【新しい地代論3】本源的自然力への固定資本投下と本源的自然力の恒久的改良(3月12日修正)
A.はじめに
この二つは原理論の地代論で土地について「土地合体資本」と「恒久的土地改良」と言われるものだ。
現在の原理論では、「土地」を本源的自然力として抽象化し、知識や生産技術も含めて一般化するので、「土地合体資本」は「特定の本源自然力と不可分に一体化した固定資本」、「恒久的土地改良」は「本源的自然力の恒久的改良」となる。
ここで本源的自然力の概念について確認しておくと、知識や生産技術は、利用制限されていてもいなくても、本源的自然力だが、地代論として問題になるのは利用制限されている場合である。また、土地と、知識や生産技術は完全に同じというわけではない。原理論の最も抽象的な論理「展開」のレベルでは「本源的自然力」として同じだが、より具体化する「変容」のレベルでは、特定の有体物から分離不能なタイプ1(土地など)、特定の有体物から分離可能で多数の有体物に共通して存在しうるタイプ2(知識や生産技術など)に変容する。以前の記事参照。
B.問題の設定
先行研究はタイプ1としての土地についてのものがほとんどなので、まずは土地について論じる。
土地への資本投下または改良への支出は、①流動資本、②移動可能な固定資本、③土地と不可分な固定資本、つまり土地合体資本、④恒久的土地改良に支出した費用、に分かれる。
①と②は工業と同じ扱いが可能である。③と④は一括して「土地資本」とか「土地への投資」などとよばれることもあったが、現在の原理論では③と④は区別する(たとえば、小幡『経済原論』210-211頁)。つまり、③は資本家による資本投下だが、④は資本投下ではなく土地所有者階級が担う費用支出である。恒久的土地改良は社会的再生産の外側で1回限りの行為なので、費用支出と生産物増加との間には客観的な関係がない。ここが社会的再生産過程を前提とした資本投下①②③との違いである。もちろん①②③も、不均質な本源的自然力を生産条件とする場合、個々の生産条件ごとに投入・産出の関係は異なるが、同じ生産条件であれば理論的には毎回、同じ投入・産出関係となる。
㋐資本家が③と④を負担した場合、賃借契約期間終了の際に、③と④の残存効果が土地所有者の所有に移転し、収奪されてしまう、とされることについて、
㋑土地所有者が③と④を負担する場合は支出額に利子率をかけた利子を求めるのに対し、資本家が③と④を負担する場合は投下資本額に利潤率をかけた利潤を求める、とされることについて、である。
C.㋐借地資本家の土地合体資本投下と改良支出は契約終了で土地所有者に収奪されるのか?
契約期間内に借地資本家が土地に働きかけた土地合体資本や恒久的改良支出の成果は、契約終了時に無償で土地所有者に収奪されるというのがマルクス『資本論』の基本的な考えである。こうして土地所有者の寄生的な性質が強調される。しかし、契約期間内の借地資本家による土地合体資本や改良支出は、テナントライトまたは有益費として補償される、と言われることも多い。
以下、この記事では主に土地合体資本について説明する。恒久的改良は必要に応じて補足的に論じる。
C.1 生産価格と一般的利潤率の観点からは補償は必要
結論を先に言えば、原理論の再生産過程の観点からは補償が必要である。
もし、補償されずに土地所有者に収奪されるなら、借地契約期間中に資本家が投下資本を回収し、平均利潤を獲得するには、以下の価格が必要である。
a1 (1/m + r ) + a2 (1/n2 + r ) + a3 ( 1+ r ) …(1)
ここで、 a1:土地合体資本投下額、a2:土地合体資本以外の固定資本投下額、a3:流動資本投下額、r:一般的利潤率、m:土地合体資本投下後の借地契約期間、n2:土地合体資本以外の固定資本の耐用期間。(この形の式は磯前[1995]203などにある)
もし契約期間が無期限で、土地合体資本の収奪がない場合は、a1とa2は次の式のように同じ扱いになる。
a1 (1/n1 + r ) + a2(1/n2 + r ) + a3 ( 1+ r ) …(2)
ここでn1は土地合体資本の耐用期間。
(1)と(2)を比較すると、m < n1 であれば、(1)では土地合体資本を、加速度償却のように通常よりも早く償却しなければならないので投下資本の回収と平均利潤の獲得に必要な価格水準は高くなる。これについて磯前[1995](もとは新沢嘉芽統の説)は、最劣等の調整的な生産条件の観点から論じた。他方、日高は早い償却が可能になるほど土地合体資本が生産性を高めて超過利潤を得ることができれば、その土地合体資本は投下される、という論理で説明する。なお、日高[1974]178。なお日高の文章中に埋もれた計算方法は少し複雑だが、計算して整理すれば(1)と同じになる。以下、この二つの説明について述べる。
磯前(新沢)では、mが最小になる最短借地期間契約の生産条件が最劣等の調整的生産条件になる(磯前[1995]203)。最短となる借地期間はm=1のはずなので、そうすると、式(1)は以下の形になる。
a1( 1+ r )+ a2 (1/n2 + r ) + a3 ( 1+ r ) …(3)
こうすると、固定資本のはずの土地合体資本a1は流動資本a3と同じ扱いになって不合理だ。また、契約期限終了直前に借地資本家が、土地所有者に根こそぎ奪われるのを承知の上で大きな土地合体資本を投下するのが調整的生産条件、というのも不合理だ。
m=1は不合理なので、それ以外の最短借地期間を選ぼうとすると、生産価格と一般的利潤率の方程式体系に契約期間という確定性のない要素を含むことになる。本来、生産価格と一般的利潤率は多数の資本間の競争関係と生産過程における技術的確定性を前提にするのだから、契約期間の長短による変動は捨象される必要がある。
日高の説明は、優等地においてまだ優等な追加投資の余地が残っているという状態を前提に、土地合体資本を追加投下するかどうか、という個別の借地産業資本家による判断基準としてはありうる。しかし、最劣等の調整的生産条件での土地合体資本はどうなるか、という問題は不明である。再生産過程に基づく生産価格論では最劣等である調整的な生産条件での土地合体資本の扱いが重要である。つまり、日高の説は、生産価格論といった再生産過程の全体の観点ではなく、超過利潤を得られる可能性のある個別資本の観点のものといえる。
上記の磯前(新沢)、日高の説はいずれも、契約終了時の残存する土地合体資本が土地収奪される、という前提そのものに難点がある。
C.2 テナントライト(有益費)の補償がある場合
そうではなく、テナントライト(有益費)が補償されるなら問題は簡単だ。借地契約期間の影響がなくなり、固定資本の回収と平均利潤の獲得のために必要な価格は上記の(2)式になる。つまり
a1 (1/n1 + r )+ a2 (1/n2 + r )+ a3 ( 1+ r ) …(2)
a1 のうち、契約終了時に補償されるべき額は、土地合体資本の契約終了時の残存価値量として以下のようになる。
a1
C.3 私的所有の観点からも補償は必要
以下は主に島本[2001]『現代農地賃貸借論』第4章による。
現代の日本の法律では有益費は原則的には補償されるべきものとされている。農業では、民放196条と土地改良法59条が挙げられることが多い。民法196条(占有者による費用の償還請求)では「①占有者が占有物を返還する場合には、その物の保存のために支出した金額その他の必要費を回復者から償還させることができる。ただし、占有者が果実を取得したときは、通常の必要費は、占有者の負担に帰する。②占有者が占有物の改良のために支出した金額その他の有益費については、その価格の増加が現存する場合に限り、回復者の選択に従い、その支出した金額又は増価額を償還させることができる。ただし、悪意の占有者に対しては、裁判所は、回復者の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。」とある。
「有益費」とは賃借物の価値を高めるために支出した費用で、「必要費」は賃借物の価値を維持するために支出した費用である。必要費と有益費の区別は問題になることもあるが、原理論からいえば、必要費は流動資本、有益費は土地合体資本と恒久的改良費用といえる。
ここでいうまでもないかもしれないが、補償されるべき増価分は次の式になる。Δdは地代あるいは超過利潤の増加分である。
この式でn1が無限大で、すべてのΔdkが等しければ、Δd/i になる。つまり【恒久的改良費= 地代増加額 ÷ 利子率】となるが、この考えの難点を後のD.2で述べる。
土地改良法59条(償還すべき有益費)では「土地改良事業に費された有益費を民法(明治29年法律第89号)の規定により償還する場合には、償還すべき額は、同法第196条第2項本文の規定にかかわらず、増価額とする。」とある。ただしこれらの規定は強行規定ではないので、土地所有者と借地者の間で契約は任意である。
ここでは「不当利得返還請求」の論理になっているが、これは国によって異なり、例えばドイツでは「事務管理」の法理に依るようである。いずれにしてもその土地に付与した価値についてはその行為者に補償されなければならないのは、資本主義の前提である私的所有としては当然の論理であろう。補足すると「不当利得返還請求」では、借地資本家が土地に残した財産的価値が不当に土地所有者に移転していることが焦点になっており、「事務管理」ならば、本来、土地所有者がすべきことを借地資本家が代わりにおこなったということが焦点になるということだろう。
C.4 テナントライト(有益費)の補償の方法について
第1に補償額の計算について。日本の民法196条第1項の「その支出した金額」と「増価額」の二つは異なる金額である。基本的に、補償額を「その支出した金額」とした場合はコストアプローチによる評価となり、「増価額」の場合はインカムアプローチによる評価になる。この二つの相違の原因は、一つには本源的自然力の発見(または改良)が1回限りの行為であり、再生産過程の外側にあることである。もう一つは、当然のことであるが、「支出した金額」は過去に支出した額であるの対して、「増価額」は将来の収益を何らかの割引率で現在価値へと還元しているからである。
第2に、補償の方法は、必ずしも契約終了時の金銭支払いとは限らない。契約開始時に、直前に借地していた資本家の残した残存価値を現物で受けとる可能性もある。つまり、【契約開始時の生産資本の受取額】と【契約終了時の生産資本の引渡額】が同じであれば、契約終了時の金銭補償は不要である。また土地所有者が契約終了時に金銭で補償した場合、その補償額は次に契約する借地資本家から回収される。おそらくは地代の上乗せの形だろうが、論理的には契約時に一括払いの方法もあり得る。いずれにしても、前の契約者に対する金銭補償がなければ、次に契約する資本家はその分、少ない生産資本で事業を開始できる。だから、契約終了時に金銭補償がない場合でも、必ずしも借地資本家が土地所有者に収奪されているとは限らない。つまり、金銭補償がない場合は、契約開始時に土地所有者が借地資本家に土地合体資本を現物で補償し、契約期間中に借地資本家に土地合体資本を投下した、と考えるべきだろう。つまり借地資本家の資本投下と、土地所有者による補償の前後が入れ替わる。ただし、この金銭補償がない場合は、慣習や契約で一定額の土地合体資本の投下が借地資本家に義務付けられる必要があるので、金銭補償の方がすっきりしているのは間違いない。イメージでいうと次の図のようになる。
この補償がされるかどうか、またどのような形で補償されるかは、土地所有者と資本家の間の競争関係、それぞれの階級内部での競争関係、さらに個々の主体それぞれの戦略(思惑)によって異なるだろう。これは変容論的アプローチでいえば、変容というよりももっと具体的な多態化のレベルになろう。
参考までに実際の慣行としては以下のように言われることが多い。19世紀末までのイギリスではテナントライト補償は法律的には定められてはいなかったが、実態的には、補償されるケースも多かったようである。法的な強制ではなく、当事者間の契約に任されることが多かった。19世紀末の大不況で農業は大きな不況になり、テナントライト補償が法的にも保護されることになる。以上、大内[1982]613-614、椎名[1973]、田代[1985]、柘植[2007]、柘植[2006]など。
日本では第二次世界大戦までは、土地所有者(大地主)の力が圧倒的で、借地者(小作人)の固定資本投下も少ないので、有益費補償はされないことが多かった。第二次大戦後は自作農が中心とされたので、借地での有益費は大きな問題にならなかった。しかし農家数の減少と規模拡大による企業的な農業の展開で有益費補償の明確化が現在、問題になっている。とくにUターンやIターンで農業を開始した場合は、かつてのような家業ではなく事業として経営されるので、借地者は有益費補償に敏感になっているといわれる。島本[2014]
このように、投下資本額を私的所有の観点から補償することを原則とし、その補償の仕方は、契約終了時に貨幣、あるいは契約開始時に現物などいろいろありうると考えることで、原則と応用を理解することが可能になる。マルクス『資本論』での説明は当時のイギリス特有の状況を、土地所有者の寄生性を強調する方向で説明したものであり、原理論として一般的とは言えない。
C.5 タイプ2(知識や生産技術など)でのテナントライト(有益費)補償
たとえばタイプ2の中の特許では、土地所有者は特許権者(ライセンサー)、借地農業資本家は特許実施権者(ライセンシー)にあたる。土地合体資本は、その特許実施のためだけに使える機械などの固定資本で、恒久的な改良支出はその特許を実施するために必要となった知識や生産技術の研究開発となる。後者の知識や生産技術はそれら自身が特許の対象となる。二つの特許の関係は、利用関係となり、後者が利用発明となる。
ここでライセンサーとライセンシーの関係はミクロ経済学や新制度学派の「関係特殊的投資」と「ホールドアップ問題」のように見えるかもしれない。しかしここでは特許実施権者の交代の話なので、単純にそう考えるわけにはいかない(有本・中島[2010]27も参照)。
特許についてはさまざまな観点からの議論があるが、ここでは地代論での議論にそくすものに限る。特許実施権者が投下した特有の固定資本や、費用支出で得た知識や生産技術は、契約期限切れとともに特許実施権者には利用不能になるが、特許権者にとってもそれらをそのまま放置させるよりも、次に契約する特許実施権者に使わせる方が有利である。というのは、次の特許実施権者では、固定資本投下と、必要な知識や生産技術の研究開発費用を節約でき、超過利潤が生じることで、特許権者はより多くの特許使用料(地代、レント)を得ることが可能になるからである。であれば、特許権者は、契約期限が終了した特許実施権者に補償をして、固定資本と、知識や生産技術の所有権を継承し、次の特許実施権者に使わせて、固定資本使用料と合わせて特許使用料(もともとの特許と、以前の特許実施権者の知的所有権によるもの)を取ることも選択肢だろう。特許実施者にとって後での補償が保証されていれば、固定資本投下と知識や生産技術の開発はおこないやすくなる。この、補償するという選択肢は、土地所有者のテナントライト補償と同じである。
逆に補償しない、という選択肢もある。その場合、特許実施権者によるその特許特有の固定資本も利用発明もそのまま使えなくなるだけ、という場合と、基礎となる特許の特許権者が利用発明を買い取る、または収奪するグラントバックということもある。ミクロ経済学では1980年代以降の一般均衡論から乖離(前提条件の緩和)の一つとして契約理論やゲーム理論などで論じられる範囲になるだろう。このような2者間の相互影響的な関係は、マルクス経済学の原理論では、流通過程を介する場合は「組織化」論として発展しつつある。しかし流通過程が媒介せず、生産過程が直結する場合にはまだ議論が乏しいようだが、これは生産過程で生じる超過利潤の分配関係として地代論で論じることが可能だろう。
ここで話を戻すと、知識や生産技術といった本源的自然力タイプ2でも、タイプ1の土地の場合と同じく、関係する主体の間での力関係や戦略によって補償の有無や補償の方法はさまざまな形をとりうるが、上記のように考えることで、原則と応用を理解することが可能になる。
D.㋑資本家は利潤率を求め、土地所有者は利子率で満足する、と言えるか?
D.1 土地所有者が土地合体資本を投下する場合
この場合、上記の式(3)式 a1 ( 1/n1 + r ) + a2 ( 1/n2 + r ) + a3 ( 1+ r ) の第1項のa1を土地所有者が負担する。借地資本家はa2とa3のみを負担し、資本家の利潤はa2とa3に対する部分だけになる。生産物が通常の価格で販売されれば、借地資本家にとってはn1の期間にわたって、a1 ( 1/n1 + r ) が追加の超過利潤になるため、この超過利潤は土地所有者が地代として取得する。なお、ここで磯前[1995]は、土地所有者が土地合体資本を投下することはない、としたうえで、仮に投下するとするならば、土地所有者は利潤率ではなく、利子率で満足するため、(3)の第1項がa1( 1/n1 + i ) となって、生産費が安くなる、と論じている(208)。しかしその考えは正しくないだろう。もし、正しいとしても、安くなった価格との差額
a1 ( 1/n1 + r )-a1 ( 1/n1 + i ) = a1 ( r‐i )
は結局、超過利潤となり、土地所有者が地代として得るのだから同じことだ。自作農は利潤が不要なので生産費が安くなる、という議論と同じになる。商品の社会的価値を決めるのは平均利潤を含む標準的な生産費であり、土地所有者が利潤を求めず利子で満足するとすれば、超過利潤は借地資本家が取得し、超過利潤を求める資本間の競争でその超過利潤は地代に転化する。そうして土地所有者は利子率ではなく利潤率の大きさの儲けを地代の形で得る。
このように土地所有者が土地合体資本を投下する場合は、土地所有者は資本家の役割をするように見えるが、土地所有者が土地合体資本を投下するのは、土地所有者が借地資本家を引き寄せるためにやむを得ず必要な資本の一部を負担する、と考えた方がいいだろう。もちろん、土地所有者自身が自身の土地で本格的に産業資本になる場合もありうる。しかし原理論としては土地所有者の独自の役割を理解するためには、土地所有者のままだとして論じるべきだろう。
土地所有者は、土地の利用権の販売のために他の土地所有者と競争する。ここで土地所有者は利用権が買われるのを単に待つだけではなく、土地合体資本を含む固定資本を負担したり、恒久的改良費用の支出をしたり、さまざまな能動的な活動をすることもありうる。このようにたしかに現実には地代の中には固定資本の利潤分に相当するものもあるが、地代を純粋に考える場合は、そうしたものは除去するのがマルクス以来(あるいは古典派以来)の原理論の方法である。
D.2 恒久的土地改良について
日高は、土地への改良が恒久的であれば、減価償却は不要で、改良費に対する利益の増加分としては利子率を上回ればよい、とする(日高[1974]185-186)。まず式(3) に、恒久的土地改良に支出された費用を追加すると、a1の中にn1が無限大になるものがあるということになる。それをa0と表記すると
a0 ( 1/∞ + r ) + a1 ( 1/n1 + r ) + a2 ( 1/n2 + r ) + a3 ( 1+ r ) …(4)
1/∞ = 0 とすれば、(4)は以下のようになる。
a0・r + a1 ( 1/n1 + r ) + a1 ( 1/n2 + r ) + a3 ( 1+ r ) …(5)
しかし、a0が資本ではなく、いったん支出すれば継続的に収益を受け取り続けられるのであれば貸付と同じで、儲けは利潤率ではなく、利子率でよいということになる。別の言い方をすれば、a0の金額で新しい土地を買っても地代を継続的に得ることができる。それで【土地価格 = 地代 ÷ 利子率】と同様に【恒久的改良費= 地代増加額 ÷ 利子率】ということになる。そして土地購入に要した金額を償却する必要がないのと同様に、恒久的改良に要した費用も償却する必要はない。
以上の日高の説をまとめると
a) 恒久的改良に支出した費用は償却されない。
b) 恒久的改良に支出した費用に対しては利潤率ではなく、利子率でよい。
これらの前提として
c) 土地所有者が改良をすればその利益は恒久的に自分のものとなる(日高[1974]185)
たしかにc)の言うように、恒久的な生産増加の効果と同様に、地代の増加分も恒久的に得られれば、上記の関係は成立する。しかし、地代の方の恒久性は正しくない。最劣等の調整的生産条件が変われば地代も変わるので、地代の増加分は恒久的に得られるわけではない。地代の増加分がなくなったり、さらには地代が減ったりする可能性もある。地代増加分が無限に得られるというc)の前提がなくなれば、a)もなくなるので改良費の償却の必要も生じる。
そう考えると、実は【恒久的改良費= 地代増加額 ÷ 利子率】は誤りであり、そもそもその前提にある【土地価格 = 地代 ÷ 利子率】という想定が、地代は恒久的に不変という誤った想定に基づいていることがわかる。
たしかに恒久的改良は生産物量が増えるというその土地自体の絶対的な効果であり、恒久的である。しかし地代の中心をなす差額地代は、最劣等の調整的生産条件の生産性との相対的な差なので、最劣等の調整的生産条件の生産性が上がればその増加分は減少する。
D.3 土地と「無形資産」との共通性
ここで、上述C.4で紹介した、現実の有益費補償の議論にある「支出した額」と「増価額」との相違に不均質な相違として問題になる。この相違は土地だけの特徴ではなく、会計で「無形資産」とよばれているものの評価でも同様に問題になる。
支出した額、正確には再調達原価による評価はコストアプローチ、増価額による評価はインカムアプローチに相当する。この相違は以下の3つのレベルで生じる。第1に上述の、BやC.4で述べたように社会的再生産の外側で一回限り、ということである。第2に、この項で述べた、将来の地代(あるいは超過利潤)が不明だということである。第3に、C.4で述べたように支出した額が過去の実際の支出額であるのに対して、増価額は将来の収益を何らかの割引率で現在価値へと還元しているからである。
この問題は、会計における「無形資産」で耐用期間が明確ではないものは、減価しないので減価償却depreciationはされないが、支出費用を回収する場合は償却amortizationとなる。ただし、減価しないのだから償却しないという選択肢もあり、その場合は定期的に、将来の収益額を予想しその額を何らかの利子率で割り引いた現在価値を評価し、その減少分を減損損失(増加の場合はその他の包括利益)として処理する方法である。前者が原価モデルで後者が再評価モデルとなる。これは利潤の認識と測定についての原理論の開口部と変容のポイントになる。保有する土地は一般的に再評価モデルに相当する。
つまり、土地と、知識や生産技術は、本源的自然力として原理論では同一のものとして展開されるが、資産価値評価においても減価償却されない点でも共通性がある。そのうえで、陳腐化しやすい本源的自然力タイプ2(知識や生産技術)は償却の選択肢もあるが、陳腐化しづらいタイプ2(土地)は再評価モデルが基本である。しかし恒久的土地改良も陳腐化の可能性があれば償却する可能性も論理的にはありうる。椎名[1973]は道徳的摩損(陳腐化のこと)も含めて恒久的改良の償却の必要を主張している(13頁)。
こうして現代における地代論は、会計における「無形資産」の扱いを組み入れたときに、より完全な形で理論的な発展を成し遂げることが可能になる。「無形資産」については以前の記事参照。今後の記事でも取り上げる。
(終わり)
コメント
コメントを投稿