地代論を知識の領域へと拡張するフレームワークについて

 


マルクスは地代を差額地代第1形態(DR1)、差額地代第2形態(DR2)、絶対地代(AR)、独占地代(MR)に分類して地代論の基礎を確立したが、その領域は土地と農業に限られた。その後、1970年代に都市地代へ拡張する研究があった。最近では知識や情報の領域への拡張が進められている。拡張の概念を図式にすると以下のようになる。

原理論体系における地代の諸形態は、以前の記事で説明したように、まずは生産過程に作用して原価のレベルで確定的に生産性の差を生む地代と、流通過程における商業地代の区別がある。

地代の諸領域

地代

生産過程で作用

通常の意味での地代:原価のレベルで確定的

流通過程で作用

商業地代

次に前者の地代を生じる根拠となる本源的自然力について、土地をはじめとするタイプ1と、知識をはじめとするタイプ2に分けるのが良い。

本源的自然力のタイプ1,2

多態化

土地など

知識など

変容

タイプ1

タイプ2

特定の有体物と不可分に結合

特定の有体物と分離可能で,多数の有体物に遍在しうる。

本質的に不均質

他のモノとは非連続的な格差。

有体物を通じて利用制限可能

法的にのみ利用制限可能,あるいは知識の秘匿で制限可能

展開

資本移動の自由→生産条件の格差→競争制限による格差の固定化〔地代〕 →流通過程における競争

 

以下、地代論を知識(あるいは情報)に拡張しようとする試みを紹介するが、基本的に上記の枠組みで考えれば整理しやすい。

 Rigi [2014]による地代の諸領域と諸形態

 まず、Rigi [2014]では、地代の諸領域を以下の3つに分類している。

ground rent

advertisement rent

information rent

trade secrets(営業秘密)

intellectual property(知的財産)

(Rigi[2014]p. 917)

それぞれの性質の違いについては、土地は自然的に希少だが、知的財産は法と国家によって人為的に希少にされる(Rigi[2014], 924) 情報の概念については、デジタルに複製可能なものに限定する(Rigi[2014] p.910)。知的財産と営業秘密の区別は前者が商品になるのに対して、後者は商品にはならない(p.913)

Advertisement rent とは、メディアの所有者が広告主から得る地代のことで、広告主は将来の販売を拡張できる見込みから地代を払う (Rigi and Prey [2015] p.396)。これは原理論でいう商業地代に相当する。

続いてRigiinformation rentを次の3つに区分している。商標trademarks、著作権copyrights、特許権patentsである。さらにそれぞれにありうる地代の諸形態も論じている。地代の諸形態を対応させると以下のように図式化できる。

 

information rentの区分

商標

著作権

特許

地代として存在、あるいは存在しない理由

地代の形態

DR

×

生産過程の生産性に対する異なる影響によって

AR

×

×

×

MR

知的財産とされた情報によるその商品特有の使用価値によって市場価格を高く維持できることによって

○主要にある。 ありうる  (Rigi[2014]p.917, 924, 928, 929)

RigiによればMRは、その商品を生産価格よりも高く売ることができることによって生じる (Rigi [2014] p.922) 。地代の源泉は社会全体の剰余価値からの分与である。他方でinformation rent ではARは存在しない。マルクスの説明によれば、ARが存在できる条件は、A)資本の有機的構成の低さ、B)その部門への参入制限の二つである。ARは、資本構成の低いその部門で生じた剰余価値が他部門に流出しないことで得られることになるが、知識部門では資本構成が高い。研究部門で高くても生産部門では高い。もっと重要なことは、情報それ自身は価値(商品における価値と使用の意味での価値)を持たないので、ARの概念に当てはまらない(Rigi[2014] p.928)

DRについては通常の地代論と同じく、独占された著作権と特許権が商品生産において生産性を高めることがあれば生じる (Rigi [2014] p.927)

 これらの説明を原理論に当てはめれば、DRは生産過程で作用するものについて発生し、MRは流通過程で作用する。

 

Qiao and Feng [2023]による地代の諸領域と諸形態

次にQiao and Feng [2023]は、デジタルプラットフォーム企業を対象としているが、デジタルプラットフォーム企業が創出するモノが地代をもたらす情報だとすれば、Rigiの議論を重ねることができるだろう。結論の部分で、土地とデジタルプラットフォームの対比をしている。図式化すると以下のようになる。

土地

デジタルプラットフォーム企業

地代を得る方法

所有権による独占

データの収集、加工、分析によって

地代の前提

自然に存在

ヴァーチャルデジタル空間における大量の投資が必要

規模拡大

自然条件によって制限

いったんネットワーク外部性のようなものを得れば連続的に拡大可能

Qiao and Feng [2023] p.61

デジタルプラットフォーム企業における地代の諸領域の分類は以下のようになる。

生産的

生産過程において

非生産的

商品交換において

労働力の再生産において

Qiao and Feng [2023] p.56

「商品交換において」の部分は原理論でいう商業地代になる。

地代の形態の叙述を図式化すると次のようになる。

 

 

地代として存在、あるいは存在しない理由

DR

デジタルプラットフォーム企業における生産性の違いによって

AR

×

デジタルプラットフォーム企業はARというよりも、投資に対する平均利潤を必要とするため(56)

MR

デジタルプラットフォーム企業間における暗黙の戦略的合意によって(p.59)

Qiao and Feng [2023] p.54

彼らはデジタルプラットフォーム企業の利益を【平均利潤 + DR + MR】としている。ARについては、これまで様々な議論があるとしたうえで、彼らの見解としてはデジタルプラットフォーム企業におけるARを否定する。その理由は土地と違ってデジタルプラットフォーム企業は多額の資本投下を必要とするので、ARというよりも、その投資額に見合う平均利潤を必要とする。

これらの説明を原理論に当てはめれば、DRは生産過程で作用するものについて発生する。MRは宇野学派(大内・日高説)のARに近い。

 

Rotta and Teixeira [2019]による地代の諸領域と諸形態

Rotta and Teixeira [2019]で論じられている土地と知識の違いは以下のようにまとめることができる。 

土地

知識(情報)

価値

土地利用する農業は剰余価値をつくる

創出された知識には価値はない(商品における価値と使用価値の意味で)p.385

利用のされ方

同じ土地は一度に一つの作物しか作ることができない。

同じ情報は、同時に多数の企業に利用可能(Foley[2013]の引用)p.389

DR1

同じ土地はすべての農業資本家に同時に使われることができないので、DR1はある

すべての企業が同じ情報を使うことがあり、その場合、DR1は存在しなくなる p.388


地代の形態については以下のようにまとめることができる。


土地と農業

知識

知識の領域でその地代が存在、あるいは存在しない理由

地代の諸形態

DR1

異なる知識において生産性の違いによって

DR2

投下資本額の違いによって生じる生産性の違いによって

AR

×

創出された知識は価値を持たないので(Rigi[2014]と同じ)

MR

希少ではない商品が、知的所有権によって人為的に起用とされることによって


Rotta and Teixeira [2019] p.388

ARについては、Rigi [2014]による彼らへの批判を受けて、上記のRigiと同じ説明である( Rotta and Teixeira [2019]p.388n4)

 

Basu [2022]による地代の諸形態の分解

Basuは土地と農業についてのみだが、DR1,DR2, ARを分解して図示しているのが特徴だ。追加投資を微少に連続化して、ミクロ経済学の生産関数のようにして示しているが、追加投資の単位額を小さく離散的と考えても同じことを示すことはできる。

簡潔に地代の分解の方法を示すために、この論文の順序を変えて紹介する。まず、優等地を賃借りした資本家が契約期間中に超過利潤を最大化するために追加投資における超過利潤がゼロになるまで投資すると、地代の分解図は次のようになる。横軸は借地区画のへの投資額(金額)で、縦軸は収量である。


Basu[2022]p.563

ODはこの優等地での一次投資の収量、OGは生産価格を回収できる収量である。ここで一般的利潤率と生産価格は所与としている。Gの水平線よりも上が超過利潤になる。超過利潤がゼロになるkまで追加投資される。OIは一次投資が最劣等となる土地におおける一次投資の収量である。この収量を示すIの水平線を上回る部分をBasuDR1と解釈している。Iの水平線よりも下は(最劣等地の一次投資ではなく、どこかの土地の)追加投資が最劣等投資になる部分なので、BasuDR2と解釈している。ここではARは存在しない。

この図は一つの或る優等地の状況を示すものだが、超過利潤がゼロになるまで追加投資される場合は、どの土地でも収量がOGになるまで追加投資され、すべての土地の最終投資が最劣等投資になるだろう。宇野学派(日高説)ではこの図のDR1DR2になる。

 

 次に、投資量が外生的に制限されて、上の図のkよりも少ない額しか投資されないとするならば以下のようになる。


Basu[2022]p.560

OFはこの優等地以外のどこかの土地で最劣等となる投資の収量である。投資額が外生的に制限されていなければFGまで下がるが、ここでは外生的に制限されているとしているので、OFOGであり、この差額をBasuARと解釈している。外生的な制限によって最劣等の投資でも得られる地代、という意味である。

 ここでBasuは、マルクスが絶対地代の章の冒頭で最劣等地には地代が生じない、と述べていることは誤りだということを自分が示した、としているが(p.560)、それはマルクス解釈の誤りである。文献研究が明らかにしている通り、マルクスが資本論を書いた順序は基本的に「a 緒論」「c 絶対地代」「b 差額地代」なので、ARを書いた後に、DR2として最劣等地にも生じる差額地代の存在を明らかにしている。

 この図は投資額がFの水平線にまで至っていないのが気になるだろう。通常のARの理解は土地所有者が結託してARの額だけ地代を要求することで価格が上昇する、と考える。そのため投資額はFの水平線にまでになる。Basuの場合は、投資額が外生的に制限される場合とされない場合の二つに分けるのでこうなる。

宇野学派(日高説)では【DR1AR】の場合と、【DR2のみ】の場合の相互背反、交替となる。その二つをBasuの表現方法で示すと以下の二つの図になる。




 Basuの方法の特徴をまとめると、価値論よりも生産価格からのアプローチであり、資本の有機的構成や参入制限は関係ない。借地資本家が地代契約の範囲で、超過利潤がゼロになるまで投資することを基準にしている。そこまで追加投資されればARは成立しない、そこまでの追加投資が妨げられる限りでARが成立するということである。資本の有機的構成や参入制限は関係ないことを明確しているのは利点である。(宇野学派を除いて)マルクス学派の多くが、上記のRigiのようにマルクスのARの説明に拘泥して、混迷している。

 Basuの難点は、最劣等地にも生じる差額地代の存在を知らないことである。優等地での追加投資が最劣等になれば、最劣等地にも生じるDRとしてDR2になる。最劣等地の一次投資も優等な投資になっているので地代を規定するものにならない。ARについては、Basuの言う通り、追加投資を微少にして、超過利潤がゼロになるまで投資すれば、ARが生じない。しかしすべての土地が本質的に不均質で、追加投資が微少で可能ならば、すべての土地の最終投資が最劣等投資になり、DRはすべてDR2となる。しかしこの場合でも、最劣等地でもD一定額のR2が得られるまで土地所有者は土地を貸し出さない、と考えれば、その一定額をArtと考えることができる。これは以前の記事「本源的自然力タイプ12における差額地代と絶対地代」で述べた。











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