ソーシャル・メディアと資本主義をめぐるC. Fuchsの議論について
はじめに
20世紀末からの知識や情報の領域の発展によって、20世紀半ばに隆盛した製造業を中心とした資本主義は変質した。これに対応してメディアやITに対するマルクス経済学の分析が進んでいる。知識や情報が経済過程に作用する仕方は多種多様だが、ここではソーシャルメディアをめぐる議論を取り上げる。ソーシャルメディアの特徴を簡単に確認すると、
・発展した知識や情報産業と同じく、有体物からは自立して存在する。
・マスメディアと同じく広告を主な収入源とする
・メディアとは異なり 、組織に属さない 個人が コンテンツ形成の主体となる。
この議論の大きな契機となったのは、2010年ころからのChristioan Fuchsの議論と、それへの反論である。Fuchsは次のように主張する。
ソーシャルメディアのユーザーが労働してコンテンツができるが、ユーザーには賃金は払われておらず、ユーザーが創出したコンテンツには剰余価値を含まれる。ここでプラットフォーム事業者(資本)はユーザーを搾取しており、そのコンテンツを広告事業者(資本)に販売すること利潤を得る。
Fuchsの議論に対しては、「プラットフォーム事業者が直接に得るのは、広告場所の利用権を広告事業者に売ることで得る地代である。搾取は、広告事業者を利用している産業資本が自分の雇用労働者から行っている。そこで搾取した剰余価値がプラットフォーム事業者に地代として分与されている」という反論が多い。経済学的には反論の方が正しい。しかし、ソーシャルメディアやITについて、経済学の基礎である価値論から論じたFuchsの意義は大きい。というのは、この分野の議論の多くが、価値論の否定や、物質的な労働から非物質的な労働への変化、利潤の地代・レントへの変化を主張して、経済学の基礎概念を否定する傾向が多いからだ。
以下、少し羅列的になるが、この論争からいくつか書いておく。
Fuchsの議論とその文脈
1970年代にDallas Smytheは、視聴者商品(audience commodith)説を唱え、これをめぐって論争になった。Smytheの説は、マスメディアが視聴者を引付け、この「視聴者がマスメディアのコンテンツを視る」ことを商品して、広告主に販売するというものだ。この視聴者商品は、視聴者が「視る労働」を行うことで商品となる。これはマス・メディアによる大衆の形成という社会学的な論点を含む。この議論はその後、減っていくが、ソーシャルメディアの発展に踏まえて、Smytheの説を発展させたのがFuchsの説になる。
Fuchsはソーシャル・メディアを運営する資本の資本循環を次のように考える。
Fuchs, Christian [2016]から一部改変
資本が雇用し賃金を払っている労働者がFacebookやGoogleのサーチなどのプラットフォームを作り、そこで、賃金も報酬も受け取っていないユーザーが労働を加えてコンテンツを作る。これはGoogleのサーチによって見つけ出された、閲覧に関する諸サイトの情報も含まれる。ユーザーがコンテンツを作成するのはもちろん労働だが、グーグルでサーチするのも労働である。こうしてユーザーによる無償の労働を集積することで資本は、剰余価値を得る。ユーチューバーは報酬を受け取っているが、ここで問題にしているのは大多数を占める一般のユーザーのことである。
なお、Fuchsの目的は、単に客観的な経済・社会分析だけでない。ソーシャルメディアのユーザーによる労働が価値を形成し、FacebookやGoogleなどのプラットフォーム事業がユーザーの労働を価値を搾取していることを示し、プラットフォーム事業の資本による独占に対してユーザーが抵抗と社会変革の主体になる、という社会運動的な狙いがある。
現在のマルクス経済学にとって
私は今までこうした議論に気づかなかったし、今でも全体像を把握してるわけではない。なぜ気づかなかったのかと言えば、こうした議論が、コミュニケーションやメディアの領域で広がっているからだ。
普通のマルクス経済学の中心的な領域では、
・労働価値説や生産価格論は、生産物が生産過程に生産手段として投入される社会的再生産の構図を前提としている。
・生産手段以外では、労働者の生活に必要な生活物資の生産が基礎になっている。
・生産過程は確定的であることが前提となっている。
しかし、ソーシャルメディアや知識・情報は社会的再生産の基礎部分ではなく、また、その開発には確定的な生産過程がない。さらに、これらを取り上げている日本での議論には「認知資本主義」や「非物質的労働」を強調する潮流などがあるが、マルクス経済学(というよりも広く経済学一般)の基本概念を批判する向きも多い。たとえば、
・労働価値説が当てはまらなくなった
・資本が得るのは、剰余価値や利潤ではなく、レントが中心になった。
・労働を「構想と実行の分離」として「構想」から切り離された「実行」としてとらえ、現代の知識での活動は、従来の労働概念が成り立たなくなった、
といったものである。
現代の宇野理論にとって
とはいえ、現代の宇野理論ではそうした批判の多くは当てはまらない。つまり、
・労働とは本来、「構想」を含むものである。(東京経済大学学術フォーラムの報告参照)
・労働価値説は社会的再生産における総資本と総労働の分配関係を示すものなので、個別の商品の交換比率を意味するわけではない。
・流通を生産から区別し、流通過程の不確定性を強調する。流通活動における労働は、生産ではないし、価値の増殖もしない。流通過程に投ぜられた資材や労働は、新たに価値を形成することなく費消される。生産過程のおける労働は価値を増加させるが、商品の価値の実現(販売)のためには、流通過程での労働を必要とする。後者の労働は物資を消費する。
・ソーシャルメディアや、広くGAFAなどの活動の多くは、販売活動を促進するための商業地代の対象となる。
・ユーザーの労働は、たとえば接客サービスにおける労働過程で、「労働移転」の発展から考えることも可能だ(これは宇野理論だけというわけではないが、鈴木和雄『接客サービスの労働過程論』が論じている)
・社会的再生産の領域における生産と、知識の領域における発見との区別。前者は確定的な生産過程を持つが、後者は客観的な根拠がない。
現代の宇野学派の理論では労働過程論や市場機構論が活発に展開されており、メディアや情報・知識といった領域も十分に分析対象となる。このブログでも以前、「サッカー選手の感情労働と新自由主義」でも考察した(なお、この記事は授業での質問への回答である)。
知識や情報の領域は、今回、取り上げたソーシャル・メディアにおける労働の問題だけではない。この領域の議論の中で興味深いものを今後、取り上げる。
私が読んだFuchsの論文と、それへの反論
Fuchs, Christian [2016] Towards Marxian internet studies, in Marx in the Age of Digital Capitalism
http://digamo.free.fr/fuchsmosco.pdf
Fuchs, Christian [2011] A Contribution to the Critique of the Political Economy of Google, Fast Capitalism, 8(1).
https://fastcapitalism.journal.library.uta.edu/index.php/fastcapitalism/article/download/232/269
Fuchs, Christian [2015] The Digital Labour Theory of Value and Karl Marx in the Age of Facebook, YouTube, Twitter, and Weibo, in Reconsidering value and labour in the digital age, 26-41
http://fuchs.uti.at/wp-content/uploads/CF_value.pdf
反論をふくむもの
Tomás N Rotta, Rodrigo A Teixeira The
commodification of knowledge and information, in The Oxford Handbook of Karl
Marx,
地代の諸形態(差額地代第1、第2、絶対地代、独占地代)を知識に当てはめて論じているのが興味深い。
Rigi Jakob [2014] Foundations of a Marxist theory of the political economy of information: Trade secrets and intellectual property, and the production of relative surplus value and the extraction of rent-tribute, tripleC : Communication, Capitalism & Critique, 12(2)
https://triple-c.at/index.php/tripleC/article/view/487/666
知識の排他的使用について、著作権や営業上の秘密、ブランドなどを具体的に地代として論じているところが興味深い
Rigi, Jakob and Prey, Roberet [2015] Value, rent, and the political economy of social media, The Information
Society, 31 (5), 392-406
情報やメディアの領域で得られる利得は地代であり、それ以外の領域で得られた剰余価値の分与だとしてFuchsの説を批判している。ただ、「知識の生産」という言い方(一般によく使われる言い方だが)がひっかかる。論争の経緯がわかりやすい。
Jeon, Heesang [2018] Knowledge and contemporary capitalism in light of Marx's value theory, PhD Thesis, SOAS University of London.
http://eprints.soas.ac.uk/26177/1/4485_Jeon.pdf
学位論文。主な説の要約や批判のポイントがわかりやすい。地代論については、マルクス『資本論』の地代論は、その時代の農業の歴史的な位置づけを説くものであって、マルクスの地代論が現在の知識の問題にそのまま使えるわけではない、という説を紹介している。地代論の抽象化が必要だ。
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