東経大学術フォーラム:貨幣の報告での質問・感想について

 


 学術フォーラムの貨幣の報告での質問・感想についての結城氏の回答は質疑応答のページあります。

 以下、このブログ記事には私(岩田)の(勝手な)意見を書いておきます。以下の回答は結城氏の見解とは関係ありません。報告に対する反対論も書いています。

 文体が失礼な書き方になっているところもありますが、丁寧に書くと無限に時間とスペースが必要なのでご容赦ください。

 

◆スライド23についての質問です。資産の複数商品の価値に対応する債務証書が現代の信用貨幣(不換紙幣)の根拠となるという理解でよいのでしょうか?

何に対する「根拠」だろうか? 価値量に関する根拠であればそうかもしれないが、このスライドは交換可能性については説明できていないだろう。

 

◆「(プログラム掲載スライド34)「商品論において、商品と財を区別した甲斐がない」と述べられているが、商品と財との区別の中味は、他人のために役立つ=交換を前提とするもの、すなわち使用価値だけではなく価値(交換価値)を持つもの(commodity)と一般的にただ漠然と役立つ使用価値を持つもの(goods)との違いを指摘したもの――商品⊂財――と考えるだけではダメですか?

←このスライドの「商品と財」の意味は文脈として、スミスやメンガーのような、交換の手段としてだけ貨幣を見る見方へ批判として意味がある。価値形態論では貨幣となる商品が、価値そのものを体現するようになるところに商品貨幣論の意味があるのだろう。

 

◆「兌換停止の制度化・無期化」は重大な問題だが、詳しい説明がない。もしそうだとすると、物品貨幣の兌換信用貨幣と、初めから兌換のない信用貨幣とが連続的につながってしまうのではないか。または、それでいいのか?」

←「兌換停止の制度化・無期化」の正確な定義が必要。この表現は兌換が前提にあって、兌換停止の状態が認められた、あるいは兌換が延期されて無限に引き延ばされたという意味に見える。変容論では「不換信用貨幣は初めから兌換がない」と説くべき。「兌換停止の制度化・無期化」という表現は誤りだろう。

 

◆「①貨幣のかたちに二つのタイプがあるという議論を敷衍すると、「信用貨幣」のもとで営まれる現代の資本主義は、資本主義の代表的なタイプの一方が出現しているという理解でよいでしょうか。②資本主義の歴史的発展に限定するとして、16世紀以来、途中何度かの中断を挟みつつも、「物品貨幣」を貨幣のかたちとする資本主義のタイプとは異なるタイプが、現代の資本主義である理解してよいでしょうか。③貨幣のかたちから見ると、資本主義は、過去500年間持続したタイプから、20世紀末以降もう一つのタイプに変わったように見えるのですが、この点、どのようにお考えでしょうか。」

←①の質問はそれでよい、正しい。②③について「過去500年間持続」ということではないだろう。経済史的に深入りできないが、物品貨幣が成立するには金の純度の保証できる技術の前提が必要である。小幡12月講演「さまざまな貨幣を理論的にとらえるには:変容と多態化」参照) そうした技術のない時代には、貨幣の額面と、その額面が意味するはずの金属価値とのずれが不断に生じ、貨幣は混乱するのが常態だったはず。

 

◆「ただし、複数種の商品のバスケットの価値に対する請求権としての証券が等価形態に置かれるための条件が多い」(スライド22)とあるが,この条件をもっと特定する必要がある。さしあたり信用機構はその条件になると考えるが,「商業信用ベースの金融債権の集中」(スライド23)を入れることは難しいと思う。商業信用は「後払い」の取引であり,「後払い」されるのは貨幣だから,商業信用は貨幣概念を前提する。貨幣概念を前提する取引を,貨幣導出の条件につかうことはできない。複数種の商品のバスケットを信用貨幣の萌芽として位置づけるためには,商業信用→銀行信用という従来の信用機構論の論理構成を棄却しなければならないと思う。

←この意見に特にコメントはないが、スライド48の山口-吉田論争と同じ問題である。

 

◆「マルクスの資本論第1巻の商品論における貨幣論は、価値の実体として労働を前提したものであり、他方で、第3巻の総過程論では、信用機構・中央銀行論はほとんど展開できていない。原論体系においては、純粋な流通形態としての貨幣形態の生成を規定するものであり、いわゆる総過程論で信用機構・中央銀行論においてあらためて「通貨論」として論じる必要がある。こうした区別がなされていないように思われるが、どうか?」

←そういう区別をするべきではない、というのが今回の報告の趣旨です。上の意見も同じ趣旨。しかし、まったく伝わっていない人もいるようです。なかなか議論が難しい。

 

◆複数諸品による価値表現から証券、そしてその発展形態としての信用貨幣が導かれる。(スライド21)信用貨幣が流通するためには発行主体として銀行が必要になります、銀行は商品貨幣論から見たとき、外的要因になるのでしょうか。

 外的要因ではありません。ただし、質問の問題意識を正しく言えば、商品貨幣論から見た場合、銀行という主体は抽象化される、というべき。あるいは銀行は以下の構図になるが、

 これを抽象化すると、銀行と経済主体1の再建債務関係が抽象化(圧縮)されて次のようになる。

 小幡『経済原論』47頁をがんばって読んでください。

 

◆「スライドを読むと、中央銀行は原理論の外部に位置づけられ、外的条件として処理されると思われます。その場合、中央銀行に対する理論的説明やその意義についてはどのように理解すれば良いでしょうか?」

←今回の報告もそうだが、商品貨幣論では銀行システム全体を抽象化して一つ銀行であるかのように論じている(上の質問と回答のように銀行自体も抽象化されるが)。

抽象度を下げることによって複数の銀行からなる銀行システムへと話が進む。銀行が垂直間に分化すれば中央銀行が出る。平間に分化すれば中央銀行は出ない。抽象的に一つに銀行が抽象度を下げることで水平間と垂直間に分岐する。これが「変容論的アプローチ」である(小幡『経済原論』242-243頁)。今目の前に現存にする中央銀行を絶対視することなく、変容しうるものとして、理論的に考える必要があるというのが、現代の理論の原理論の研究者が訴えたいことです(私は原理論の研究者ではありませんが、たぶん、そう訴えているのだと思う)。

 

◆「MMTについて、今回の報告との関連があれば述べて欲しい。」

MMTは中銀・政府の統合勘定となるが、MMTの論者は、その資産に「ジェット機」や「爆弾」を入れることがよくある。そんなものは消費して消えていくので商品価値は皆無である。

MMTや仮想通貨はよく質問を受けるので、バランスシートで考えてみよう。

     政府           中央銀行      民間銀行      一般の経済主体

ジェット機

爆弾

国債

 

国債

準備預金

 

預金通貨

要求払い預金 

 

要求払い預金

 

 

政府と中央銀行の「統合政府」    民間銀行      一般の経済主体

ジェット機

爆弾

準備預金

 

預金通貨

要求払い預金 

 

要求払い預金

 

MMT(「現代貨幣理論」)は、最終的な資産の該当部分に商品価値の基礎がない。ここが商品貨幣論と根本的に異なる点。 

「統合政府」と考える人は、なぜ政府が直接に自分で貨幣を発行せずに、銀行が与信という形で貨幣を発行するのか、まずはその理由を考える手がかりにしてください。

  

◆「財務省の2002年の公式見解「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」について、どう考えるか。https//www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm

◆「報告者は,「元本が借り換えで返済されているという点より,利子がきちんと返済されている点が重要」と発言したがそれが重要だと思う。国債はあくまで商品だというためには,国債に価格がつく前提として利子が必要だと思う」

←国債は元利払いが続いており、デフォルトしていないしその危険をだれも感じていない。その点で信用貨幣の価値の裏付けとしての資産に相当する。というよりも、誰かが債務を負わなければ信用貨幣はこの世から消えてしまう。元利払いを続けることができる債務者が存在することが信用貨幣の前提である。もちろんそれは政府だけでなく、非政府の経済主体の債務でも同じ。

以上が原則的な回答だが、利子を払うには国債を増発せねばならず、現在の国債は中銀の買い支えで初めて金融商品になっていうるのではないか? と言われるともう少し考える必要がある。

 

◆「コメンテータの海先生の疑問点(5)原理論において複数種商品と兌換できる「債務証書」が不換銀⾏券(現代の貨幣)の抽象形態として位置づけられる理由は何か。」に対して報告者が十全な回答がなかったのでは?」

←コメンテータが誤解しています。複数種商品と兌換できる債務証書はありません。兌換ではなく、価値に対する債務と言っています。今回の報告の複数種商品セットは価値表現の素材として使われるだけで兌換はされません。

なお、スライド21で「間接交換の媒介物の任意性から、証券バスケットの使用価値が不問に」される場合、この証券が求められる可能性がある。」という説は論理の失敗です。求められる理由は説明できません。

 

◆「初歩的です。「紙幣」という用語について「銀行券」との違いの説明をお願いします」

←ここは「銀行券」と「紙幣」の区別を知っておかなければ意味が分からない。同じく紙でできている、と考えるのは大間違い。「銀行券」は銀行が債務として発行し、裏付けの資産価値がある。他方、主に公的機関が「紙幣」は何らかの債務ではない形で発行し、裏付けの資産価値がない。例えば現在の硬貨が相当する。現在の硬貨は金属製だが「政府紙幣」である。たとえば、日本では第二次大戦直後に政府小額紙幣が発行された。ややこしい言い方をすれば「紙製の硬貨」といえる。小幡『経済原論』47頁下(から2行目)~48頁を復習するとよいでしょう。

 

◆「(プログラム掲載スライド30)マルクスが「貨幣の謎が消え去る」ということの意味は、人間労働(抽象的人間労働+具体的有用労働の連関)が露出する(・・・等労働量交換の論証問題はひとまず考えないとして・・・)、ということと考えますが、このように解釈していいですか?ダメだとすると、どのように解釈すべきだと考えますか?

←現代の宇野理論ではダメだと言います。投下労働時間とは関係なく、ある商品に内在する価値の大きさを他の商品の物量で価値が表現されることが重視されています。

 

◆(プログラム掲載スライド50)「現代の貨幣は金貨幣論から見ると貨幣ではない」・・・? いわゆる貨幣の3つの機能(商品価値尺度手段、商品流通〔交換/支払い〕手段、商品価値の自立的貯蔵手段)に基づけば、現代の貨幣(不換紙幣〔現金通貨、預金通貨、デジタル通貨〕)も金貨幣も兌換紙幣(金預かり証としての信用貨幣)も、すべて貨幣となる・・・というようなシンプルな解釈――このようなシンプルな貨幣解釈を前提とするだけでも「商品→貨幣→資本」という経路は充分説明できると思いますが――では、現代資本主義経済分析における貨幣論として決定的に足りないものがあるとすれば、それはどのようなものなのでしょうか?」

←商品価値を裏付けに持つかどうかが重要。「現金通貨」「デジタル通貨」という表現のような貨幣の物的性質にとらわれた貨幣観が間違い。たとえば現金通貨には政府紙幣(fiat money)の一種である硬貨と、信用貨幣に一種である預金通貨・銀行券がある。両者は根本的に異なる。表層的な貨幣論に基づいていることが誤りだと思います。

◆「歴史的・現実的には、単純に銀行券・信用貨幣として論じるのではなく、国際基軸通貨の問題として論じるべき問題であると思われるが、どうか? 歴史的には、第一次大戦前のパックス・ブリタニカ段階におけるポンド・スターリング体制、第二次大戦後のドル体制の問題である。金貨幣との関係では、ドル体制が分析対象となっていると思われるが、現実の他の国民通貨は、究極的には、国際基軸通貨との交換性が資本主義世界における各通貨の貨幣性を支えているといってよいのではないか?その意味で、ここでの議論は、「ドル体制」におけるドルの貨幣制の本質をどう捉えるかという議論となると思われる。」

←そもそもアメリカ国内でドルがなぜ貨幣として流通できるのかを説明するのが今回のテーマです。それを抜きに国際通貨を語っても意味がありません。

以上です。


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