資本主義経済の中に生じる非商品経済

 


非商品経済とは資本主義の発生期においては、資本の活動や広く市場経済への制限であって、これが幼稚な状態にある資本を保護育成したり、逆に、資本のさらなる成長にとって阻害になったりする。

宇野弘蔵の段階論では、この非商品経済的要因と、市場経済あるいは資本の活動との関係が、資本主義の段階論の重要な契機となっている。たとえば帝国主義段階論では  19世紀末から、保護関税など国家の介入という非市場的な要因が増える。国家による経済過程の介入は1930年代以降、決定的となり、ここから「国家資本主義」や「現代資本主義」となる、という人たちも昔は多かった。こうしてみると非商品経済とは、封建制や帝国主義 と違いがあるにせよ、主に国家を指していた。なお、ここでは商品経済と市場経済を同義としておく。

 

原理論に現れる非商品経済

しかし、問題はここからである。 現代の宇野理論の原理論(経済原論)をよく見てみると原理論のレベルでも非商品経済がいくつか見られる。

 まず一つは 「労働組織」である。労働者自身は労働力商品として買われる商品であるが、一旦買われた商品を使う生産過程の内部では、労働組織は商品経済ではない 。

 次に2つ目として、 労働者の「生活過程」がある。たとえば「生活過程は、地域社会など拡大された場で、多様な社会関係を結ぶことで営まれている。資本主義のもとでも、この生活過程について、特定の標準形を想定することはできない。オープンにしておくほかない領域である」(小幡『原論』173頁)と言われる。これは「開口部」とされることもある。この記事を参照。

 第3に、最近の市場「組織化」論では、不確定な流通過程に対処するための複数の資本の間で、継続的な売買関係や、あらかじめ契約された信用取引という関係が重視される。なお、組織化も商品売買であり、利潤を追求する行動の一環であることは確かだが、そのうえで不確定な流通過程への対処として、複数の資本の間で一定の非商品経済的な関係が生じている。これは部分的に同一資本内に収まる関係である。つまり市場での活動から生じる非商品経済的な関係である。(岩田[2020経済学原理論における「市場機構」と「市場組織」 : 流通過程の不確定性と利潤率均等化の観点から」) 

 

段階論との関係:19世紀末からの組織化の地代

固定資本が巨大化する19世紀以降、企業が巨大化すると、内部の 非商品経済的な関係が顕著に現れる。

1の労働組織の観点からは、企業の巨大化で非商品経済的な労働組織の編成が目立つようになる。かつて、制度派の労働経済学者にはこれを「雇用官僚制」と表現する人もいた。日本的な労使関係 といわれてきたものも、 多くは このことを表現している 。

2の労働者の生活過程には、 かつての農村共同体もあれば、ギルドにも起源を持つ労働者間の共済組合の関係もあり、さらには国家の再分配によることもある。19世紀末以降の企業の巨大化では、企業内部で『会社荘園制―アメリカ型ウェルフェア・キャピタリズムの軌跡』ともいわれるように、企業福祉が中心になることもある。企業福祉も賃金の一部と割り切って考えることもできるが、それ以上の要素があることを否定するのはこの時代の資本主義の特徴を見逃すことになる。非商品経済的な生活過程はいつの時代にも様々な形で存在し、それぞれの時代を特徴づける。

3の市場機構の組織化では、19世紀末以降、巨大企業のカルテルや下請けの系列化、さらに流通系列化や再販売価格制度などが盛んに行われた。1930年代からの政府による市場への介入もこの組織化の流れの中で行われたと考えるべきだろう。

最後に、この時代には、経済はコントロール可能だ、というイデオロギーが共通して貫かれている。資本主義経済においてはケインズ主義や、社会的市場経済、資本主義の外側には国家による計画経済型の社会主義として現れた。

1980年代以降の新自由主義の地代

 1980年代以降の新自由主義は、こうした非商品経済的な組織や制度に市場経済的な要素が導入される。

労働組織で言えばたとえばアウトソーシングであり、その極端なものがギグワーカーになる。なお、アウトソーシングでもギグワーカーで協業と分業の基本的な関係がなくなるわけではない。分業の在り方が作業場内分業から社会的分業へと変化した。

生活過程においては、国家の再分配では組織化の時代には直接国家が運営したが、新自由主義の時代には介護保険制度のように国家の再分配の中に市場経済を導入することもある。

新自由主義の時代には、従来の組織的な意思決定を分解し、競争的な市場秩序を導入し、分散的な市場参加者による意思決定へと転換するというイデオロギーが共通して貫かれている。

 

市場vs国家、国家による経済過程への介入、といった単純な図式は最近ではもう役に立たないだろう。マルクス経済学としては、現実に生じた変化を横目でにらみつつも、原理論のレベルで必然的に生じる非商品経済的な要素をしつこく探求している必要があるだろう。

これはたぶん、「開口部」では間に合わないと思う。それよりも、山口重克氏がブラック・ボックスとして羅列したことを検討してみる方が近道のような気がする。


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