感情労働についての質問への回答
感情労働について、かなり以前から講義やゼミで、課題やレポートのテーマにしている。答案を読んだり、質問を受けたりすると、あらためて労働としての感情労働を考えるよい機会となる。
よくある質問への回答を以下に挙げておく。
質問は、「感情労働には表層演技と深層演技の違いがあるが、表層演技は本心ではない作り笑いのようなもので、深層演技は本心からの気持ちから生じる表情や言動か? つまり、謝罪とか、目上の人に敬意を持つとかいった場合に、自分を社会的に求められる感情になるようにして、その感情になることで自然と出てくるのが深層演技か?」
←①この質問の深層演技の例は、本当の(実際の)気持ちが表情に現れるのであればそれは労働ではない。直接的欲求と結びついた非労働の行為になる。楽しいから笑う、眠いから寝るのと同じ。
②深層演技は、自分の心の中の感情と一致するように自分の感情を意識的に制御すること。その目的意識性に労働としての性格がある。つまり、たとえば謝罪の場合では、自分が申し訳ない、という気持ちになるように努力する必要がある。この時は相手にとっても、本心からそうしているのだな、と思われることになる。こうした気持ちの持ちようは慣れてくると自然にできるようになる気がするが、それは、ベルトコンベアの作業でも習熟効果で自然と体が動くのと同じ。(「分業」の「習熟効果」を復習するとよい)
③深層演技についての普通の理解はこの②のくらいでよい。ただ、本当はそれだけでは正しくない。というのは、そういう「申し訳ない」という気持ちになれば、相手の感情に変化をもたらす、つまり「適切な精神状態を呼び起こす」ような自分の「表情と身体的表現を作る」ことができるか? できると言い切るとすれば、たぶんそれは目的意識性の低いアマチュアリズム、素人レベルの感情労働だろう。本当に労働のレベルが高い労働は、表情や身体的表現をどうすれば効率的か、考えるのではないだろうか。最近、AIを用いた笑顔の練習アプリがある。これは表層演技が想定されているが、こうした訓練は深層演技でも必要だ。
④表層演技については、作り笑いというところが気になる。相手の感情に変化をもたらす、つまり「適切な精神状態を呼び起こす」ことが必要なので、相手に悪印象を与えるほどの作り笑いだと感情労働として成立していないだろう。表層演技でも、相手が「適切な精神状態」になるように、作り笑いだと思われない笑い(笑顔)が必要だろう。
⑤総じてこの質問は、本心かどうか、ということに基準を置いているようだ。しかし、それでは非労働か労働か、という基準になってしまう。②をよく考えてみるとよいだろう。そしてよく考えていくと③のような考え(疑問)が沸いてきたら相当な思考力に達しているだろう。
以前の記事「東経大学術フォーラム:労働の報告での質問・感想について」の最後の回答も参照。
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