ゼミレポート①「信用売買における受信のための与信」
本学(東京経済大学)は卒論が必修ではない。毎年、ゼミでは年度末レポートを書くことにしている。
ここ数年は原理論を勉強している。前期から後期の初めにかけて小幡『経済原論』を読み、その後は、自分が選んだテーマでレポートを書く。原理論の労働の応用として、「感情労働」や「アルバイト先の賃金形態」について自分の経験を理論から分析するものが多かった。
しかし今年は理論そのものテーマにしたものが多かった。テーマは「信用売買における受信のための与信」「江原氏論文『価値の量的表現論』について」「貨幣における『信用』」「アルバイト先の賃金支払い形態について」だった。
レポートそのものの紹介はしないが、ゼミで議論した内容をメモしておく。
「信用売買における受信のための与信」は、通常の原理論では、商業信用において受信資本Aが与信資本Bに信用されない場合、信用される第三者XがAから信用で買い、AはXに対する債権でBに支払う。AにとってはBから受信するために、Xに与信する。これが「信用売買における受信のための与信」である。
Xの債務は信用されるものとして、原理論ではその後、Xが銀行業資本へと展開していく論理的なステップになる。しかし、このレポートは、「Xに対する信用が不足する場合、与信資本Bはどうするか」ということを考察したものだ。銀行業資本の登場という行きつく先を設定せずにいろいろな可能性を考察することは、行動論的アプローチとしては重要な出発点だと思う。結局は、「Bは信用売りで追加的な利得を得るのだから、Xへの信用が不十分でも、手形の裏書のようにBにとってはAだけの支払い約束よりもXの支払い約束が追加された方が信用度は高まるので、Xの信用が追加されればBは信用売りをする」という結論になった。私が思うには、Bにとって、支払約束が不履行でもB自身が生産を継続するために追加的に備えるべき流通資本(準備金)の大きさと、Bが得る追加的利得とのバランスの問題、つまり、部分的な純利潤率の問題として設定した方がよさそうだ。
ただ、Xが「受信のための与信」にかかわるにはいくつかの条件が必要なことに気づいた。
①Xに過剰な準備金があれば、信用でなくとも現金でAから買ってやればよい。Xはさしあたり必要のない原材料をAから買うので「先行買取」になる。AとBの間で商業信用が成立しない場合の次に現れる市場機構は「先行買取」となる。すぐに必要ではない原材料の保管が負担ならば、先払いをして、原材料を後から受け取る債権にすればよい。いずれにしても「先行買取」である。AとBの間では商業信用は不要。
②Xに過剰な準備金がない場合にはXは信用で買うので、「受信のための与信」が生じうるが、BはなぜAを信用できるか、という問題が生じる。それはXでは、過剰な準備金はないが、継続的な販売と貨幣還流は、Bにとって信用できる、ということになる。
③Xにとっては「すぐには原材料を必要としない」というところを強くとれば、XはAの生産物を必要としなくても、支払約束だけを発行してもよい。Bにしてみれば、Xが自分(X)の商品を販売して貨幣を得て、債務を履行できればよい。そのため、「先行買取」という概念は、Aの生産物をXが買う、という関係を希薄化する要素を含んでいる。
したがって銀行信用を論じるステップは、商業信用から銀行信用へ、というよりも、先行買取の概念が重要な出発点となる…ということが、最近の論文(「経済学原理論における『市場機構』と『市場組織』」「商業機構における多型的展開」)で考えてきたことだ。
商業信用の成立条件の一つは与信資本Bの準備金の余裕だが、ちょうどそれと対称となって、「先行買取」の成立条件の一つは買い手の資本Xの準備金の余裕である。このように商業信用と先行買取を対称的な関係として考えることが、原理論における行動論的アプローチを恣意的にではなく、体系的に論じるために必要となる。市場機構の体系性については前回の記事(の図を参照。
長くなったので残りのレポートについては、別の機会にする。
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