知識の領域への地代論の拡張について :「自然力」概念を中心に(増補版)



今回の記事は以前の記事「変容論的アプローチの適用によって地代論を知識へ拡張する試みと、それに伴う地代論の再構成について」の修正版。


はじめに

 近年,資本主義経済における知識の役割が増す中で,知識の領域に地代論を拡張しようとする理論的な試みが広がっている。しかし,土地を対象にしてきた地代論をそのまま知識に応用することはできない。地代論自体の再構成が不可欠である。この問題を本稿では以下の3点を中心に検討する。

 第1に土地と地代を,「自然力」と「レント」に一般化して知識の領域に拡張することである。最近の研究では,地代(ground rent)を「rent」として一般化し,それを知識に適用してknowledge rentなどとよぶこともある。自然力について,マルクス『資本論』第1部は,土地や蒸気力といった外的自然に加え,自然科学も自然力と同じだとしている。さらに,こうした自然力は,生産手段を所有する資本が無償で利用できることを強調する。ここでは地代は生じない。他方,『資本論』第3部の地代論では,資本にとって制限された自然力が対象となる。この自然力の利用で生じた超過利潤は,地代として自然力所有者に引き渡される。このように1部と3部では自然力の扱いが異なる。

 第2に自然力のタイプの違いである。リカードによる自然力の説明の中には,土地のように「量において有限,質において不均一」のものと,蒸気力のように「量において無限,質において均一」のものへの言及がある。知識は,特定の有体物から分離可能で,多数の有体物に遍在できる(ubiquitous)ので,同じ知識の利用は蒸気力と同じく「量において無限,質において均一」となる。

 第3に,知識がレントを生じる場合,土地と知識の違いのため,両者のレントには違いが生じることである。

 以下,Ⅰ節では,多義的に用いられるレントの概念を検討する。Ⅱ節では,地代の諸形態について宇野学派の地代論として日高普の説を検討し,その後のいくつかの議論を取り上げる。Ⅲ節では,レントの源泉として,知識も含む「自然力」の概念についてマルクスの用法を中心に考察する。Ⅳ節で土地に基づく地代の諸形態が,知識のレントではどう現れるかを検討する。最後にⅤ節では,まとめと今後の展望を述べる。

 

Ⅰ.地代ground rentrentへの一般化

.1 「レント」という言葉の多義性

.1.1 経済学における「レント」の多義性

 『資本論』にあるドイツ語の「Rente」という言葉は基本的に「Grundrente」の省略形である。地代論を知識の領域に拡張する研究では,たとえばZellerは,ground rent groundをはずし,「レントの一般理論(a general theory of rent)」(Zeller[2007]:99)としている。また,知識の領域へのレントの拡張としてRigiinformation rentとよび(Rigi[2014]:910,911)Rottaらはknowledge rentRotta and Teixeira [2019]:379, 388-389とよぶ。

 『資本論』の地代論の篇の名が「超過利潤の地代への転化」であるように,地代は,単に土地の賃貸料という形式的な意味だけではなく,借りた資本家が賃貸料を払えるための超過利潤の存在や,土地所有者は労働を投下せず土地所有だけで得られる所得,といった複数の意味を含んでいる。

 同様の事情によって,「レント」という言葉は,現代の経済学の様々な潮流において多義的に用いられている。たとえば,Birchらは「レント」の経済学史上の様々な用法として,差額地代論,準レント,不労所得としてレント,レント・シーキング,レンティア国家,無形資産による超過利潤,金融的レントなどの潮流を図解している(Birch and Ward[2023]:3)。


.1.2 「レント」の辞書的な多義性

 この多義性は,もともと自然言語としての「レント」という言葉にも由来している。英語のrentは「使用料,賃貸料」で,対象は不動産の長期賃貸借を指す場合が多い。さらにアメリカでは自動車,ボート,貸衣装などの短期の使用料も指す。ドイツ語のRenteは『小学館独和大辞典第2版』によると,「1.年金,恩給,定期金,2.(財産・投資などによる)金利(利子・地代・家賃・小作料など)」を意味する。

 このように,経済学用語としても自然言語としても,それぞれの文脈の中で「レント」の意味が変わる。

マルクス経済学の場合,地代ground rentから類推されるレントの意味は,生産物ではない資産の所有を根拠に,資本が搾取した剰余価値がその資産の所有者に分配されることである。これに似た概念が国民経済計算(SNA)で使われている。

 

.1.3 国民経済計算SNAにおける「レント」の意味

 国際的な基準として,現在のSNAの基礎となった1968SNAでは,財産所得の中に「レントとロイヤルティ(Rents and Royalties)」の項があった(1968SNA :126)。財産所得は粗付加価値(または総生産)を形成せず,所得の移転である。1968SNAは具体的には,地代(rent of land)と同じ取引のカテゴリーに含めるべきロイヤルティとして,特許や商標,著作権などへの支払いを挙げた(ibid., 126, para7.52)。ただし,建物のような再生産可能財(reproducible goods)の賃貸料は商品タイプのサービスへの支払いであり,財産所得のロイヤルティとは区別した(ibid., 126, para. 7.49)。また,特許や商標の使用に伴う技術サービスや経営サービスの手数料も,商品タイプのサービスの売買として扱い,ロイヤルティとは区別した(1968SNA:126, para7.52)。

 このように1968SNAにおけるレントとロイヤルティは,再生産される固定資本への支払いや付随するサービスへの支払いを除外し,土地や知的所有権という資産の保有のみに基づき,他の部門で生じた所得の移転,とされた。知的所有権の実体となる知識の創出のために支出された金額は,1993SNAでは関連する生産物の中間消費に含まれ,創出される知識自体は固定資本形成にはならなかった(2008SNA:583, para.A3.23)。また,1993SNAでは特許実体のような無形資産はまだ、「生産されない資産(non-produced assets)」として扱われた(1993SNA:278, para.10.8)。

 日本の国民経済計算(JSNA)でも,2016年の「平成23(2011)基準改定」の前までは,非金融の財産所得「賃貸料(Rent)」は,地代と特許料で構成されていた(内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部[2023]: 59)。

 ただし,その後の1993SNA2008SNAを通じて,JSNAでは2016年以降順次,特許など知的所有権の使用料はサービスの産出と消費へと変化し,知的所有権の実体となる知識の扱いも生産されない資産から,「生産される資産(produced assets)」へと変わりつつある。そのため,土地と知識の共通性はなくなりつつあるようにも見える。

 しかし,その変化の背景には,1968SNAでの「再生産」の概念が,1993SNA以降、「生産」の概念に変化している,という事情がある(作間[1996]:21,大住[1997]:153-154など)。知識の創出には何らかの費用を要し,その知識による効果は持続するので「生産」という見方もありうるかもしれないが,「再生産」はありえない。この点についてはSNA研究の中からも,経済的意味での生産活動は再生産可能性が必要(作間[2010]:11)であり,知識を生産とみなすことには批判もある(作間[2008])。知識の創出を生産として固定資本形成にするには,その価値の評価が困難という問題(大住[1997]:151など)や,失敗した研究開発費も資本形成になりうる,という問題もある(作間[2013]:23,27。SNAとは目的が異なるが、企業会計で資産計上される研究開発費はSNAよりも狭い(作間[2008]:40)。この点でも知識を生産とみなす2008SNAの方法を無批判に受容することはできないことが分かる。

 

.1.4知識の価値をめぐる論争 

 知識における再生産,あるいは生産や,その価値については,マルクス経済学内でも論争がある。Rigi Rottaらは,再生産の観点から,知識の再生産にはコストが不要なので,知識自体には価値がないと主張する(Rigi[2014]:927-928, Teixeira and Rotta [2012]:457など)。もちろん、ここで言う「価値」とは使用価値に対する意味での「価値」である。そのため,知的所有権から得られる収入はレントである。

 他方で,Starostaらは,知識の獲得のために投下された労働量は知識の価値を形成し,機械などの有形の固定資本と同様に一定期間で償却され,徐々にその価値が生産物に移転する,と主張する(Starosta et al. [2023]:155)。そのため知的所有権から得られる収入はレントではなく,不変資本の価値移転となる。ただし,減価償却ではなく,moral depreciation (ibid., 155),つまり社会基準的摩滅(あるいは道徳的摩滅)としている。

 しかし,Starostaらの説には問題がある。つまり,その特許の対象となる知識の創出に要した費用には試行錯誤が含まれ,「社会的必要労働」にはなりえない。また,その費用総額と,特許の保護期間中に得られる超過利潤総額とは量的な関係がない。さらに,保護期間内に新たな知識が発見されてその特許が陳腐化することもあるので,償却の期間は事前にはわからず,生産物一単位当たりの価値移転は困難である。

 したがって,本稿ではRottaらと同じ立場をとる。つまり,知識そのものは再生産されず,価値がゼロであり,知的所有権から得る所得は地代と同じレントとみなす。

 SNAでの扱いには変化がみられるが,再生産の概念を維持するならば,理論的には知識は再生産されず,知的所有権から生じる所得は地代と同じレントに該当するといえる。

 

.2 本稿が対象とする知識の種類

 地代論は,資本にとって制限される自然力が対象となる。そうした制限は知識では主に知的所有権である。一例として日本の知的所有権の分類を表1に示す。

 

 表1 日本の知的所有権の分類

 

知的創造物についての権利等

特許権

実用新案権

意匠権

著作権

回路配線利用権

育成者権

営業秘密

営業上の標識についての権利等

商標権

商号

商品等表示

地理的表示GI


特許庁[2023]:10を簡略化した。

 地代論はもともと,生産過程で生じる超過利潤とその地代への転化を対象としてきた(Ⅱ.1で後述)。本稿でも生産過程で生じる超過利潤とそのレント化に焦点をあてる。表1では主に特許権にあたる。他に,回路配線利用権,営業秘密,育成者権に該当しうる。残りの多くは流通過程で超過利潤が生じるので,商業地代の対象になるだろう。商業地代については『資本論』第3部第18章「商人資本の回転,価格」の最後で言及されている。現代の例では,大規模小売商業や販売プラットフォームなどについて,固定資産のレンタル料や販売代行サービスを除いて,純粋なレント部分を論じることもできるだろうが,本稿の範囲を超える。

 

Ⅱ.地代論の展開:宇野学派を中心に

.1 宇野学派の原理論における地代の位置 

 『資本論』第3部は,主に「利潤」「商業資本」「利子」「地代」「諸収入」から成る。これに対して宇野『経済原論』は第3篇を「分配論」とし,「利潤」「地代」「利子」という章構成に変更した(宇野[1950-52])。大内[1982],日高[1983]の『原論』も第3篇の章立ては宇野と同じである。

 山口重克[1985]『原論』では第3篇が「競争論」となり,章立ては「諸資本の競争」「競争の補足的機構」「景気循環」となった。地代は独立した章ではなくなり,「諸資本の競争」の中の節の一つ「標準条件の確定機構」の一部になった。続いて小幡[2009]『原論』では第3篇は「機構論」で,その章立ては「価格機構」「市場機構」「景気循環」であり,「価格機構」は「費用価格と利潤」「生産価格」「市場価値」「地代」の各節からなる。

 このように宇野学派の原理論では,地代論は,流通過程の不確定性を前提とする信用論や商業資本よりも前にあり,地代論の位置付けは同一部門内の複数の生産条件の問題へと収斂する傾向にある。たしかに,他の部門での生産条件を不変とし,或る部門で複数存在する生産条件の優劣だけに考察を限定すれば,市場価値論から地代論へとつながる。ただし,新リカード学派が強調するような点,つまり,或る部門内に存在する複数の生産条件の優劣は,他の部門での生産条件の変化によって変わりうる,という観点を市場価値論に組み込むと,他部門が不変という限定は難しくなる(小幡[2009]:198,江原[2018]:8910834など)。しかし,本稿では土地と知識の論理的な関係に焦点を当てるため,従来の地代論と同様に,他部門からの影響による優劣の変化は捨象する。

 

.2 日高の地代論の功績と難点

 知識の領域へ地代論を拡張するために,この項では宇野学派の地代論の基礎となる日高[1962]を中心に,差額地代(以下,DRと略記。ただし「R」は「地代」と「レント」の両方の略語になりうる。以下同じ)と絶対地代(以下,ARと略記)における要点をまとめる。

 

.2.1 日高説の功績

 DRARについての日高の説の内,本稿は以下の3点を取り上げる。

 第1に,DRの「一般(allgemein)」と「特殊」の区別である。『資本論』第3部第38章の題はDie Differentialrente: Allgemeinesで,通常「差額地代:総論」と訳されるが,日高はこのAllgemeinを「一般」と解釈している。

日高の解釈では,DRの「一般」は38章の範囲であり,「制限された自然力」を用いる生産条件と,それを用いない生産条件を,ともに含む場合に生じるDRを対象とする。一般に対するものを「特殊」とすれば,特殊は「制限された自然力」が常に不可欠となる場合であり, 39章以降の範囲になる。具体的には一般で例示されるのが,数が制限される落流と制限されない蒸気機関が用いられる場合であり,特殊は,制限された自然力としての土地の利用が不可欠な農業の場合である(日高[1962]:6[1983]:190)。ここでのDRは同じ額の資本投下を想定しているので,DRの第1形態(以下,DR1と略記)である。

2に,調整的な生産条件の概念である。同じ生産性の等級の土地にも多数の区画があり,それらの中には,利用されている部分と,利用されていない部分がある,と日高は強調する(日高[1962]:87282-283)。優等な生産条件は量が限られ優先してすべて利用されるが,利用されている中での最劣等の生産条件には,まだ利用されていない区画がある。そこで需要の変動に応じた生産量の変動の必要に対しては,この最劣等の生産条件の利用度の伸縮で生産量が調整される。これが「調整的」の意味である。

他方,『資本論』では,個々の土地区画で生産性が異なる,と想定されている。そして最も劣等な区画が市場価格を規制する生産条件になる,と想定している。この想定を日高は強く批判した(日高[1962]:421)。

この日高の説明は,①同じ生産性の土地区画が多数存在,②異なる生産性の土地の間には非連続的な格差,の2つを前提としている。「非連続的」とは,異なる生産性の間には有意な差があり,生産性の順に土地区画を並べると階段状になる,という意味である。この2つの前提からからARが説明される。

3に,ARの説明である。ARとは,DR1のない最劣等地の所有者がタダでは土地を貸さない,として要求する地代である。マルクスの想定のように,各等級の土地にそれぞれ1区画と1人の所有者しかなければ,ARを要求するのは容易だ。しかし日高の想定では同一の生産性の土地に多数の区画がある。そのため多数の区画所有者が賃貸しを求めて地代の引き下げ競争をすると,ARはいくらでも小さくなる(日高[1962]:392)。引き下げ競争を抑える介入能力があれば何らかの額のARを得ることができるが,その上限は,次に劣等な土地の生産性との差,あるいは優等地における次に劣等な追加投資の生産性との差による(同395-396)。後者の場合,優等地での最劣等投資が調整的生産条件になっているので,DRの第2形態(以下,DR2と略記)である。これらの生産性の差がわずかならば,ARは実質的には存在できないので,ARの存在には,上記の日高の想定②が必要になる

 

.2.2 日高説が新たに残した難点

しかし、日高説の前提①②には難点がある。まず、自然状態では個々の土地は本質的に不均一であろう。また,1次投資の生産性が同じであっても,高次の追加投資では異なる場合もあろう。そう考えると①は成立し難い。さらに,個々の土地が無限に不均一ならば,異なる生産性の格差も微小となる。そのため②も成立しない(飯島[2016]:56-59新沢,華山[1976]:395-396など)。

しかし知識では,日高説の前提①②が2つとも成立する。この点はⅢ.4.2,Ⅳ.2で後述する。

 

.3 日高以降の議論について

 大内や日高の説をめぐって多くの論争があるが,ここでは本稿に関連するものをいくつか取り上げる。

 

.3.1 河西勝の2001年以降の説

 河西[2001]は日高説を以下のように批判した。まず日高説では,固定資本については同じ生産性の固定資本の拡張によって生産条件が均一化して超過利潤が消滅し,他方で土地の利用拡張は制限されるので超過利潤は残る(同41)。しかし河西は,土地に伴う自然力は,蒸気力と同様に固定資本を通じて利用されるので,固定資本から独立して土地自身が自然力として作用することはない,と日高説を批判する(同42)。一方,固定資本は使用が長期にわたるため,旧来のものと先駆的なものとの優劣の差がある(同45-46)。こうして固定資本では,同業種内で生じる優劣の差からDRが生じる(同45,河西[2009]:136)と論じる。最劣等の固定資本はARかつ平均利潤を得る(河西[2001]:45[2009]:121)とする。

 この河西の説には批判も多い(河西 [2017]:7-11)。しかしそれでも,土地のような自然力はそのまま利用されるわけではなく,固定資本を通じて効果が得られる,という観点自体は意味があり,マルクスも強調していることである。たとえば『資本論』第3部では,有利な生産条件となる落流は限られるが,それ以外の場所でも水流を人為的に誘導して水車の改良やタービンの利用で水流を利用できる,と述べている(Marx[1894]:658)。本稿では,この観点を後にⅢ.3で利用する。

 

.3.2 飯島充男による絶対地代の否定 

 飯島は,かつてマルクスの著述に依って日高説を批判していた(飯島[1984],飯島[2016]:39-40)。しかし,飯島[2016]は,日高の論理構成を以前よりも受容した(飯島[2016]:41)うえで,ARについて,最劣等地の所有者は,土地を貸せば生産物に対する増加分の需要が満たされてARを得るための価格上昇がなくなり,貸さなければそもそも自分は地代が得られない,という「難問」があるため,ARそのものを否定すべきだった,と日高を批判した(同48)。そして「地主カルテル的な形態」という,理論的にも現実論的にも問題がある想定をしなければARは成立しない,と主張した(飯島[2016]:51)。

 この点については日高自身も,最劣等の調整的生産条件にある多数の区画が「只一人の土地所有に独占されているという特別な状態」ならば,或る程度のARが得られるが,そうでARはきわめて小さい(日高[1962]:424)としていた。

 しかし,これらの議論は逆に言えば,「只一人の土地所有に独占」や「地主カルテル的な形態」があれば,ARが成立することを意味する。

 

.3.3 小幡[2009]による差額地代と絶対地代の説明

 小幡[2009]はまず『資本論』と同じく,優等で量が制限される落流と,劣等で量が制限されない蒸気機関を例として取り上げる。次に,落流の複数の所有者たちが結託,あるいはすべての落流を一人が所有する場合(以下,この2つを一括して結託とよぶ)と,落流の所有者たちが競争する場合に分けて,地代の変化を論じた(小幡[2009]:203-204)。結託では,日高や飯島がいう,只一人の独占や地主カルテルと同じ状況となる。

 小幡は,横軸に,社会的需要量と優等条件の供給能力の関係,縦軸に,優等な生産条件の所有者間の競争と結託の関係,を置き,次の4つのセルの表で説明している(同:204)。

 

表2 小幡[2009]による差額地代と絶対地代

差額地代と絶対地代

社会的需要 優等条件の供給能力

社会的需要 優等条件の供給能力

土地所有者間の結託

1.差額地代

3.絶対地代

土地所有者間の競争

2.差額地代

4.無地代


この表で注意すべきは,日高説では最劣等地の区画所有者たちの行動によってARの有無が決まるが,この表2は,優等地の所有者の行動から分析していることである。

 左の列【社会的需要 優等条件の供給能力】の場合は,通常のDR論と同じで,落流の所有者たちの結託の有無にかかわらず,劣等な蒸気機関による生産が調整的となって落流の所有者たちにDRが生じる。

 他方,右の列【社会的需要 優等条件の供給能力】では,落流の所有者たちの行動によって地代の形態が変わる。落流の一部は利用されないため,落流所有者たちの間で地代の引き下げ競争になると,セル4となって無地代になる。しかし落流の所有者たちが結託して地代を要求すれば,セル3となってARが生じる。

 この落流の例では優等条件の供給能力の大きさは,自然条件によってもともと決まっている。そのためこのセル3では,一部の落流は利用されないが,ARの支払いを条件に,利用を希望するすべての産業資本に落流が貸し出される,という想定になる。つまり落流の利用量は社会的需要量によって,落流所有者にとっては受動的に決まる。

 しかし,この想定を超えて,結託した落流所有者たちが貸出量を能動的に制限し,自然的には【社会的需要 優等条件の供給能力】の状態を,人為的な量的制限で【社会的需要 優等条件の供給能力】に変える,と考えてみよう。そうすると劣等な蒸気機関による生産が始まり,表2ではセル3からセル1になり,落流所有者にはARではなくDRが生じることになる。

 ただし,いずれにしても,土地の場合,結託の想定には困難がある。そのため,そもそも結託を可能にする条件の考察が必要である。それは知的所有権の場合に可能になる(Ⅳ.2で後述)。

 他にも1980年代を中心に,寺出道雄が大内と日高の説を基礎に,地代論に関する一連の論文を書いた。本稿では次節で取り上げる(Ⅲ.2.2)。

 

Ⅲ.「自然力」の概念

.1 小幡による自然力の扱いと知識の領域への拡張

.1.1 小幡[2009]での「本源的自然力」の知識への拡張

小幡[2009]は「本源的自然力」を「生産に用いられるが,再生産されない生産条件」(小幡[2009]:201)と定義し,「原理的に再生産を通じて均質化することはない」「不均質性」(同)と特徴づける。土地から知識への拡張については,「本源的自然力の概念は,このような(耕地や鉱山-引用者注)外的自然力に限定されない。パテント化された生産技術など,原理的には同様に考えるべき対象は,制度と権力を背景に,無形の知的領域においてもつくりだされている」(同:202)とする。さらに本源的自然力のポイントとして「(1)本源的自然力は,何回用いられても劣化することがない」「(2)再生産されるのではなく,発見される対象」とする。ここで「再生産」と「発見」との違いは,再生産には社会的再生産の関係に基づいて,必要なコストが確定的にわかるが,発見の場合には再現性がなく,要したコストに客観的な根拠がないことである。これはⅠ.1.34SNAに関連して論じたことと同じ問題である。

 

.1.2 小幡[2023]での自然力の表現の変更

しかし,「本源的自然力」という表現は,最近,小幡自身が小幡[2023]で「本源的」と「不滅」の意味の違いを考慮し,実質的に放棄した。

もともと「本源的」と「不滅」はリカードの地代の定義「地代は,大地の生産物のうち,土壌の本源的で不滅な力の利用に対して地主に支払われる部分」(Ricardo[1817] :67)にある。マルクスは『剰余価値学説史』でこの定義を批判したMarx [1967]: 244-249。その批判によって「本源的」と「不滅」の違いは理解できるので,ここでは小幡[2023]の内容には立ち入らない。

「本源的」とは人為の加わらないことであり,「不滅」は消滅しないことである。両者は異なる概念であり,次のように図式化できる。

 

表3 自然力における「本源的」と「不滅」の分類

不滅

×

本源的

×

この表3で,「本源的」だと分類されるものの中には,不滅なもの①と,不滅ではないもの②がある。②には鉱石のように採取の対象となる自然が含まれる。マルクスは『剰余価値学説史』において、石炭や石材を「土地の本源的な可滅的な生産物」(Marx [1967]:248)とよんだ。③は人為による自然の変更による効果が不滅,つまり恒久的に持続する場合であり,これは日高や小幡らがいう「恒久的土地改良」にあたる。もちろん,ここでいう「恒久」や「不滅」とは、その効果自体が恒久ということを指すので,陳腐化や調整的生産条件の上昇によって,超過利潤と地代が消滅することはありうる。④は再生産される通常の生産物である。

小幡[2009]は「本源的自然力」に,恒久的改良をされた自然力も含めている(小幡[2009]:210)ので,この「本源的自然力」は表3の①と③にあたる。そのため「本源的自然力」ではなく、「不滅な自然力」の方が適切である。このように,もともと人為が加わらない(①)か,あるいは初めに人為が加わる(③)としても,その後はコストが不要のものは,マルクスの「無償の自然力」にあたる。

 

.2 マルクスにおける無償の自然力の概念

.2.1 マルクスによる「自然力」の概念の使い方

 マルクスの「自然力」の概念はエコロジーの観点から論じられることもあるが,『資本論』では主に無償の生産力として扱われる。この概念はこれまでも吉田[1980],寺出[1981],後藤[1976],後藤[2009],羽島[2016]などでも取り上げられてきた。

 吉田[1980]は,『資本論』だけでなく,マルクスの様々な文献から自然力の用法を取り上げ,それらを「労働の自然力」「独占されざる自然力」「独占されうる自然力」に分類した

(吉田[1980]:172-176)。「労働の自然力」は労働による使用価値と交換価値の維持,分業と協業,人口の増加などである。「独占されざる自然力」は風や蒸気など,土地との固定的な結びつきをもたない自然力であり,「独占されうる自然力」は土地と結びつく自然力である。

 後藤[2009]は「広義の『自然』」として,自然環境の他,科学,産業予備軍,家事労働など,かなり広く含めている。これらは,その自体が無償という意味ではなく,資本にとって無償という意味である(後述Ⅲ.2.2参照)。しかしこの「広義」は広すぎる。小幡『経済原論』では産業予備軍,家事労働(生活人口)も雇用労働者の賃金で生活するので、資本にとっては支払っている。賃金と、抽出される労働量との差異は、「無償」ではなく、本源的弾力性として把握される。(小幡[2009]171-173, 154)

 これらの先行研究を踏まえたうえで『資本論』での使用を確認する。「自然力(Naturkraft)」という語が集中的に使われる個所は2つある。1つは,第1部のS.407~411で,第4篇「相対的剰余価値の生産」第13章「機械と大工業」第2節「機械から生産物への価値移転」である。もう1つは第3部のS.656~661で,第6篇「超過利潤の地代への転化」第38章「差額地代。総論」である。

 第1部の価値移転では,自然力そのものは無償だが,その産業的な利用には固定資本(広く言えば生産手段)が必要なので,自然力の産業的な利用は資本が独占することを論じている。他方,第3部の地代論では,資本に対する制限がテーマになる。これらの箇所に書かれている自然力,あるいは自然力と同じ,とされるものは以下のように分類できる。

 

表4 『資本論』での自然力の用法の分類

1部(価値移転)

3部(差額地代)

資本にとってその利用は

制限されない

制限される

種類

労働の社会的自然力(分業と協業)

外的自然(蒸気力など,土地)

③知識(自然科学,技術)

④機械のうち価値移転しない部分

 マルクスの原文を引用しておくと,表4の㋐に該当するのは以下の部分である。「協業および分業から生じる生産諸力は,資本にはなんらの費用も費やさせない。その生産諸力は社会的労働の自然諸力である」(Marx[1867]:407

 ㋑に該当するのは以下の部分である。「生産的諸過程に取り込まれる蒸気,水などのような自然諸力も,(社会的労働の自然諸力と引用者注)同じようになんらの費用も費やさせない。しかし,呼吸のために肺を必要とするのと同じく,人間が自然諸力を生産的に消費するためには「人間の手でつくられたもの」を必要とする。水の動力を利用するためには水車が必要であり,蒸気の弾性を利用するためには蒸気機関が必要である」(ibid., 407

 ㋒に該当するのは以下の部分である。「事情は,科学にあっても,自然諸力にあってと同様である。電流の作用範囲における磁針の偏倚にかんする法則や,周囲を電流が回っている鉄における磁気の発生にかんする法則は,ひとたび発見されれば一文の費用も費やさせない。しかし,これらの諸法則を電信などに利用するためには,きわめて高価で大仕掛けな装置が必要である」(ibid., 407-408

 ㋓に該当するのは以下の部分である。「機械と道具とから,それらの日々の平均費用を または,それらの日々の平均的摩滅および油,石炭などの補助材料の消費によってそれらが生産物につけ加える価値構成部分を 差し引くならば,機械と道具は,人間の労働の関与なしに現存する自然諸力とまったく同じに無償で作用する」(ibid., 409)

 これのうちマルクスは㋐と㋑を自然力とよび,他は自然力と同じ,とよぶが、本稿では土地と知識の共通性を考慮し,また煩雑さを避けるためにも,これらをまとめて「自然力」とよぶ。

 ㋐~㋓が自然力とよばれるのは,いずれも無償であり,価値移転もせず,生産に有利な形で作用するからである。

 地代論で対象となるのは,利用が制限され、例外的に生産条件となる場合であり,表4の㋔~㋖になる。

 ㋕は以下の部分である。「ここに言う自然力とは,たとえば蒸気の弾性のように,同じ生産部面のすべての資本が自由に使用できる自然力,すなわち,およそ資本がこの部面で投下されれば当然に使用されうるような自然力のことではない。そうではなく,落流のように,特別な地片とそれに所属する物とを自由に使用しうる人々によってのみ,自由に使用されうる,独占されうる自然力のことである」(Marx[1894]:658

 ㋔と㋖について,例外的に有利な生産性となる理由は,㋔については「資本が平均よりも多量に使用され,それゆえ,生産の“空費”が減少するとともに,労働の生産力増大の一般的な諸原因(協業,分業など)が,その労働場面が拡大するため,程度を高め強度を増して作用しうるという事情」(ibid., 657),もう一つ、㋖について「さもなければ,機能資本の大きさは別として,よりすぐれた労働諸方法,新たな諸発明,改良された諸機械,もろもろの化学的な工場秘密など,要するに,新たな,改良された,平均水準以上の生産諸手段および生産諸方法が,使用されるという事情」(ibid., 657)である。

 これらは費用価格の減少で超過利潤を発生させるが,上の引用にすぐ続けて,これら2つの有利な事情がやがて消滅することを述べる。上記の㋔と㋖に対応するものを㋔2,㋖2と表記すると次の部分である。

2「それらは,機能資本が例外的に大量に一人の手に集中されているということから発生するか この事情は,同じ大きさの資本諸分量が平均的に使用されるようになるやいなや,解消する (ibid., 657),㋖2「または,一定の大きさの資本がとくに生産的な様式で機能するということから発生する この事情は,その例外的な生産様式が一般化されるか,もしくは,さらにいっそう発達した生産様式によって追い越されるようになるやいなや,存在しなくなる」(ibid., 657) 

つまり㋐や㋒ではどの資本も利用できる自然力だが,㋔では資本規模が例外的に大きい資本だけ,㋖では例外的に優れた方法を用いる資本だけが高い生産性の自然力を利用して超過利潤を得る。しかし,㋔2と㋖2のように,そうした有利な方法が標準的に普及すれば超過利潤はなくなる。

 ㋖で生じる超過利潤は原理論では特別利潤,あるいは特別剰余価値といわれるもの(以下,特別利潤とよぶ)であり,本来は一時的でやがて普及する,と想定される。しかし知識の領域への地代論の拡張を考えると,この超過利潤の一定期間の持続を考える必要がある。この問題は後にⅣ節で検討する。

 ㋗については言及がみあたらない。

 以下,外的自然(㋑㋕)と知識(㋒㋖)の2つの面に絞って検討する。

 

.2.2 「土地自然力」と「蒸気力的自然力」

 外的自然について,『資本論』第1部は㋑蒸気などを扱うのに対し,第3部は㋕土地を扱っており,対象が異なる。この相違について寺出道雄は,外的自然を「蒸気力的自然力」と「土地自然力」に区別して次のように論じた(寺出[1981])。

 1. まず,2つとも自然力そのものは無償だが,その利用のための生産手段(固定資本)は有償である,というマルクスの規定については肯定する(同36)。

 2. しかし蒸気力的自然力はその発生のために石炭などを必要とし,費用的に有償である。他方,土地自然力ではそれ自体は費用的に無償で存在する(同35, 37)。

 3. だが,土地自然力は、生産されず独占されうるため優劣の差が残り,優等地を資本が利用するには剰余価値の分与としての地代の支払いが必要,という意味で有償となる(同39, 41)。

 寺出は,これらの無償と有償の意味の違いをマルクスは明確にしなかった,と批判した。ただし,寺出のいうように2の意味で土地はたしかに無償だが,1の固定資本は必要なので,12を合わせた意味では2つの自然力の利用はともに有償性になる。そうすると問題は3の,土地には優劣の差がある,ということに集約される。

 4. 優劣の差について寺出は,リカードの主張を次のように整理した。つまり、当面の社会的需要量に対して,土地や蒸気力などの外的自然が「量が有限で,質が均一ではない」場合に地代が生じ,その反対の極限というべき「量は無限で,質は均一」ならば地代は生じない、ということである。後者についてマルクスは所有論的観点からリカードにおけるARの欠如を批判したが,それはリカードの要点を見失うものだ,と寺出は批判した(同43-44)。

 ここでリカードの『原理』に立ち返ると,リカードは「もしもすべての土地が同一の属性をもち,分量が無制限であり,また地質が均一であるならば」(Ricardo [1817]:70)地代は生じない,と論じるとともに,逆に「もし空気や水や蒸気張力や気圧がさまざまの質をもち,もしそれらのものが占有されうるものであって,それぞれの質のものがほどほどの分量でしか存在しないものだとすれば」(ibid., 75)地代が生じる,と論じた。

 つまり,通常の蒸気力的自然力のように「量において無限で,質において均一」であれば地代は生じない。逆に,「量において有限で,質において不均一」な土地自然力では地代を生じる。

 ここで「均一ではない」という否定を強くとれば「個々不均一」であり,同じものは存在しない,となる。実は,この「個々不均一」は,各等級の土地が1区画ずつ,という『資本論』第339章以降での想定と同じである。そうすると,38章の落流の例をどう考えるかが問題になる。

 

.3 38章と39章以降との違い:差異の均一化の有無

 落流それ自体をみれば,水量や速度による水勢は個々不均一である。にもかかわらず複数の異なる落流が同じ生産性になるとすればそれは,固定資本が水勢の一定量のみを受け止め,同じ大きさの動力を抽出するからである。つまり,水勢が一定の大きさ以上ならば,一定の効果が得られる。そのため,同じ大きさの効果のある優等条件が複数,存在する。逆に水勢が一定以下の落流では,その効果はゼロである。両者の生産性の違いは非連続的である。

 39章以降の耕地の例では,土地の地力の差異が,同じ固定資本を用いても均一化されず,そのまま収穫量の差異となる。そのため耕地のそれぞれの区画の生産性が異なる,と想定される。

 そうすると,地代論の38章の落流では同じ生産性が複数あり,39章以降の耕地では同じ生産性の区画がそれぞれ1つしかない,という『資本論』の想定は妥当性がある。 

 こうして,蒸気力自然力と土地自然力の作用を考慮すると,同一部門内の生産性の分布は次の3つに場合分けできる。

均一の蒸気力的自然力では,同じ固定資本の充用で同じ生産性となる。『資本論』第1部の生産過程での想定である。

個々不均一な土地自然力であっても,同じ固定資本の充用によって一定の範囲で同じ生産性となる場合がある。一定の範囲を超えると生産性に非連続的な違いが生じうる。異なる固定資本や生産方法が複数,使用されれば,生産性の順に並べると階段状になる。これは地代論38章の落流での想定である。

同じ固定資本が,不均一な土地自然力の効果を均一化できなければ,個々不均一な生産性となる。これは地代論39章以降の耕地での想定である。

これらの3つの分布を図解するために、用いられる自然力を x、自然力の効力を f(xi) 、その自然力を用いた結果の生産性をF(xi)とする。

まず、ⓐでは自然力は制限されないので、同じ効力の自然力を使った同じ生産性を得る。

      
横軸xi  は個々の資本が利用する個々の自然力だが、資本にとっては利用制限がないので、第1縦軸f(xi) にあるように同じ効力であり、その結果の生産性も第2縦軸F(xi) にあるように同じ大きさである。

次にⓑでは、自然力は個々不均一だが、固定資本の効果によって、自然力の際の一定範囲は均一化される。式で表現すると、

 f(xi) ≧ a のとき、F(xi) = A  

    f(xi) < a のとき、F(xi) = 0  

となるので、グラフでは次の形になる。



 f(xi) ≧ b のとき、F(xi) = B          ただし、b > a,  A > b

とすれば、さらに階段状の分布になる。

最後にⓒでは、 個々の自然力の効果の個々不均一の効力が均一化されないので、結果としての生産性もここ不均一となる。

様々な落流を x、落流の水勢を f(xi) 、抽出される動力をF(xi)とすると、落流の例では次のように表現することができる。式で表現すれば、

f(xi) < f(xj) のとき、F(xi) < F(xj)   

となる。ただし、自然力の効力 f(xi) は直接には観測不能なので、収穫量 F(xi)  から推測される。グラフは次の形になる。

ⓑとⓒについては以前の記事も参照。

 上記ⓐⓑⓒの『資本論』での想定に対して,日高はⓑをⓒの領域に拡張し,逆に河西はⓒの想定をとⓐのすべての領域へ適用するべきと主張した。ただし,日高はⓑへのⓒへの適用においてⓒを多段階にした。また,河西は個々不均一の原因は土地ではなく固定資本にある,とした。

 

.4 制限される自然力における2つのタイプ

.4.1 自然力そのものについて

 まず外的自然では,上述のように,「量において無限,質において均一」の蒸気力的自然力と,「量において有限,質において個々不均一」の土地自然力が概念的な対極として位置づけられる。

 次に知識では、利用制限がなければ,同じ知識は無限に拡張可能なので「量において無限,質において均一」となり,蒸気力的自然力と同じ性質となる。

 

.4.2 自然力が制限される場合

 土地自然力は,土地という有体物に不可分に結びつき,再生産もされないため,物理的に制限が可能である。本質的に個々不均一であるため生産性も個々不均一だが,落流の例のように固定資本の効果によって一定の範囲で同じ生産性が生じることもある。

 他方,蒸気力的自然力は「量において無限」なので制限されない。

 知識は、知的所有権でその利用が制限できる。しかし知識は土地とは異なり,有体物との不可分な結びつきはなく,物理的な境界もないので,所有される範囲や所有による支配の程度は制限が困難である(田村[2019]:56など)。そうした制限は法や司法判断といった制度によってのみ設定可能である(Drahos[1995]:154-156, 158[1]など。翻訳は山根崇邦[2012]『知的財産法政策学研究』(39):246-248, 254)。同じ生産部門にも多様な知識がある,ともいえるが,特許の場合,法的に保護されるには,産業上の利用性とともに,新規性,進歩性が要件とされる(たとえば特許法29条)ので,法的に利用生産制限される知識は,同じ生産部門では限定された数で,かつ他の知識とは非連続的な差異を想定できる。

 こうして自然力が制限される場合には,以下のように2つのタイプに分類できる。それぞれ土地と知識が代表的だが,その他のモノも入りうるので,ここではタイプ1,タイプ2とよんでおく(岩田[2022])

 

表5 制限される自然力の概念的分類

 

タイプ1

タイプ2

具体的な形

土地自然力

知的所有権の対象となる知識

特徴

特定の土地,または有体物と不可分に結合

特定の有体物から分離可能で,多数の有体物に遍在しうる。

個々不均一

同じものは均一に拡張可能。知的所有権として保護される場合は他のモノとは非連続的な格差がある。

有体物を通じて利用制限可能

法制度による私的所有権で利用制限可能

ARは困難

ARは可能

 

知識における生産性の分布をⅢ.3のⓐⓑⓒを用いて説明すると,知的所有権による利用制限がなければの形である。利用制限される場合は表5のタイプ2であり,生産性の分布はⓑとなる。この組み合わせは土地についての日高説と同じである。

つまり,日高の地代論は、ⓒの分布となるタイプ1への適用には難点がある(.3.2など)が,ⓑの分布となるタイプ2には適切となる。日高の地代論の2つの前提も、表5にあるようにタイプ2では成立する。こうして日高の地代論は逆説的なことに,土地よりも知識におけるレントの方が適切になる

ARについても、日高の地代論では「只一人の土地所有に独占」や「地主カルテル的な形態」といった条件が必要(.2.2、Ⅱ.3.2)なので困難だったが,知的所有権(タイプ2)では同一の特許権の所有者は一人なので可能である。

 

Ⅳ.知識におけるレントの諸形態

.1 特別利潤の持続化

 原理論では通常,表4の㋖のマルクスの想定のように、知識の専有状態は一時的と想定されている。しかし,知的所有権によって持続する場合には優等地での超過利潤と同様になる。特許制度では特許権者は一定期間(日本では通常20年)の独占的実施権が与えられるが,特許の内容の公開が義務付けられるので,新たな発明が促進される面もある(特許庁[2023]:12)。新たな発明によって,以前の特許は保護期間内に陳腐化する可能性もある。逆に改良や拡張によって新たな特許として保護を得て,実質的に当初の保護期間を超える場合もある。こうした特許の実質的有効期間の不定性は,従来の地代論でも,調整的生産条件が変われば地代も変化する(Ⅲ.1.2)ので,土地も知識も同じである。

 ここで土地と知識との共通性を強くとれば,土地所有者階級に匹敵する知識所有者階級の可能性も考える必要がある。しかし,その可能性の検討は別稿に譲る。そのうえで,産業資本家自身が特許権を所有し,かつ実施もする場合も少なくない。その場合について,本稿では『資本論』の方法を踏襲する。つまり,落流を産業資本家が所有している場合,超過利潤の源泉を,投下資本とは別の自然力として特定するとともに,その産業資本家は資本の利潤と,自然力によるレントの両方を得る,という扱い方である(Marx[1894]: 659)。

 

.2 地代の諸形態を知識の領域適用する

.2.1 地代論の知識の領域への拡張の基礎

 土地とは異なり,同じ知識は利用を無限に拡張できる。そのため利用が人為的に制限されなければ,蒸気力的自然力のような無地代になる。知的所有権で利用が制限されるとレントが生じるが,知識の所有者の行動によって,レントの種類が変化する。このことを上記Ⅲで整理した地代論での諸形態を踏まえて説明する。

 DR1は容易であり,知識への拡張も方法的には問題はないだろう。

 DR2は追加投資の生産性逓減を前提とするが,知識の場合は同じ生産条件を拡張できるため,DR2は存在しない。

 ARについてマルクスは,農業での資本の有機的構成が低いため,投下労働量に基づく価値量と生産価格との間に差が生じ,この差からARが生じると説いた。このマルクスの説を前提にZellerは,知識を創出する産業は労働集約的で資本構成が低いためARが存在する,と論じる(Zeller[2007]:99)。他方,RigiRottaらは上述(Ⅰ.1.4)のように,知識自体には価値がなく,知識を創出するセクターでは剰余価値が発生しないので,価値と生産価格の差によるARは存在しない,と論じ,さらに,知識を多く用いる部門は一般的に資本の有機的構成が高いため,この点からもARは存在しない,と論じる(Rigi[2014]:927-928, Rotta and Teixeira [2019]:388)。

 しかし,日本の地代論研究では,このマルクスの説に批判的な場合も少なくない(日高[1962]Ⅳ節B,常盤他[1980]:251など)。日高らの説では,ARは,生産増加の余地のある調整的な生産条件において,その生産条件の所有者たちが利用制限して生じる地代である。この利用制限は,生産性が個々不均一で多数の所有者のいる土地では困難だが,知的所有権では容易である。

 独占地代(以下,MRと略記)は,マルクス以来,支払い能力のある需要だけで規定される(日高[1983]:210)と説明される。このMRの特徴は,追加供給が不可能になっていることである(寺出[1979]:136138)。そのため,調整的となる生産条件が存在せず,支払い能力のある需要だけで規定されることになる。知識の場合,人為的に利用量を過度に制限すれば,MRが成立しうる。

 

.2.2 小幡[2009]の表を用いた説明

 次に小幡[2009]の表(Ⅱ.3.32)に沿って説明する。

 前提として,或る部門内での生産条件について,知的所有権で保護された知識による優等な生産条件があるとする。表2の縦軸については,同一の特許権の所有者は1人なので常に結託である。

 横軸については,知識の利用は無限に拡大できるにもかかわらず,知識の所有者が特許の使用を能動的に量的な制限をすれば,左列【社会的需要 優等条件の供給能力】にできる。この場合,次の2つがありうる。

 (1)他に劣等な生産条件があれば,その劣等な条件が稼働し,表のセル1になり,知識の所有者はDR1を得る。ここで特許が複数であれば生産性の分布が階段状になりうる。

 (2)他に生産条件がなく,需要者の支払い能力で価格が吊り上がる場合は,MRになる。実際の例としては,需要に対して供給を人為的に過小にして価格を吊り上げる場合であり,特定の企業しか生産しない医薬品などで起こりうる。これはⅡ.3.3で述べたように,表2の範囲外になる。

 次に,(3)利用を望むすべての産業資本に,レントの支払いを条件に利用を許諾すれば右列【社会的需要 優等条件の供給能力】の状態になる。利用量は知識所有者にとっては受動的に決まる。これは表のセル3になり,知識の所有者はARを得る。実際の例としては,Bluetoothや通信機器など,標準必須特許の場合にみられる。

 これら以外にも同一部門に生産性の異なる複数の特許がある場合などさまざまなケースがありうるが,そうした応用は今後に譲り,ここでは基礎的な考察にとどめる。

 

.まとめと展望

 制限された自然力の利用によって超過利潤が生じる場合,その所有者はその超過利潤を地代として得る。原理論では,この「制限された自然力」は土地,とくに耕地が代表であり,その使用料は地代である。しかし,この自然力の概念を土地以外に拡張すれば,地代「ground rent」は「ground」の修飾が外れて,一般化された「rent」になる。

 さらに,「制限された」が外れた「自然力」一般は,それ自身は再生産も補填もされず,無償で生産条件となる存在である。これには,労働の社会的自然力,外的自然,自然科学や技術などの知識が含まれる(Ⅲ.2.1)。

 これらの自然力は性質において「量において無限,質において均一」の蒸気力的自然力と,「量において有限,質において個々不均一」の土地自然力の2つの種類に分けられる(Ⅲ.2.2)。

 『資本論』第1部では,資本に対して制限されていない蒸気力的自然力が対象である。自然力自身は無償であり価値移転もしないが,その産業的利用には有償の固定資本が必要なため,その利用は資本家階級が独占する(Ⅲ.2.1)。

 第3部では,資本に対して制限された土地自然力が対象である。土地自然力では,蒸気力的自然力とは異なり,所有者に地代の支払いが必要という点で資本にとって有償となる。

 知識それ自身は蒸気力的自然力と同様に「量において無限,質において均一」である。次に知識が知的所有権の対象となると,同一の特許権の所有者は一人なので,特許実施許諾を通じて利用制限も容易である。さらに,知的所有権による保護は,他の知識との非連続な差異を前提とする。そのため,レントとしては,知的所有権による量的な利用制限によるDR1MRがあり,さらに量的には制限せず利用料を徴収するARの形がある(Ⅳ.2)。

 知識が無償の自然力といえるのは,その性質として,その発見には何らかの費用は支出されるが,再生産の観点からは,一度発見された知識はもう一度発見されることはないという意味で,知識それ自体には,損耗も補填費用の必要もないからである。この点には,マルクス経済学内部にも論争があるが,発見のための費用支出額には客観的根拠がなく,陳腐化の期間が不明のため,固定資本のような価値移転にはならない。そのため,知識は土地と同じく,それ自身には価値がなく,利用制限によってレントを得る,とみなすのが適切だろう(Ⅰ.1.4)。

 本稿では自然力の概念に焦点をあてたため,恒久的土地改良と知識の発見との比較や,土地所有者と知識所有者の階級としての存在可能性,といった問題は検討できなかった。またSNAでの知識の取り扱いの変化については,本稿では知的所有権の使用料をレントの範囲に含める方向で論じたが,SNAの変化は,現代の資本主義で知識の重要性が増していることについて,唯物史観の上部構造的な反映でもある。逆に,この反映をつうじて,下部構造としての経済の構造変化を詳しく探求する手掛かりにもなりうる。これらの点は本稿を基礎にし,今後の課題としたい。

 

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