく、茶の現物を保有するわけでもない。この第3者は、リンネル所有者からの価値表現においてリンネル受取債権を持ち、茶の引渡債務を負うとなる。
第3者 |
|
資産 |
負債 |
リンネル受取債権 |
茶の引渡債務 |
⑥最初の相対的価値形態のリンネルは誰かによって、等価形態に置かれるだろう、という確実性を認めることである。
第3者Xにとってはリンネルが、さらに別の経済主体から欲せられることが確実である、と調査する必要がある。第3者に対して何らかの債権を持つ主体が、リンネルを欲すれば、第3者にとっての債務が弁済できるからである。
D.3 価値形態論と信用論における第3者による媒介のまとめ
ここで、価値形態論の間接交換における第3者と、信用論における受信と与信の第3者を比較してみよう。
|
|
信用論 |
価値形態 |
第3者X登場の根拠 |
① |
2者間での商業信用の困難 |
2者間での欲求の正反対での一致の困難 |
第3者Xを介した関係の成立の条件 |
② |
受信資本の保有商品の販売可能性 |
リンネルが誰かにとって欲求の対象となり等価形態に置かれること |
③ |
与信資本の貨幣的余裕 |
Xへの債権者がすぐに対象商品の受取りを請求しないこと |
|
第3者Xの役割 |
④ |
貨幣債権と貨幣債務の媒介 |
リンネルの受取債権と茶の引渡債務の媒介 |
第3者Xの発展 |
⑤ |
多数の貨幣債権と貨幣債務の媒介 |
多数の種類の商品について、債権と債務の媒介 |
③について補足すると、上述のように、等価形態に置かれた商品にはすぐに交換に供せられない部分があるので③の状態となる。またを「行く先論アプローチ」として銀行の信用貨幣の観点からみると、銀行の発行する信用貨幣は支払い請求が一定にとどまることで初めて成立する仕組みである。さらに言えば、銀行による貨幣発行を持ち出さずとも、貨幣はつねに購買に向けられるわけではなく、一定部分が蓄蔵状態にあることが前提である。
E.orの関係の商品集合体に基づく価値形態論の内容
実は以上の前提の拡張の中に、その前提から展開される内容もすでに含まれている。
E.1 間接交換における第3者Xのもとでの商品債権と商品債務の集積
リンネル所有者は、自分の欲する上衣の所有者がリンネルを欲しない場合、上衣所有者が欲する商品(茶)を引き渡す債権を等価形態に置く。リンネル所有者は相対的価値形態の商品をリンネルからこの債権に置き換える。つまり、
リンネル20ヤール = 1着の上衣
をやめて
茶4kgの受取債権 = 1着の上衣
とする。
この表現は、自身の商品リンネル20ヤールの価値を、茶4kgの受取債権の姿を借りて、その債権を通じて間接的にリンネル20ヤールの価値量を1着の上衣で表現する。この2重の価値表現の関係は小幡「仮想通貨の貨幣性・非貨幣性」「図2 価値物の構成方式:物品貨幣型と信用貨幣型」17頁の内容におそらく相当する。
第3者Xは自身に対する債権の対象となる商品がすぐに請求されなければ、多数の商品の価値表現を媒介できる。
ここで、論理展開の見通しをよくするための単純化として、特殊な想定を置く。それは、価値表現の媒介として多数の債権債務関係が同じ量の価値量で創出される、という想定である。
たとえば、以下の二つの価値表現があった場合、
(1),(2)それぞれ中での価値量の関係を考えることはできるが、二つの式をまたいだ価値量の関係を考えることはできない。二つの式をまたいだ商品間の価値表現を行う主体がいないからだ。
しかし上記のように特殊な想定を置くと(1)と(2)にある4つの商品の価値量は等しくなり、この先の論理展開はかなり容易になる。その場合、この第3者の債権債務関係は以下の通り。なお、価値量がすべて同じであれば、それぞれの商品の量(単位数)は問題にならないので省略する。
資産 |
負債 |
商品WA1の受取債権 |
商品WB1の受取債権 |
商品WA2の受取債権 |
商品WB2の受取債権 |
商品WA3の受取債権 |
商品WB3の受取債権 |
商品WA4の受取債権 |
商品WB4の受取債権 |
… |
… |
… |
… |
商品WAnの受取債権 |
商品WBnの受取債権 |
WBjの債務に対して、同じ種類の商品が債権にあれば、第3者Xは債務を直接的に弁済が消滅できる。しかしそうした商品の有無にかかわらず、第3者Xは、WBjの債権者に対してXが債権として保有する商品WA1~WAnの中から選ばせる選択肢もある。上述のように、WBjの債権者にとって、商品WBjは、自分の商品の中ですぐに交換に供せられない部分を等価形態として、他者が相対的価値形態に置いたものなので、必ずWBjでなければならないわけではない。また、第3者Xは債権の対象の商品としては、できるだけ誰かに欲せられる使用価値の商品を選んでいる(信用論における信用調査に相当)わけなので、WBjの債権者はWBj以外の商品を選ぶことがありうる構造になっている。したがって、第3者Xにとっては、WB1引渡債務に対して以下の価値表現になる。
これはマルクスが展開された価値形態の左右両辺をひっくり返した「一般的価値形態」になる。縦に並べると煩わしいので、横に並べると
{WA1, WA2, WA3, …
WAi,
…WAn} = WBj
となり、第3者Xにとってすべての債務が同様に表現されるので、
{WA1, WA2, WA3, …
WAi,
…WAn} = WB1
{WA1, WA2, WA3, …
WAi,
…WAn} = WB2
{WA1, WA2, WA3, …
WAi,
…WAn} = WB3
……………………
{WA1, WA2, WA3, …
WAi,
…WAn} = WBn
E.2 第三者Xに対する債権の流通
Xに対する債権保有者は、すぐには交換に供せない自身の商品の価値量に相当しうる額は、Xに対する債権として保有が続く。そしてその債権は、第3者Xが資産として保有する多数の商品のいずれかに対する受取債権である。
そうであれば、その債権の保有者はXに対する特定の商品の請求ではなく、Xに対する債権を相対的価値形態に置いて、他の商品所有者の商品を等価形態に置く価値表現を行うことも可能である。つまり、
Xに対する債権{WA1, WA2, WA3, …
WAi,
…WAn} = 商品WC1
逆に、Xへの債権が等価形態に置かれることもありうる。それは特定の商品を入手する手段として、つまり「交換を求める形態」の場合もあるし、すぐには交換を求めない商品部分についての「評価を求める形態」の場合もありうる。
商品WC2 = Xに対する債権{WA1, WA2, WA3, …
WAi,
…WAn}
E.3 そもそもXは何なのか?
結論を先に言えば、商人資本と銀行業資本を含めた市場関係全体を包含した存在である。全体として相互に依存しあう資本主義的市場経済の仕組みの多くの部分を論じないまま、その一部を、部分的に論証し始める価値形態論においては、後で明確に概念化される要素が未分化のまま混然とすることは避けられない。
ただし、もう少し積極的にいえば、商品経済的関係の初めの一歩を踏み出した個別の経済主体にとっては、自分の商品を取引相手が、自己消費のために欲するのか、転売のために欲するのか、債務の裏付け資産として欲するのかはわからない。したがって、Xは特定の経済主体には同定されず、商人資本と銀行業資本を含めた市場関係全体を包含した存在となる。
F.この次に必要なこと
ⅰ)上記のように「価値表現の媒介として多数の債権債務関係が同じ量の価値量で創出される」という特殊な想定の解除である。ただし、これまでの価値形態論でも、多数の商品間での価値量の整合的関係は必要とされているようにはみえない。
ⅱ)他の学説との関係。ここでの論考は、実は、西川元彦[1984]『中央銀行』の説と共通性がある。
ⅲ)価値形態論の目的の変化。というよりも心構えの変化である。かつての価値形態論は「貨幣の謎を解く」という、資本主義の深奥を明らかにするものであった。資本主義の「本質論として原理論」の出発点にふさわしいものだった。資本主義の確立期には資本主義の本質を明らかにすることはほぼ唯一の課題だろうが、19世紀初頭の資本主義の確立から約200年経ち、資本主義も貨幣の形もさまざまに展開してきた。資本主義的な商品と市場の特性、商品所有者の行動様式など前提を明確にして、パズルのように論理的に構成していけば、価値形態論が展開して貨幣が導出される。これは行動論的アプローチとなる。
ⅳ)現代の貨幣の分析の基礎。商品の集積体があって、その集積体からいずれかの商品を受け取る債権が貨幣という論理からは、俗にいう「ポイント」、専門用語では「カスタマー・ロイヤルティ・プログラム」が信用貨幣と共通性を持つことを考察できる。また、クレジットカードや○○ペイといった資金移動業や電子決済等代行業が多数の加盟店を擁する必要は、信用貨幣は商品の集積体を必要とすることとして把握できる。
ⅴ)相対的価値形態の商品所有者の主観からの再構成。第3者X、等価形態に置かれた商品の所有者などいくつかの経済主体の行動が登場するが、価値形態論は相対的価値形態の商品所有者の主観的な価値表現である。その観点から全体を再構成する必要がある。これは行動論的アプローチに徹するということである。
(終わり)
コメント
コメントを投稿