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Turnover of industrial capital, commercial and bank credit: modern Unoist approach 2. Turnover of the industrial capital

2. Turnover of the industrial capital   2.1 Premises of Turnover in Marx’s Capital Marx analyzed turnover as consisting of production and circulation. He sometimes discussed shortening the total turnover time by reducing the circulation period (e.g., Marx 1973, 659; Marx 1978, Chapter 14). After introducing the concept of continuous production through added capital in Chapter 15 of Capital Volume II, the focus shifted to how circulation length affects the amount of capital that must be advanced and the volume of idle money (Marx 1978, 358).  In Chapter 15, Marx made several assumptions to clarify the nature of industrial capital, differs from the general formula for capital, M-C-M’. We regroup the ten assumptions in Saros 2008 (195) as follows.   A. Basic assumption on turnover.  A-1. Production is continuous (Marx 1978, 334) A-2. No fixed capital is assumed (Marx 1978, 354) A-3. All production time is working time (Marx 1978, 334) A-4. Surplus value is set asid...

本源的自然力タイプ1,2における差額地代と絶対地代

 


補足原稿 (3月28日誤字修正)  PDF版はこちら

近年、原理論の地代論の知識への応用が試みられている。しかし土地を対象につくられてきた地代論をそのまま知識に応用することはできない。土地を本源的自然力として高度に抽象化するとともに、本源的自然力がより具体的な形に変容する二つのタイプとして考察する必要がある。

 本稿では、前稿の「変容論的アプローチの適用による地代論の知識への拡張と地代論そのものの再構成について」の本源的自然力の変容に基づいて、差額地代(DR)と絶対地代(AR)がどのように変容するかを考察の対象とする。

先行研究としては、マルクス『資本論』地代論を論理的に再構成した日高の説が重要である。日高の説は直接には土地を対象としているが、それでも知識も含めた本源的自然力についての基準になりうる。ただし、もともと対象としていた土地のような本源的自然力タイプ1よりも、知識などのタイプ2の方に適合的、という逆説的な関係になっている。この逆説は本質的に不均質なはずの外的自然としての土地を地代表の形で非連続の少数の種類に絞り込んだことが原因である。

 本源的自然力タイプ1は本質的に不均質であり、日高の想定するような生産条件の非連続的な格差は想定できず、差額地代の基礎となる調整的な生産条件は、優等な生産条件への追加資本投下となるのでDR2しか想定できない。また、それゆえARは市場価格を引き上げる力がないため、ARは最劣等の生産条件所有者が、何らかの地代を得なければ賃貸しを排除するものとしてのみ存在することを本稿で示す。

 逆に、本源的自然力タイプ2では日高の想定するような、同一の生産条件の弾力的な伸縮と、異なる生産条件の間の非連続的な格差が存在し、ARのみが存在できることを本稿で示す。

 これらは地代論を変容論的に再構成することで、日高説を発展させるものとなる。

 以下、本稿ではまずA節で本源的自然力における変容と日高説について前稿を要約する形で概括する。次に、B節では本源的自然力タイプ1のDRとARを論じる。続いて、C節で本源的自然力タイプ2のDRとARを論じる。最後にまとめをする。


A.変容論的アプローチによる地代論の前提

A.1 本源的自然力の変容の概観

近年、原理論の地代論を知識の領域へ拡張することが試みられている。土地と知識は本源的自然力として共通性があるが、まったく同じものでないので、従来の地代論を単純に拡張することはできない。本源的自然力として高度に抽象化するとともに、抽象度を下げた、より具体的な現れとして複数の異なるタイプへの変容を論じる必要がある。そうすると、従来の地代論の対象だった土地の概念は、知識についても説明しなければならない負荷から解放されて、より純粋に考えることができる。同時に知識についても土地の性質に関連させる必要から解放されてより純粋に知識の概念を考えることができる。前稿では、本源的自然力の変容における異なる2つのタイプそのものの説明をした。本稿ではDRとARとして地代の性質の違いを論じる。まず、前提となる日高の説を簡単に概観する。


A.2 日高説の前提と差額地代・絶対地代論

地代についての日高の説は、①同一ランク(等級)の生産条件は生産量を弾力的に伸縮できることと、②異なるランクの生産条件の間には非連続的な格差があることの2点を前提にしている。

①は古典派以来、現代の原理論でも、その種類の商品の市場価値を決めるものとして、必要な想定になっている。ただし、マルクス『資本論』の地代論では、それぞれのランクの土地は一つのみという想定だが、日高は同一ランクの土地は多数あり、利用されているさまざまなランクの土地の中で最劣等の生産条件の土地は一部が利用され残りは利用されない、という想定を明確にした。この生産条件が需要の状況に応じて供給量を調整する役割をするため、需要の変動に影響を受けない価値の規定が可能になる。

②は絶対地代(以下AR)のために必要な想定である。つまり利用されている中で最劣等の土地所有者たちが結託してARを要求した場合、さらに劣等な生産条件の土地との違いが微小であれば、後者のさらに劣等な土地の方が利用され、ARを要求した土地所有者たちはARを得られない(代わりに微小なDR1を得る)。しかし利用される中での最劣等の生産条件と、未利用のその次に劣等な生産条件との間に非連続的な格差があれば、その差額を上限にARを得ることが可能になる。さらに続けて、その次に劣等な生産条件でも結託があればさらにその次に劣等な生産条件との差額だけARを得る、と悪無限的にARが引き上げられる可能性がある。これについて日高は優等な生産条件における資本の追加投下がARの無制限な拡大を阻止することを指摘した。なお、ここでは「優等」とは最劣等以外のすべての生産条件を指す。

これらのことを踏まえさらに日高は、DR1(+AR)とのDR2の背反と相互転換を指摘した。要するに、最劣等となる調整的な生産性の投資先には2つの可能性がある。一つは未利用の最劣等の生産条件が新たに利用される場合で、この場合の地代はDR1が基本であり、さらに最劣等の生産条件の所有者たちの行動によってはARが生じる可能性もある。もう一つは優等な生産条件への追加資本投下であり、この場合の地代はDR2となる。DR2は優等な生産条件だけでなく、最劣等の生産条件にもDR2が生じる。最劣等の生産条件が調整的な生産条件にならないので、DR1もARもない。

日高説は本源的自然力タイプ1である土地を対象にしているが、実はタイプ2の方に当てはまりがよい。土地を本源的自然力に抽象化するとともに、より具体的な現れとしてタイプ1とタイプ2というタイプに変容させることで日高説は、適切に発展させることができる。

B.本質的に不均質な本源的自然力タイプ1における地代

B.1 差額地代における調整的な生産条件

しかし、日高説の①【同じランクの生産条件が多数ある】と②【異なるランクの生産条件とは非連続的に差がある】という前提は、土地のように本質的に不均質な生産条件では成立が難しい。「同じランクの土地」とは、第1次資本投下における同一性だけでなく、あらゆる追加資本投下で生産性が同様に変化する必要もある。そのようにすべての追加の資本投下まで完全に同一でなければ、差額地代第2形態(以下DR2)において、多数存在する生産条件の中の或る一つのランクの生産条件の同じ第n次資本投下が最劣等としてすべて同じ生産性になって調整的な生産条件になる、という言い方はできない。つまり①の想定は、本源的自然力タイプ1では無理がある。

なお、「土地のような生産場面そのものの生産性」と、「その生産場面における追加の資本投下分についての生産性」の区別が紛らわしいので、本稿では土地のような生産場面そのものを「生産条件」とよび、その生産条件における追加の資本投下の進展による生産量の変化は「生産性」とよんで名前を区別する。また、以下では1次、2次…の数字を「次数」とよぶ。

DR2については、様々な生産条件で、様々な次数の資本投下で同じ生産性になるものが多数あれば、それらが集団的に調整的な生産条件になって優等な生産性の資本投下ではDR2が生じる。調整的な生産性になるということは、それらの同じ生産条性の追加資本投下の可能性の中には、実際に資本投下されるものと資本投下されないものがある、ということでもある。

この状況を図解する。まず次のように古典的な形の地代表を作る。

表1 各資本投下において平均利潤が得られる価格の水準

生産条件

A

B

C

追加投資

1次資本投下

4

4

6

2次資本投下

6

8

8

3次資本投下

8

13

11


この表の数字は、各資本投下で、超過利潤がなく、平均利潤が得られる価格の水準である。別の言い方をすれば、その生産条件においてその次数の資本投下が最劣等の資本投下となり、調整的な生産性として市場価値になる場合の価格である。

上の表をグラフにすると次のようになる。

図1 

 


 この数値例は以下のような特徴をもつようにつくってある。

Aのn次の追加の資本投下が調整的な生産性となる場合の価格水準をAnと示すと、1次資本投下ではA1=B1だが、2次資本投下ではA2<B2 としてある。これは追加資本投下の不均質性を示すためである。同様に不均質性ゆえに、追加の資本投下の過程で生産性が逆転することもあるだろう。これはB1<C1 だが、B3>C3 として示している。

この図では、価格8で3つの追加資本投下の生産性で、平均利潤が得られる価格が同じとなるようにしてある。つまりA3 = B2 = C2である。この三つが調整的な生産性になる場合は、この三つの中には実際に資本投下されるものとされないものがある。これは偶然ではなく、資本投下の追加単位を細かくして図2のように示せば、A3 = B2 = C2のようになるのは大いにありうることだとわかる。

図2

 


 さらに資本投下の追加額を微小にできると想定し、連続して曲線にして重ねると次の図になる。


図3

 


 ただし実は、連続的にせず、離散的に階段状のままでも、多数のさまざまな生産条件と多数の追加の資本投下のさまざまな生産性を考えれば、同じ生産性の資本投下は多数、存在しうる。そのため、図3のように連続的にする必要もないし、微分可能にする必要もない。必要なことは「本質的に不均質」の意味を理解することである。そのうえで、図1、2の形のグラフを多数書くのは見づらいため、以下では図3のような曲線を用いる。

  ここで念のために、あらためて横軸と縦軸を確認する。横軸は「それぞれの生産条件における累積投下資本量」、縦軸は「それぞれの生産条件においてその累積投下資本量での資本の追加投下分について平均利潤が得られる価格」である。

市場価値が価格8のとき、図2、図3のそれぞれのグラフの赤い水平線が調整的な生産性となる。従来の地代論の数値例では、本来は本質的に不均質なはずの生産条件(土地)の種類を、ごく少数にしていたため、一つの生産条件の一つの追加資本投下だけが調整的な生産条件のようになっていた。しかし多数の生産条件と多数の追加資本投下の生産性を考えれば、A3 = B2 = C2というように、複数の異なる生産条件をまたいで調整的な同じ生産性が多数、現れることがわかる。

しかしこの説明は、ミクロ経済学の、すべての生産主体で限界費用が市場価格と等しくなるまで生産量を増やす、ということを適用しているだけに見えるかもしれない。ミクロ経済学ではすべての生産主体がそれぞれ今まで通りの生産部門で一斉に微小に生産量を変動させるという想定になる。しかしマルクス経済学原理論では、とくに行動論的アプローチで考えれば、個別資本は最大限の利潤を追求し、かつ部門間移動ができることを前提にしており、超過利潤が得られるうちは同じ生産部門で資本の追加投下を続けるが、平均利潤しか得られない調整的な生産性になる直前では、次も同じ部門に追加資本投下をするとは限らない。その条件で生産可能な産業資本のうち或る部分は追加の資本投下で生産を増やし、残りの部分は追加の資本投下をしない。そこで追加投下をしない理由は、追加分を他の部門に資本移動することもあるかもしれないし、そもそも資本が足りないかもしれない。次項では、これが調整的な生産性となってDR2が生じることを示す。


B.2 差額地代第2形態(DR2)の説明

これまで3つだった生産条件を多数に増やしてみると次のようになる 。

図4

 


(注記:この図4は中野[1985]166の図やBasu[2022]の図(特にp.17のfig.4)を上下反対にしたものになる。中野やBasuは、横軸は本稿の図4と同じだが、縦軸は収穫量をとっているので本稿図4とは上下がひっくり返る。その方がマルクスのもともとの地代表やミクロ経済学になじみやすいが、貨幣タームの利潤の分析には図4の縦軸のほうが適切だろう)

これは個別の生産条件での資本の追加投下の累積による生産性の変化を示している。右下の方の曲線が全体的に生産性の高い生産条件で、左上の方の曲線が全体的に生産性の低い生産条件である。こうした曲線が無数にあると曲線の間が塗りつぶされて次のようになる。

図5

 


ここでたとえば市場価値20だとすると

図6

 


 ここで調整的な生産性による市場価格20において、平均利潤が得られる生産性の追加資本投下は多数あることがわかる。左上の端点の生産条件Hは1次資本投下だが、それ以外は優等な生産性での資本の追加投下である。この20に並んだ無数の資本の追加投下が調整的な部分となり、これらのうち一部は実際に資本投下され、残りは追加の資本投下はされない。こうして日高のいう調整的な生産条件は、優等な生産条件における資本の追加投下の生産性として明瞭になる。

これはDR2である。その理由は以下の通りである。まず最劣等の生産条件(図6では生産条件H )は価格20であれば1次資本投下で平均利潤がちょうど得られる左上の端点で、これが調整的と考えればDR1である。しかし弾力的に伸縮可能という日高の主張を活かせば、調整しているのは生産条件Hではなく、優等な生産条件で価格20に並んだ無数の同じ生産性の追加資本投下の可能性である。優等な生産条件における劣等な追加資本投下の生産性が調整的となるため、ここで得られる地代はすべてDR2である。

もしDR1があるとするならば、

㋐優等な生産条件ではすべての資本が、最劣等の生産条件(図6のH)の1次資本投下よりも優等な条件(つまり価格が20未満で平均利潤が得られる資本投下)でしか追加の資本投下はしない、という特別な制約と、かつ

㋑1次資本投下で最劣等となる同一の生産条件(図6のHの同じもの)が多数ある、という条件があって初めて成立する。

しかしこれらの㋐と㋑はこれまで述べてきたように、

㋐は、優等な生産条件で平均利潤を得られる追加的な資本投下の可能性は否定できない、

㋑は、本源的自然力タイプ1のように本質的に不均質な生産条件では同じ生産条件が多数あるとは想定しがたい。そう考えると、本質的に不均質な本源的自然力タイプ1の考察においては、DR1の意義は、地代を論理的に考える場合に思考上の最初のステップとして、まずはどの生産条件にも同じ量だけの資本が投下されると生産量に差があるとして、差額地代をわかりやすく示す、ということになるだろう。

 

B.3 絶対地代(AR)の説明

 ARの成立に必要な条件の一つである、生産条件における非連続的な生産性の格差は、ミクロ経済学の滑らかな供給曲線の発想に基づいて否定されることが多い(飯島[2016]、新沢嘉芽統・華山謙[1976]など)。他方で、ミクロ経済学を補完する新制度学派的な発想で借地農業資本の取引コスト の必要によって、最劣等の土地の所有者は最低限の地代としてARを要求できるという主張もある(Evans[1991]、[1999b]、馬渡[1995]など。この最低限の価格は reservation price、留保価格ともよばれる)。(注記:一般に「取引コスト」は購買・調達に必要なコストで、マルクス経済学原理論での「流通費用」は販売に要するコストなので、両者は異なる)

そのように考えることもできるかもしれないが、ここでは最近の原理論の「在庫に満ちた市場」(小幡『経済原論』66頁)や「内在的価値」(小幡[2016])から考えてみる。そうすると、すぐに売れない商品が在庫として市場にとどまるのが常態であるのと同様に、最劣等の生産条件も借り手がいない状態がある程度、続いてもかまわない。賃貸借を一定期間の利用権という商品の売買の市場だと考えれば、通常の商品市場と同じである。そのため、一般の商品において在庫が売りつくされるまで価格を引き下げ続けることはないのと同様に、最劣等の生産条件の所有者は借り手が見つかるまで地代を下げ続けることはなく、何らかの地代が得られるまではその生産条件を貸さない、と考えるだけでも、とりあえずARの存在は説明できる。

 次にARの存在をこれまでの図に重ねて図解してみる。

図7

 


 下の図でオレンジ部分をDR2と書いたが、この領域がすべてDR2というわけではなく、図4のような個別の生産条件の生産性変化の曲線の左上で、縦軸と市場価格の水準で囲まれた領域の面積がDR2である。

左上の端点は生産条件Hの1次の資本投下だが、これまでの原理論では、ここでタダでは生産条件(土地)を貸さない、となると、その生産条件を使わなければ生産できない商品の市場価格が上昇してARが発生する、と説明してきた。しかし、左上の端点の生産条件所有者が少しでもARを要求すると、同じ水平線上にある優等な生産条件で資本が追加で投下されるので、その最劣等の生産条件Hは利用されず、その所有者もARを得ることはできない。日高のいうように異なる生産条件の間に追加資本投下も含めて非連続的な格差があればARは生じることがありうるが、本源的自然力タイプ1を本質的に不均質とすれば、そのような格差は存在せず、ARによる価格引き上げもあり得ない。

しかし図7で、Hよりもやや生産性の高い(つまりHよりもやや右下の)生産条件Eでは、その所有者が要求する最低限の地代に匹敵する価額を超過利潤として得れば、その額の地代を払って賃貸借が可能になる。たとえば、生産条件Eで超過利潤が図7のようであれば、この生産条件を借りた資本ではその生産条件の曲線よりも左上の部分が超過利潤となり、地代として払うことができる。この超過利潤は優等な生産条件の追加の資本投下が調整的な生産条件になっているので本来はDR2である。しかし、そのDR2が、生産条件Eの所有者が要求する最低限の地代(AR)の額に達しなければ賃貸されないという意味でARといえる。つまり、市場価格が15から20の間だと、生産条件Eでは超過利潤が生じるが、生産条件Eの所有者が要求する最低限の地代の額には足りないので、生産条件は賃貸されず、利用されない。この「利用を排除する」という論理がARの核心である。市場価格が20に達すれば賃借する資本家は生産条件所有者が要求するARを支払うだけの超過利潤を得ることができる。この超過利潤の額は、実際に支払われる価額の内実としてはDR2だが、その額に達するまでは賃貸しを排除する論理としてはARとなる。

ところで、ARの額が同じで、市場価値も同じでも、AR = DR2(超過利潤)となる生産条件は複数ある。

図8

 


図8はそれぞれの生産条件の生産性変化の曲線と価格20とy軸で囲まれた部分が、いずれも同じ面積になるように作図した。生産条件E~Gの所有者すべてが外生的に要求するARをこの面積だとすると、それぞれの生産条件は価格20のとき、曲線の右(右上)端まで資本を追加投下すれば、要求されたARに等しい超過利潤を得ることができ、ARを支払うことができる。市場価値がこれよりも下がれば、要求されたARを支払うことができないため、その生産条件は利用されない。生産条件の所有者が最低限の地代を要求するため、生産条件の中には賃貸借されないものがあるという意味でこれはARである。市場価値が20よりも高くなれば、生産条件E~Gでは要求された最低限の地代(AR)以上の超過利潤を得ることになり、契約更改で地代に転化される。この地代は、優等な生産条件での資本の追加投下が調整的な生産性になっているという意味でDR2である。この時点でARはすべてDR2に変わる。

 

図9

 


 生産条件E~Gの地代について、価格20の下をARとし、価格20から25の間にある部分をDRとして、地代はARとDRから構成されるとみなす見解もある。これはマルクスや日高の考えである。他方、大内力は、ARは最劣等の生産条件のみに生じ、優等な生産条件ではすべてがDRだとする(日高『地代論研究:再版』428-429)。この問題については、すべてDR2とし、ARではなくなったと考える方がよいだろう。というよりもそもそも、本稿の考察ではARは市場価格を持ち上げることができないので、マルクスや日高の説は成立しない。大内もARによる価格引き上げを前提としていたが、優等地にはARがないという意味では大内説をとることになる。

 もう少し正確に言うと、これらの劣等な生産条件E~GのDR2の額が、生産条件の所有者が求めるARの額に達しない限りは、これらの生産条件E~Gは貸出利用を排除される、という意味でARとなる。このARとDR2がイコールになったときに賃貸借が始まる。その状態から、生産量を増やすためにより劣等な生産性の資本投下が必要になって価格が上昇すると、生産条件E~Gを借りる産業資本が追加の資本投下をしてDR2が増えて、生産条件の所有者が要求するARの額を超えたときに、ARとしての性質を失い、DR2だといえるようになる。

ARはあくまでも、超過利潤がその水準以上にならなければその生産条件は賃貸されない、という排除の論理とみなすということである。端的に言うと、支払われないうちはARで、支払われるときにはDR2になる。

 これは日高の説明【DR1(+AR)とのDR2の背反と相互転換】を発展的に応用させたことになる。つまり、賃貸しを排除しているうちはARだが、賃貸されるときにはDR2になっている。また、日高は、ARは、最劣等の賃貸されない生産条件の所有者が賃貸しを拒否することで可能になる、と説いたが、上記の説明でも賃貸されない範囲でARが存在する。

 しかし、日高が想定した、生産条件の非連続的な階段状の格差は、本源的自然力タイプ1では想定できないので、日高説をそのままでは維持できない。しかし、この想定は本源的自然力タイプ2では想定できる。


C.特定の有体物から分離可能な本源的自然力タイプ2における地代

C.1 本源的自然力のタイプ1とタイプ2(まとめ)

 本源的自然力のタイプ1は、特定の有体物に不可分に結びついており、本質的に不均質で無限に多様であるのに対して、タイプ2は特定の有体物から分離可能で、同じモノが無限に多数の有体物に同時に含まれることができる。同じ種類の生産物の生産に用いられる生産条件として、タイプ1では生産性の異なる無数の種類がある。他方、タイプ2でも種類は無限に多数であるともいえるが、1種類が広がりうる有体物の数が無限に多数であることと、知的所有権とに認められるには既存の知識とは大きく異なる必要があるので、地代論の対象となる本源的自然力タイプ2の生産条件の種類は比較的、少ない有限の数といえる。


C.2 タイプ2における地代の特徴

 タイプ2の本源的自然力が生産条件の一部になり、利用制限がない場合、最も優等な生産条件のみが用いられ、しかも同じ生産条件で任意に生産増加可能で、調整的になるので地代はない。しかし、知的所有権などで優等な生産条件の利用を制限できる場合は、他のより劣等な生産条件との格差を根拠に地代が発生しうる。以下、利用制限が可能なタイプ2の本源的自然力として特許を例に説明する。この場合、従来の地代論との対比でいえば、土地所有者は特許権者(ライセンサー)、借地資本家(ライセンシー)は特許実施権者の産業資本家に当たる。地代は特許実施料(royalty・ライセンス料)に相当するが、同じ知識は無限数の有体物に拡張可能なので、土地のように1区画当たりの地代を想定することが難しく、生産物1単位あたりに支払われるとする

 タイプ2での地代は、タイプ1での地代とは異なり、日高の想定した前提①【同じランクの生産条件が多数ある】と②【異なるランクの生産条件とは非連続的に差がある】という前提が成立する。

 タイプ2での地代の性質について原理論での説明の例は、小幡『経済原論』205頁の問題132にある。

まず、ガソリン・エンジンの製造方法が特許によって所有されており、蒸気機関の製造方法は所有されていないとする。ガソリン・エンジンのもとでは生産価格は100円、蒸気機関のもとでは生産価格は110円となるとき、ガソリン・エンジンの特許所有者に生じる地代の性質は何か、という問題である。

 同書での解答の解説は、「ガソリン・エンジンという条件には量的制限はないから、発生するのはすべて絶対地代」(AR)となっている。

 落流と蒸気機関の例では落流を用いた生産で生じる地代はDRだから、小幡『経済原論』は地代についてはすでに実質的に、落流の所有の例はタイプ1でDR、ガソリン・エンジンの所有の例はタイプ2でAR、というように本源的自然力の変容を述べていることになる。

 ガソリン・エンジンでの関係を図解すると次のようになる。

図10

 


 ここではガソリン・エンジンの利用の量は伸縮可能であり、ガソリン・エンジンの利用が調整的な生産条件になる。他方で蒸気機関は利用されない。ARの額は、ここでは利用されていない蒸気機関による生産が調整的となった場合の価格水準との差額まで引き上げることが可能である。これは日高の説が適合する。

 なお、ここでガソリン・エンジンによる生産と蒸気機関による生産とのコストの差があまりにも大きいとガソリン・エンジンによるARは非常に高くなり、マルクス『資本論』のいう独占地代のようになる。


C.3 タイプ2にDRがありうるか?

 ARしかないという考えに異論があるとすれば、ガソリン・エンジンの特許権者が付与する特許実施権の生産量を制限すると、蒸気機関が調整的な生産条件となることがあり、その場合はガソリン・エンジンの特許権者にDRが生じる、ということだろう。つまり次の図のようになる。

図11

 


 このときのDRはDR1である。なぜなら、タイプ2では同じモノがそのまま多数に広がるため、タイプ1のDR2で想定される追加資本投下による収穫逓減はない。そのため資本のすべての追加資本投下が1次の投下と同じ生産性を持つので、DR1となる。

 しかし実は、通常の原理論のように、本源的自然力所有者と産業資本が別の階級として分立している場合には、そもそもタイプ2にはDRが存在しない。なぜなら特許権者が得る特許実施料(地代)は【生産物1単位あたりの特許実施料(地代)×生産物量】なので、意図的に自分の特許による生産量を制限して、特許ではない方法での生産を放置することは考えられない。特許実施権者の産業資本は特許実施料(地代)を払えば、だれでも自分の判断で投下資本額と生産量を決めることができる。特許となった生産条件を利用(特許実施)できるかどうかを決める権利は特許権者にあるが、生産においてどれだけの資本投下をし、どれだけの量を生産するかはその生産条件を借りた産業資本家たちによる自由競争による。つまり、ここで生産条件の利用の「制限」とは特許権者が生産量全体をコントロールする、という意味ではなく、ARとしての利用料を払わなければその生産条件は使わせない、という意味での「制限」である。タイプ1を用いた比喩を使うと、無限に多数の同じ生産性の区画数のある土地の所有者がその土地の区画を1区画ずつ、ARを徴収して賃貸するようなものである。とはいえタイプ1は同じものが多数あるわけではないのでこの比喩は成立しないが。

 タイプ1では土地区画のような個々の生産条件の利用の数と生産量との間に緩いながらもリンクがあったが、知識のようなタイプ2には同じ知識が多数の有体物に広がりうるので、所有の対象となる知識の種類数と生産量には何のリンクもない。そのため利用できるかどうかの「制限」と生産量の「制限」は異なるものになるので注意が必要だ。つまりタイプ2ではARを払わなければ利用できないという意味で「制限」だが、タイプ1では、その同じ意味での「制限」もあるが、それよりも有体物として数に限りがあるという意味で「制限」の方が重要である。

 ここで現実感覚を持ち出して、特許権者も市場規模を考慮して特許実施者に対して生産量を指示する、と主張する人がいるかもしれない。しかしそれは、本源的自然力所有者が産業資本と半ば結合していることを無前提に前提化する誤りである。原理論の地代論においてそれが誤りだというのは、土地所有者が自分の土地に自分で工場を建てたり、商業資本が自身の商品の仕入れ商品について産業資本に指示したりすることをもって、土地所有者や商業資本の産業資本的性格を主張するようなものだ。原理論の論理展開における地代論では本源的自然力所有者と産業資本との階級的分立を前提とする。

ただし地代論の前の、階級的な分立がない特別利潤では異なり、図11の形のDR1が生じる。詳しくは前稿で考察した。


C.4 複数のARが存在する可能性

 以上のように、地代論で産業資本と本源的自然力所有者との階級的な分立を前提とした場合、本源的自然力タイプ2が地代を得る場合はARしかない。そのうえで今度は、生産性の高い代替的な複数の特許がある場合を考える。上記の小幡『経済原論』の例を拡張して、生産性の高い特許付き原動機①、それほど高くない特許付き原動機②、特許無し原動機の三つに分ける。知的所有権は一般に、既存の知識とは大きく異なることが求められるので、生産性において最優等の特許付き原動機①と最劣等の特許無し原動機の間に、生産性が互いに異なる特許付き原動機②③…ⓝ…が微小な差異をもって無数にあるとは考えられない。比較的、有限の少数であると考えるべきなので、タイプ1のように曲線ではなく、階段状で非連続的な有限の数として表示されるべきである。

 図10と同様に、原動機①と②で平均利潤が得られる価格水準と、特許なしの生産条件で平均利潤が得られる価格水準との格差がARの上限となるので、それに近いARが要求されると想定すると、ARは次の図のようになる。

図12

  


 原動機①の特許権者の特許実施料(地代)総額は【AR①×原動機①による生産物量】、原動機①の特許権者の特許実施料総額は【AR②×原動機②による生産物量】となる。ここではARはAR①とAR②の二つの量が存在する。これら2つの原動機の技術という生産条件は、特許を実施しようとする産業資本にとってはどちらも、超過利潤が地代となって、一般的利潤率を得るのだからどちらでよい。そのため、原動機①も②もともに調整的生産条件になる。

 しかしここで原動機①の特許権者が特許実施権者に要求する単位当たり特許使用料を【AR①-AR②】以下に下げれば次の図のようになる。 

図13

 


 原動機②の技術を用いた産業資本では平均利潤が得られず、原動機②の技術は生産条件として用いられなくなり、調整的な生産条件は原動機①による生産のみになる。

 ここで原動機①の特許権者が得る特許実施料総額は【(AR①-AR②)×この生産物の生産量】になる。なお【この生産物の生産量=原動機①による生産物量+原動機②による生産物量】である。そうすると生産物1単位あたりのARは減るが、他方で自分が受け取るARの対象となる生産物の量は増える。

 原動機①の特許権者が要求する特許使用料の総額としてAR①の大きさを選ぶか、【AR①-AR②】の大きさを選ぶかは、AR①とAR②の大きさの比較によるだろう。つまりAR②がAR①に近ければ、特許使用料はAR①の大きさを要求し、市場を原動機②による生産と分け合うことになる。AR②≪AR①であれば要求する特許使用料を【AR①-AR②】へと少し下げて、原動機②の技術による生産を排除して、自分が受け取る特許使用料の対象となる生産物量を増やすことで特許実施料(地代)総額を増やすことができる。

 以上のように、本源的自然力タイプ2で地代が生じる場合はARのみであり、同一の生産物で複数の種類の制限しうる生産条件があれば、ARにも異なる複数の額が生じる場合があることがわかる。


まとめ

 以上の考察で、本源的自然力タイプ1とタイプ2の地代の違いが明瞭になる。つまり、タイプ1ではDR2が基本であり、補足的に、その生産条件の利用を排除する最低限の地代としてのARが存在する。他方、タイプ2ではARが基本であり、利用しうる異なる生産条件ごとにARの異なる額が生じる場合がある。

 従来の原理論での地代論はタイプ1に該当するものとタイプ2に該当するものを不鮮明に混ぜ合わせていたので、さまざまな地代の性質が不鮮明だった。とくに、本来は概念的に「本質的に不均質」とすべき土地を、地代表にまとめるために土地の種類をごく少数に集約にしたことが誤りの始まりである。もちろん分析の最初のステップとしては意味があるが、タイプ1の性質を見逃したことは大きな問題を残した。しかしだからと言ってミクロ経済学の市場供給曲線にすればいいということではなく、必要なことは、本源的自然力の変容として「特定の有体物と不可分で本質的に不均質」な本源的自然力タイプ1と、「特定の有体物から分離可能で多数の有体物に遍在できる」タイプ2を対概念として設定してそこから論理的にそれぞれの性質を導出することである。こうして、タイプ1とタイプ2に概念的に分けることでさまざまな地代の性質も明確になる。

両者はいずれも投下資本に対する超過利潤が地代となることは同じだが、産業資本が借りる本源的自然力が有体物として限定されるか、限定されないかによって地代の支払いの基準が異なる可能性もある。

 もちろん現実にはタイプ1の性質とタイプ2の性質を併せ持つものもあれば、本源的自然力の所有者とそれを借りる産業資本を兼ねる存在もあるだろう。しかし原理論の方法として、本源的自然力の変容として、一定程度の抽象度を維持したまま、2つの異なるタイプを明確化することが必要である。

本源的自然力は地代だけではなく、本源的自然力の恒久的な改良や、特定の本源的自然力と不可分に結びついた固定資本投下の扱いなどのテーマもある。タイプ1に属する土地については「土地合体資本」やテナントライト(有益費)、タイプ2に属する特許ではグラントバックとよばれるような、本源的自然力所有者と賃借した資本家との相互関係などもある。不特定多数の単発的な取引関係を前提とした分析から、特定少数間の取引関係、とくに継続的な取引関係の分析への発展は、ミクロ経済学では新制度学派やゲーム理論で取り扱われているが、マルクス経済学原理論でも流通過程を介した資本間の関係について「組織化」として理論が進んでいる。この土地合体資本や恒久的改良をめぐる、本源的自然力所有者と産業資本との関係も理論的に発展させるべきだろう。

本稿のように、地代論を土地から抽象化することで、「分析対象としての原理論」として地代論を様々な方向に発展させることが可能となるだろう。


参考文献

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