「変容論的アプローチの適用」の段階論と現代資本主義論への適用-4:生産論(労働)

 


生産論

 生産と労働の領域では、従来の原理論では投下労働量に基づく労働価値説によって搾取関係を示すことが中心だった。それは労働力商品化による資本主義経済の搾取関係の特徴を示す「本質規定としての原理論」の役割である。投下労働時間の計算に縛られることで労働は、機械制大工業による労働の単純化、時間制賃金または時間賃金を生産単位数で割った出来高賃金という簡単な形に集約された。こうした「小原理論主義」として、現実のさまざまな労働や賃金形態は段階論または現状分析の課題として原理論の外に押し出された。

しかし、原理論研究が進んで、投下労量は個々の商品間の交換比率ではなく総資本と総労働の分配関係を示すこと、そして個々の商品間の交換比率は生産価格論で示すことが明らかにされてきた。そうすると投下労働時間の計算に縛られることなく労働過程を分析する余地がひろがる。そこから「分析基準としての原理論」を論じることが可能になる。

 つまり、総資本と総労働の枠で搾取関係を示したうえで、資本の下での労働の編成や支配の在り方をさまざまに論じることが可能になる。以下、生産論における開口部、または変容のポイントを順に説明する。

 

労働過程

小幡[2021]「労働概念の拡張」は、労働の変容を考察すために、労働の3つの基本相を提示した。なお、この提起に対する討議は岩田・新井田編[2022]「マルクス経済学の現代的スタンダードを語る」(東京経済大学学術フォーラム報告書)にある。

詳細は上の文献にあるので、最低限の説明にとどめ、さらに若干の解釈を加える。

労働は以下の3つの相に分けられる。この3つの相は外的条件にかかわらず労働であれば常に存在するものなので、開口部とは言えない。3つの相の変化で労働自身が変容する。

 

表 労働の3相 

基本相

1相:欲求の定式化

2相:手段の設計

3相:コントロール

目的設定

手段設計

逐次制御

コア定義

人間の欲求を充足するための目的意識的な活動

 マルクス『資本論』の労働の説明は労働における人間の目的意識性を重視する。しかし、労働についてよく考えてみると、そもそもどういうモノを生産するのか、というところから始まる。労働とは自然過程への制御以外にもいろいろ必要なことがわかる。つまり、目的を設定し、その目的に達すように、自然過程と労働過程を設計し、設計通りに進行するように逐次的に制御するのが労働になる。目的は人間の欲求を充足するためなので、労働とは一言で言えば、人間の欲求を充足するための目的意識的な活動である。もう少し詳しく順を追って説明する。

1相の「欲求の定式化」について、まず、「欲望」と「欲求」を使い分けておく。「欲望」とは何を求めているのか形としてはっきりしていない状態であり、欲求とは具体的に何が欲しいか形になっている状態を指す。そして欲求の定式化とはまだ形になっていない漠然とした欲望を充足するために具体的な欲求の形へと明確にすることである。人間労働は社会的であり、他者の欲望を欲求に定式化する必要がある。資本家の指示のもとにある賃金労働でも、最低限のこととして労働者は指示を理解することが必要である。

2相の「手段の設計」とは、具体的に充足すべき欲求が明確になった上で、次にそれを実現する手順をつくることである。あらかじめ手順がわかっていなければその先の行為をやりようがない。

3相の「逐次制御」とは、手段設計で決まった手順を実行する行為である。労働は自然過程のいくつかのポイントに働きかけ逐次的に制御する過程である。

ここで自然過程をうまく組み合わせれば、自動的な自然過程だけで進行し、労働が不要になる部分もある。しかし人間労働が減少するというわけではない。同じ作業が同じ量で行われるのならば、たしかに減少する。しかし、人間の欲望の多様化や量の増加が不断にすすめばそれに応じて、新たな労働過程が不断に必要となる。また、新たな種類の労働過程では未知の変動要因も多く、自動化効果は少ない。そのため労働は三つの相にわたって不断の減少を被ることはない。

3つの相の構成の変化と労働の変容が対応する。労働過程の一部が自動化すれば第3相が相対的に減少するが、代わりに自動化のための第2相が相対的に増加する。人間の多様な欲望に応じるためには第1相が相対的に増加することもある。こうして労働の様々な変化を3つの相からとらえることで、漠然とした多様化ではなく、「分析基準としての原理論」をもとにして労働のコア概念からその変容を考察することが可能となる。

 こうした「分析基準としての原理論」は、搾取関係の解明など「本質規定としての原理論」が精緻に進むことで、逆に「本質規定としての原理論」に縛られることなく、労働の多様な存在に分析基準を与える考察をする余地が広がる。

 

労働組織

小幡『経済原論』の労働組織の箇所で「開口部」の語は131頁にあるが、具体的にどこがどう開口部なのか、わかりづらい。労働組織の文脈から言えば、まず資本主義的労働組織は協業を共通の基礎にし、その上で労働組織の編成様式は「マニュファクチュア型」と「機械制大工業型」に「多型化」する、と指摘されている。続けてマニュファクチュア型と機械制大工業がそれぞれ説明されるが、マニュファクチュア型では多くの職種に分解し、それらと賃金制度がさまざまに組み合わされ、このさまざまな賃金制度が「開口部」とされている。賃金制度そのものの「多型性」と開口部は、労働組織の次の「賃金制度」の項にある(139)。たしかに、機械制大工業で労働が不断に単純化すると想定すれば賃金制度は比較的単純に考えることができるが、多様な職種を組み合わせると、賃金制度は複雑化するだろう。

結局、開口部は賃金制度であり、労働組織は開口部ではなく「多型化」のポイントになる。しかし、労働組織の多型化は資本主義の変容に重要である。資本主義経済を前提とすれば労働組織は次のように多型化する。

表 労働組織の多型化

多型化

マニュファクチュア

機械制大工業

分業の基本的効果

習熟効果

自動化効果

協業の基本的効果

(工場制の)協業

展開

(労働過程→)労働組織〔協業→分業〕(→賃金制度)

 

ここで小幡『経済原論』のマニュファクチュア型という語の意味を説明しておく。歴史的に手工業、マニュファクチュア(工場制手工業)、機械製大工業という順で発展した、とされることもあるが、ここではそういう意味ではなく、労働過程をさまざまな職種に分解して組み合わせるという労働組織がマニュファクチュア型となる。他方で、機械制大工業型とは、労働過程を機械体系に置き換えることである。

マニュファクチュア型では、さまざま職種や熟練度の違いに賃金格差をつけることによって全体としての賃金コストを下げることができる。これを小幡『経済原論』では「バベッジ的効果」(バベッジ原理)とよぶ。現代の資本主義では外注化や雇用の非正規化の場合にこの効果が生じていることがある。

複雑労働と単純労働は職種の違いであり、ここに賃金格差をつけるとバベッジ的効果が得られる。また、熟練労働と不熟練労働は同一職種において求められる一定水準の習熟度に達した労働とまだ達していない労働との違いであり、ここに賃金格差をつけると熟練を養成することができる。これらは次の賃金制度の多型化の要素になる。

 

賃金制度

 多様な賃金制度をもたらす要因を探り、その分析基準を示すことがここでのテーマとなる。「本質規定としての原理論」では資本主義経済の特徴として労働力が商品として取り扱われることを論じればよい。しかし、労働には主体性があり、目的意識的な活動なので、すぐに買い手の資本家の思い通りに労働力を扱えるとは限らない。そこで主体性のある労働力を取り扱うために賃金制度に工夫が必要にある。賃金制度は単一にならず複数の可能性がある。「分析基準としての原理論」はそれらの多様性を原理論の中に取り込み、その多様性に基準を与える。

 

表 賃金制度の多型性

多型化

先決め型賃金、時間賃金制

後払い型賃金、出来高賃金

変容

主体性の外形化・熟練の外部化

主体性の誘発・熟練の養成

展開

(労働組織〔協業→分業〕→)賃金制度

 

 小幡『経済原論』では変容というよりも賃金制度が多型化する「軸」という表現になっている。先決め型賃金・時間賃金制を典型とする「労働者の主体性に対して評価を加え、商品経済的に動員する」タイプと、後払い型・出来高賃金制を典型とする「一般商品に近似させ外形的に処理する」タイプが2つの軸になる。なお、「後払い型」賃金は単に後で払うということよりも、成果主義賃金のように労働の成果に応じて賃金を後で調整したり、企業年金のようにずっと後で払ったりすることを意味する。

「主体性の外形化・熟練の外部化」とは労働力商品を買えば一定水準の主体性や熟練はデフォルトで付いており、逆に言えばその程度の主体性と熟練でよいということであり、他方、「主体性の誘発・熟練の養成」は賃金制度を工夫することを意味する。

 この2つの軸はとくに、バベッジ的効果を利用するマニュファクチュア型の労働組織の分析に有効だろう。

 

労働市場・生活過程

展開

 労働市場とそれを裏から支える生活過程が開口部になるのは「労働力の再生産」という規定への批判とセットになっている。生産とは人間の目的意識性のもとに、技術的に確定的な自然過程を基礎にしてモノが増えるという過程である。しかし労働力を養う生活過程にはそうした目的意識性も客観的的な確定性もない。労働者の生活の中で結果的に労働力が養われているという関係である。このことは、生産の場合には、【生産手段 + 労働 → 生産物】という関係になるが、一般に言われる「労働力の再生産」では、【生活物資 → 労働力】となり、労働過程が存在しないことにも現れている。

一般には労働者階級の生活過程は家族でおこなわれると漠然と考えられているが、家族だけで完結するわけではない。家族の枠を超えてさまざまな非市場的なやりとりもされている。小幡『経済原論』では「生活過程は、地域社会など拡大された場で、多様な社会関係を結ぶことで営まれている。資本主義のもとでも、この生活過程について、特定の標準型を想定することはできない。オープンにしておくほかない領域である」(173)とする。ここでは「開口部」という言葉はないが、小幡[2014]『労働市場と景気循環』では開口部としている。労働者階級の生活過程にはさまざまな形で労働があることを踏まえ、「それは、資本主義的な労働市場からみれば、利潤を追求する資本の活動には服さない、その外に広がるいわば資本主義の『開口部』を形づくる。原理論の観点からすれば、生活過程と産業予備軍という、一般的な概念のうちに、可能な限り捨象すべき外部の領域である。ただそのことはそれが小規模で無視できるとか原理的には捨象しておいということではない、」(37-38)とし、さらに積極的に言えば「これからの原理論に求められるのは。あくまでも資本主義的な市場の観点から、こうした開口部を構成する諸契機  たとえば養育費の背後に潜む労働人口の更新とか、養成費として問題にされた、労働能力の維持形成にかかわる労働一般といった  をできるだけ抽象化しておくこと」(38)とする。

変容

 原理論の課題は開口部を構成する諸契機を抽象化することなので、原理論の世界だけでは段階論や現状分析の内容には進まない構図になっている。ただし、小幡[2014]では社会的生活過程の労働において、市場化を抑える福祉国家的な方向と、市場化を進める方向の指摘(71頁)が変容の2形式のようにみえるので、ここで、従来の宇野の方法に基づく福祉国家論や、加藤栄一の新自由主義を踏まえて、労働者階級の社会生活過程の変容をパターン化してみよう。


表 労働者階級の社会生活過程の変容


多態化

保守主義、

自発的な社会関係

福祉国家(社会民主主義)

新自由主義

変容

旧来の社会関係や自生的な

関係に基づく

政府による組織化

資本が市場的に

関与

資本が関与せず非市場的に処理される

展開

(資本の蓄積→労働市場→)労働者階級の生活過程

現実にはほとんどの場合が、これらの要素のハイブリッドだが、資本主義の歴史的な変化や同時代における各国の複数の類型に対して分析の基準となるだろう。

 

多態化

開口部への外的条件の作用に伴う変容と、資本主義の歴史的発展とを対応させてみると、19世紀末から「新しい自由主義New Liberalism」から徐々に始まり、第2次世界大戦後に全面化する福祉国家は、労働者階級の社会的生活過程を非市場的に組織化した形で保障するものだった。しかし1980年代以降、福祉国家の内部に市場的な要素と資本の活動を取り込むようになっている。準市場やNPOの商業化、ソーシャルインパクトボンドなど多様な形が生まれている。現在のSDGsとよばれる一連の活動は、資本の利潤追求活動に沿う形になったときに最も抵抗の小さい経路を進むことができる。

福祉国家以前には、そもそも資本主義以前の旧来の農村共同体やギルドの相互扶助組織、あるいは血縁関係などの社会的関係がある。これらは資本主義の発展とともに縮小する旧社会の組織だが、他方で資本主義的労働組織の発展による労働者の大量の集積に伴い、労働者間の自発的な共済組合や、ウェルフェア・キャピタリズムと言われる資本からの自発的で資本の裁量を維持した仕組みが作られていた。これらは資本主義の発展とともに資本主義自身の中に作られていく非市場的な組織である。これらは福祉国家の萌芽的な形態を構成し、福祉国家の確立した後においても企業単位や職域単位ごとに異なる福祉の仕組みを内包していた。

このように労働市場や労働者の生活過程において生じる開口部は、そこにどういう形が入り込むかによって資本主義の歴史的な変化を特徴づけ、逆に他の領域における資本主義の変化はこの開口部にも作用する場合もある。


 


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