Even inconvertible money is credit money の日本語解説
大学の紀要に「研究ノート」の形でとして以下の文章を書いた。全文はこちらから。
Even inconvertible money is credit money : Theories of credit money in Japanese Marxian economics from the banknote controversy to modern Uno theories
論題
論題を日本語にすると「不換貨幣であっても信用貨幣である:銀行券論争から現代の宇野理論までの日本のマルクス経済学における信用貨幣理論」となる。
アブストラクト
アブストラクトを日本語にすると以下のようになる。
「金本位制の停止以来、貨幣は内在的な価値をもたないfiat money(命令貨幣)になったと多くの人に考えられてきた。銀行の貸出によって信用貨幣が供給されると唱える内生的な貨幣供給理論の論者でさえも、信用貨幣とは、中央銀行または政府によって発行されるfiat moneyの支払い約束だとみなしている。
しかしながら日本のマルクス経済学者には中央銀行貨幣も含め、不換貨幣は信用貨幣であり、fiat moneyではないという主張があったし、現在もある。これらの主張では、「不換」と「fiat命令」との区別を重視する。
このような信用貨幣論について、本稿は、銀行券論争から現代の宇野理論までいくつかの理論を引用し日本語から英語に翻訳した。そして本稿では、信用貨幣の基礎には商品価値があり、貨幣はその価値を裏付ける資産に応じて複数の形をとる、と論じた」
目次
取り上げた論者は岡橋保、宇野弘蔵、山口重克、吉田暁、小幡道昭。今回のメインは岡橋保の主張の英訳である。目次は以下の通り。
序文
A.銀行券論争における岡橋 100
A.1. 信用貨幣の創造
A.2. 銀行券発行における複数の方法と貨幣流通における3つの法則
Table A-1 貨幣流通における3つの法則
A.3. 法貨規定
A.4. 信用貨幣の中立性
Fig. A-1 シュムペーターにおける信用創造
Fig. A-2 岡橋における信用貨幣の創造
B. 宇野学派における信用貨幣と論争 107
B.1. マルクスの信用理論に対する宇野による批判
B.2. 信用創造論の発展:山口
Fig. B-1 銀行のバランスシート
Fig. B-2 商業信用と銀行信用(1):初期状態
Fig. B-3 商業信用と銀行信用(2):商業信用
Fig. B-4 商業信用と銀行信用(3):銀行信用
B.3. 自己完結的な信用に基づく信用貨幣論:吉田
B.4. 吉田-山口論争
B.5. 信用貨幣における循環論をいかに断ち切るか
C. 現代の宇野理論における商品価値に基づく商品貨幣論 115
C.1. 商品貨幣としての信用貨幣
Fig. C-1 貨幣の多態性
Fig. C-2 信用貨幣の価値を裏付ける商品価値
C.2. 利子率の水準の決定
結論 118
謝辞
参考文献
雑談
引用文を英訳してみて思うことは、岡橋の文章がいかにわかりづらいか、ということだ。私の英語も拙いが(英文校正は受けた)、それでも岡橋の日本語の方がわかりづらいと思う。しかし岡橋の日本語を理解しようとさんざん読み直すことで、信用貨幣に対する考察を深めることになるので、その点では有益でもあろう。岡橋が何を言っているのかわからない、というのはよく言われることである。
また、山口の文章は、少なくとも引用文については、どうでもいいだらだらした言い回しがいかに多いか、ということだ。とくに、2000年代の論文集の著作がそうだ。
内容の概説
A.1. では商業手形の代わりとして信用貨幣が発行されるという話。商業手形は貨幣を支払う約束という点であらかじめ貨幣を前提としている問題がある。この問題は岡橋も逃れてはいない。ただ、不換貨幣であっても、商業手形への代替という点で信用貨幣である、ということは押さえてある。
A.2. ではマルクスの『資本論』の貨幣流通に関する3つの法則、つまり手形流通の法則、独立の法則、紙幣流通の法則を挙げて、銀行貨幣の発行には裏付け資産に応じて、異なる貨幣の性質をもつ、と論じている。興味深いのは同じ銀行が同じ時期に発行している銀行貨幣も、裏付け資産に応じて、異なる性質をもつということだ。Table A-1 では、貨幣流通における3つの法則についての『資本論』の該当ページと、3つの異なる法則に応じた銀行貨幣について岡橋が挙げた例をまとめた。
A.3. では法貨規定は貨幣として流通させるための万能薬ではなく、法貨規定とは、その対象となる銀行貨幣が、支払手段として広く容認されていることを法的に追認することに過ぎない、という岡橋の主張を紹介した。
A.4. は、シュンペーターに対する岡橋による批判である。シュンペーターの信用創造では「無からの信用創造」として購買力が創出され、実体経済に影響を及ぼす。しかし岡橋の理論では、すでに存在している商品の価値実現のために、その価値額に相当する信用貨幣が創出されるだけなので、その信用貨幣創出が手形流通の法則に基づく限り、信用貨幣の創出は実体経済に対して影響を及ぼさず、中立になる。ただし、もちろん、紙幣流通になってしまえば状況が異なる。本稿では、Fig. A-1とFig. A-2 でシュンペーターの説と岡橋の説をバランスシートで説明した。
B.1.ではマルクスの信用理論に対する宇野による批判を紹介したが、これはよく言われる内容と相違はない。
B.2. では山口による信用創造論だが、よく言われる内容と相違はない。ただし、Fig. B-2 ~ B-4でバランスシートによる説明をした。これは小幡『原論』でのバランスシートによって表現された商業信用(224頁)、銀行信用(231頁)において、与信資本と受信資本の左右を逆転させてシンプルにした。左右をひっくり返すことで債権・債務関係の対が明瞭になるだろう。
B.3. は吉田暁の信用貨幣論、B.4. は吉田-山口論争だが、これらもよく言われる内容と相違はない。
B.5. は信用貨幣が貨幣の支払い約である以上、循環論法になる。この循環論法を断ち切る論理をいくつか挙げてみた。(1)法貨による断ち切り、(2)徴税による断ち切り、(3)金貨幣による断ち切り、(4)商品価値による断ち切り、である。最終的には、(4)の商品価値に基づくしかない、という結論で、これがC.の小幡説の紹介になる。
結論では信用貨幣の価値の裏付けの観点から貨幣が多態化する、ということを中心にして書いた。岡橋の用法では信用貨幣には本来的な信用貨幣と、非本来的な信用貨幣、小幡の説明では、商品貨幣として物品貨幣と信用貨幣の二つ、さらにもう一つ挙げるとすれば商品価値に裏付けを持たない表券貨幣となる。
兌換がないが、商品価値に裏付けを持つ信用貨幣の論じ方は、以前の記事に書いた(これとこれ)。これはそのうち学術雑誌に公刊されるので、交換されることに改めて紹介する。
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