内生的貨幣供給理論への批判 :「商品貨幣説」と「組織化」論の観点から



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この記事の論点は、

①内生的貨幣供給説はもともと「主流派」批判だったが、現在の「主流派」は内生的貨幣供給説になっている。ポストケインジアン(以下、PKと略記)の内生的貨幣供給説とは何が違うのか。【現代貨幣理論をめぐる状況

②貨幣における【内生/外生】の区分を、㋐論理的生成と、㋑供給の2つの軸に分けると、多くの内生的貨幣供給説は㋑供給では内生的、㋐論理的生成では外生的、になる。最近の宇野学派の「商品貨幣説」は㋑㋐ともに内生的と言えるだろうか。【諸学説の分析フレームワーク

③事前の貯蓄無しに個別の銀行が内生的に貨幣できるには、銀行間組織が必要である。最近の「組織化」論は、この組織形成を個別資本の利潤追求から説明するのが特徴である。さらに宇野学派のフレームワークの現代的な拡張も可能である。【宇野学派における内生的貨幣供給と「組織化」

 

内生的貨幣供給説は、市場における非銀行経済主体の資金需要に応じて、銀行が与信を通じて貨幣を供給するという見解をとる。一方、外生的貨幣供給説は、政府や中央銀行が市場経済の外から貨幣量を調整し、民間の経済主体に影響を与えるという立場である。

かつて、「主流派」の経済学や金融論が外生的貨幣供給説を支持していた時期には、内生的貨幣供給説がこれに対して批判をしていた。日本の信用論では1990年代前後に、吉田暁による内生的貨幣供給説が一定の影響を与えた。国際的には1980年代以降、内生的貨幣供給説は、自らを「異端派」と呼ぶポストケインジアン(以下、PKと略)の大きな特徴の一つだった。

しかし2000年ころから、経済学の「主流派」のニューケインジアン(以下、NKと略記)が、「新しい古典派New Classical」や各国中銀とともに、中銀の金融政策においてNew Consensus(以下、NCと略記)として見解が一致し、現在の「主流派」も内生的貨幣供給説に近い立場をとるようになった。また、「現代貨幣理論」(以下、MMTと略記)は一般の人々への内生的貨幣供給説の普及を促した。

こうした内生的貨幣供給説の普及に対し、一見、逆説的なことに、従来の内生的貨幣供給説の論者たちは、自身の立場の普及とはとらえず、「主流派」の内生的貨幣供給説に対して批判的立場をとり、対立点を再構築しつつある。

この記事では、内生的貨幣供給説をマルクス経済学、特に宇野学派の観点から以下の2つの点で考察する。

1に、貨幣供給の【内生/外生】とは異なる、貨幣の論理的生成における内生説と外生説の区別である。もともとマルクス経済学において「内生」とは、商品世界から貨幣が生じるという論理的な生成を指していた。その意味で、吉田の内生的貨幣供給説には貨幣の概念が欠けている、と山口重克が吉田を批判したのは当然であった(以前の記事)。内生的貨幣供給説の多くは、貨幣そのものには価値がないとするfiat moneyに基づいており、外生的な貨幣観である。しかし、近年の宇野学派の一部では、不換銀行貨幣にも商品価値の根拠があるとして、貨幣の論理的生成を内生的に捉えようとする動きがある

2に、内生的な貨幣供給における準備金供給と流動性リスクの問題である。PK内部では、準備金供給と流動性リスクに対する見解の違いによって、HorizontalistStructuralistの対立がある。この問題について宇野学派でも議論がある。山口重克は、最も重要な問題は信用リスクであり、準備金と流動性リスクは二義的な問題にすぎない、と論じた。これは「本質規定としての原理論」(あるいは「ブラックボックス」に伏せる場合)では妥当だが、「分析基準としての原理論」としては、山口自身が強調した流通過程の不確定性とそれへの対処の仕方として市場機構論の発展が求められる。この発展の一つに、近年の宇野学派の「組織化」の議論がある。

この記事の目的は、内生的貨幣供給説の近年の状況を簡単に確認し、そこから宇野学派のフレームワークを現代的に拡張することである。以下、A節では近年の内生的貨幣供給説をめぐる状況を概観し、B節では貨幣における論理的生成と供給という二つの軸における【内生/外生】という分析フレームワークを説明する。続いてC節では貨幣の論理的生成についての諸学説を論じる。D節では内生的貨幣供給としてPKの諸説を説明した後、個別の銀行で内生的な貨幣供給が可能となる銀行間組織について「組織化」の概念を適用してみる。最後にまとめと今後の展望を述べるが、何らかの断定的な結論を出すものではない。

 

A.内生的貨幣供給説をめぐる状況

A.1 内生的貨幣供給説の普及と、昔からの主張者の反応の例

近年、内生的貨幣供給説が、経済学「主流派」や一般大衆にも広がりつつある。その契機をいくつか考察する。

 

A.1.1 量的緩和後の中央銀行による内生的貨幣供給説の主張

2010年代、いくつかの中銀において内生的貨幣供給説を支持する論考が発表されるようになった(斉藤[2023])。この動きは、量的緩和政策のマネタリスト的な理解を否定し、セントラルバンカーが本来、持っている内生的貨幣供給説を対外的に説明する試みでもある。様々な内生的貨幣供給説の論者がこれらを引用し、理論的な後押しになった、

ただし、内生的貨幣供給説は貨幣供給の説明であって、貨幣とは何かを論じるものではない(斉藤[2021]77, 82)。そのため、大区分の内生的貨幣供給説にはいろいろな小区分の説が入りうる。

 

A.1.2 MMT(現代貨幣理論)とそれへの反論

PKの一部であるMMTは、内生的貨幣供給説が一般大衆に広がる契機となった。しかしMMTNeo-Chartalism[1]として、返済義務のない負債として政府が貨幣を発行できると過度に強調したため、従来からの内生的貨幣供給説の論者の一部から批判を受けた。この中では、貨幣が銀行の与信によって生じる面を強調すべきという批判があり、例えば金井 [2023]は「信用先行説」であるべき、とした[2]信用先行はPKも、もともと重視してきた(Lavoie, 2022: 261-262[3]

 

A.2 「主流派」「ニューコンセンサス」による内生的貨幣供給説

内生的貨幣供給説は「主流派」への批判の面があったが、「主流派」とは、変化しうる存在である。「主流派」は1980年代以降にはNKになった。NKは市場の均衡を妨げる要因を様々に取り上げ、金融政策(広くは、経済政策一般)の必要性を論じた。NKがリアルビジネスサイクル理論(新しい古典派New Classical)のhyper-rational behaviorを取り込んで、1990年代末からマクロ経済学におけるNew Consensus[4](以下、NCと略)となり(Lavoie, 2002, 194)、テイラールールによる金融政策を取り込んで2010年代には内生的貨幣供給説的な中銀の金融政策[5]が共通理解になった(Fontana et al.,2020: 339)。

テイラールールは、インフレ率と産出量(GDP)について、それぞれの目標値や均衡水準と実際の値とのずれを考慮した反応関数に基づいて政策金利の基準を決める。

名目政策金利 自然利子率 現在のインフレ率

        +α(現在のインフレ率 目標インフレ率)

        +β(実際の産出量 潜在産出量)

 

このアプローチはヴィクセルの自然利子率の理論を再評価し、Neo-Wicksellianと呼ばれる。銀行利子率が自然利子率から乖離すると、インフレ率や産出量が目標や均衡値から乖離する。これに対して、銀行利子率を大きく動かしてこれらの乖離を縮小することが必要だとする。その際の銀行利子率を決定するガイドラインがテイラールールである。

中央銀行は、このルールに基づいて政策金利(短期利子率)を外生的に決定[6]し、その結果として貨幣量が内生的に決まる。この点で内生的貨幣供給説の一つになる。こうして問題は単に貨幣供給における【内生/外生】の違いではなくなった (Lavoie, 2022: 201Baronian, 2023: 229)

 

A.3 ポストケインジアンによるニューコンセンサスへの批判

Lavoie,2022, ch.4Monvoisin and Rochon, 2006Fontana et al. 2020などによる批判を挙げると、

NCの内生的貨幣供給説は、理論ではなく、歴史的偶然historical contingentに基づくinstrumental approachだと批判する。つまりPKの内生的貨幣供給説は、そもそも貨幣というものは銀行の与信による生成と返済による消滅する、というTheory of endogenous moneyだが、NCendogenous moneyに過ぎない。つまり、NCは、現在、偶然、貨幣量ではなく、利子率を用いることで産出量やインフレ率を量的にコントロールできる可能性があるので、NCは利子率を操作目標にしている。その意味で内生的貨幣供給の理論ではなくinstrumental approachになる。

㋑ PKは、NCが依拠する自然利子率と貸付資金説を否定する。NCの理解では貯蓄は過去の生産物の一部として先に存在し、それが投資者に貸し付けられる。貯蓄と投資を均衡させるのが自然利子率である。

 しかしPKでは因果関係が逆であり、投資が先行し、その結果として貯蓄が生じる。金利については、中銀が短期金利を決め、その金利にマークアップ(スプレッド)が付加され他の金利が決まる。これらの金利を前提に市中銀行が与信を通じて貨幣を発行することで投資が可能になり、その投資で生産がおこなわれ、最終的に貯蓄も生じる。この論点はPKにとっては内生的貨幣供給説よりも自己の原点であろう。

 これらの㋐㋑についてすぐにわかる違いとしては自然利子率の有無、貨幣理論としては、PKでは、貨幣の生成と消滅という運動でとらえる点が特徴になる。

 両者の対立関係をマルクス経済学の観点から見るとBaronian[7]は、対立は、貨幣供給の【内生/外生】ではなく、貨幣供給の貨幣による社会的労働のvalidation(承認、あるいは拡大解釈して価値実現)が、NCでは事前に、PKでは事後になされるという違い、と評している(Baronian, 2023: 229)。つまりNCの貨幣はそれ自身に価値の根拠がある貨幣だが、PKの貨幣は、借り手の商品が貨幣で買われることでvalidateされるということになろう[8]

 

B. 貨幣の諸学説の分析フレームワーク

B.1 2×2マトリクス

これまで貨幣の供給について内生と外生を論じたが、マルクス経済学で貨幣とは何かという文脈で「内生的」とは、商品世界の中から貨幣が選び出される、あるいは貨幣が商品価値に基礎を置くという意味でも使われてきた(山口[2000]240、小幡[2013]106など)逆に「外生的」とは商品経済的関係ではない外部から貨幣が導入されるという考え方である。この文脈を「貨幣の論理的な生成」とよぶと、この意味と供給の意味で内生と外生は次の2×2のマトリクスとなる(Iwata, 2024)。

 

表1 貨幣における内生と外生:2×2マトリクス

㋑貨幣供給量調整

外生的

内生的

㋐貨幣の論理的な生成

外生説

外生的貨幣供給説

内生的貨幣供給説

内生説

金属主義

商品貨幣説

それぞれ典型には①はマネタリズム、貨幣数量説、②fiat moneyを基礎に置く内生的貨幣供給説、③金が貨幣という説、④最近の宇野学派の試み。

 

B.2 evolutionalistrevolutionalist

PKMonvoisin and Rochon, 2006は内生的貨幣供給説の中にevolutionalistrevolutionalistの区別をしている。evolutionalistは、貨幣の内生的性質は部分的であり、部分的には外生的でもあったが、歴史的な制度進化で内生的貨幣供給が完全になったとみなす。revolutionalist は時代や中銀の行動に関わらず、貨幣はその本質からしてその供給は内生的とみる(Monvoisin and Rochon, 2006, 61)。

この区別はマルクス経済学でも不換貨幣についてよく見られる。

 

C.貨幣の論理的生成における内生と外生

C.1 内生的貨幣供給説における外生的性質 

近年の内生的貨幣供給説として取り上げられるものの多くは③の、貨幣供給は内生で、論理的な生成は外生のものが多い。neo-chartalistMMTは③かつrevolutionalistになる。中銀における内生的貨幣供給説の提唱としてよく取り上げられる、イングランド銀行の刊行物(Bulletin)のMcLeay et al., 2014は③かつevolutionalistになる。つまり、貨幣に大部分を占めるのは与信で発行される銀行預金だが、銀行預金はfiat money (銀行券と硬貨)への支払義務によって信認される(ibid.,11)。このfiat moneyはもともと金兌換貨幣だったが今は兌換はなく、商品経済的基礎を喪失している。fiat money自体の流通の根拠は、社会的歴史的協約、商品と交換できると政府が保証すること、政府が租税で受け取ること、偽造困難な銀行券ということである(ibid., 10)。つまりかつては金兌換された銀行券が現在では不換になったという点でevolutionalistであり現在の貨幣の流通根拠としては外生説になる。

内生的貨幣供給説の多くは、貨幣の論理的生成が外生的だと積極的に主張する。その理由は新古典派批判にあるだろう。新古典派では、貨幣自身が商品として貨幣による購買を物々交換としてとらえ結局は、貨幣そのものは交換を媒介するだけで貨幣がヴェールになる新古典派を批判するためである。さらに貨幣自身が商品ではないからこそ「無からの信用創造」として貨幣の内生的な弾力的発行ができると考えるからである。

 

C.2 「無からの」信用創造といえるか?

「無からの信用創造」には山口による批判がある。信用創造は銀行の準備金を超えた額を指すのではなく、与信債権を裏づけにもつものだと論じた(山口[1984]45)。貸借対照表(BS)で示すと以下の形になる。

 

図1 山口の信用創造論の図解

資産

負債および自己資本

現金支払準備

銀行券または

預金通貨

貸付債権

自己資本

 

PKの中では「無からの信用創造」の説は多いが、Lavoieは担保を重視する。与信はcreditworthyな借り手にのみ可能だが、その際に担保を必要とする。そのため与信は真の意味では「無から」作り出されているわけではない(Lavoie, 2022: 205)。

ただし担保は商品価値というわけでもない。貨幣経済におけるPK、とくにHorizontalistでは、焦点は中央銀行と市中銀行の関係なので(Lavoie, 2022: 196)、担保といえば流動性(換金可能性)が比較的高い金融証券を想定しているようである。つまり、貨幣は流動性の高い金融資産の一種として相対化されかねない。

 

.3 宇野学派と商品貨幣説

近年の宇野学派では、商品価値に根拠を持つ貨幣を商品貨幣とし、物品貨幣と信用貨幣(あるいは債権型貨幣)の二つの形がある。現在の不換貨幣は後者であり、銀行の債務として存在する銀行貨幣である。そのため貨幣の論理的生成を内生論として説くには以下の二つの方法があるだろう。

ⓐ多数の商品の価値表現の対象が、特定の銀行債務に集中することで、その銀行債務が一般的等価物になる、と示す。

ⓑその銀行債務に商品価値がある、と示す。

このうちⓐは価値形態論なのでこれが正統だが、今回は紙幅の不足で省略する[9]

 


ⓑについて静態的に銀行貨幣が商品価値の根拠を持つことを示すには下の図のようにBSの関係を示せばよい。


 


 
図2 銀行貨幣の構造

銀行貨幣の根拠は借り手の資産の商品価値である。ここで商品の理解が必要である。

商品はその定義上、販売の不確定性を含んでいる。交換できる能力としての価値は潜在的である。この潜在的な価値を銀行は信用調査で判断して貨幣に転換する。この判断は借り手の商品が販売される(つまり価値実現)することで確証される。つまり山口の「貨幣還流の先取り」ではなく、発行された貨幣が正当なものであったと後から確認される。

銀行貨幣保有者は銀行に対する債権を持つが、銀行への債務者の資産に対し物権的請求権はない。

借り手が現在または将来に保有する商品は、使用価値によって制約されているので、商品の販売可能性を根拠に価値だけを抽出するのが銀行の機能である。

        

 

D.個別銀行の貨幣供給を内生的にする市場組織

D.1 貨幣供給についてのポストケインジアンHosrizontalist Sturactualist

貨幣供給の内生的性質についてPKにはHosrizontalist Sturactualist の対立がある。

Hosrizontalist(またはAccommodationist)によれば、市中銀行と中銀はともに、一定の利子率で与信によって無限に貨幣発行ができる。市中銀行が実際には与信量を無限に拡張しない理由は信用力の有るcreditworthyな借り手が現実には無限には存在しないからである。また、中銀は市中銀行の準備預金の需要に対して完全にaccommodativeだとする。

他方、Structuralistによれば、市中銀行は与信の増加に伴い、自己の資産における流動性が低下するので、それをまかなうために利子率を引き上げる。また、中銀はさまざまな経済状況を考慮して金利を引き上げる。

貨幣供給量と利子率をグラフにすると図3になる。中銀と市中銀行で水準は異なるが、ともに、Hosrizontalistではその名の通り水平になる。Structuralistでは階段状に右上がりになる。ここでは個別の銀行による利子率設定なので、連続的なカーブではなく、階段状になる。

 

図3 HorizontalistStructuralistの利子率

Fontana et al. 2019: 346の一部改訂

 

しかし現在では、長年の論争の結果、PKは、Horizontalistでみんな一致した、とも言われる(Kappes and Rochon, 2023, 1054)。両者は視角の違いであって、本質的には違いがない、とのことである。たとえばLavoieHorizontalistの語る利子率は中銀の政策金利であるのに対し、Structuralistでは長期金利、という違いに過ぎないとする。(Lavoie, 2022,246)。

また、Fontanaらによれば、Horizontalist は貨幣供給についての期待が同じ所与の期間内での考察であり、その期間内における貨幣の創出・流通・消滅を論じるフレームワークであるに対して、Structualistでは複数に渡る期間において貨幣供給に与える影響を考慮したものだとする(347)。つまり図の階段状のグラフの個々の水平部分をHorizontalistは見る。そうするとHolizontalistのいう一定期間とは、中銀の政策金利決定会合から次の会合までの一か月ほどということになる(Baronian, 2023: 92での批判)

 PKではない部外者には、中銀の金融政策ではStructuralistの方が現実的に見え[10]、またHorizontalistでは、ケインズが重視した流動性選好の問題がなくなるように見える。

 

D.2 宇野学派における論争と「組織化」

D.2.1 支払準備金をめぐる山口の論争

Horizontalistの言う内生的貨幣供給は中銀による市中銀行への準備預金(支払準備金)の供与が焦点だった。

この支払準備について山口には錯綜した論争がある。簡単に言えば、山口の主張は銀行にとって支払準備のあらかじめの確保が重要ではないということである。理由は、銀行は与信債権の信用リスクの問題が基本であって、支払準備の不足という流動性リスクは二次的な問題に過ぎない(山口[2000]134-135)からである。具体的には以下の2つが理由である。

債権が健全で元利返済があれば、債務よりも利子の額だけ多い債権が返済されるので支払準備は必要ない[11](同134)、

手元の現金貨幣を上回る支払請求があった場合でも、債権としての割引手形が健全であれば他行への再割引で準備金は補充できる(同145)。 

この2つはいずれも、信用リスクがなければ問題が起きない、という前提に基づいている。斉藤はこの山口による説明に同意しつつ、インターバンク市場を明示すべき、と提唱している(斉藤[2006]281)。

 

D.2.2 原理論における支払準備金とインターバンク貸借

ここではまず、銀行間での準備のやり取りを抽象的に想定する。最も簡単なケースとして、法定準備率の規定が存在せず、すべての支払いは各銀行の預金振替でおこなわれると仮定する[12]。さらに、信用リスクがなくインターバンク市場が円滑に機能していると想定する。

このシナリオでは、或る銀行Aの預金通貨に対する支払請求は、被仕向銀行Bにとっては同額の受取となる。そのため、受取銀行Bから支払銀行Aへ与信すれば、銀行Aはあらかじめ支払準備を保有しておく必要はないこの与信によって、支払請求と受取が自動的に相殺されるため、銀行間での準備金の移動は発生せず、各銀行は事前に準備を確保することなく与信による貨幣発行が内生的にできる

 

図4 支払超過と受信、受取超過と与信

 
しかしこの想定だけでは、流通過程の不確定性を重視してきた宇野学派の論理としては、あまりにも非・不確定である。山口による説明は、方法論的にはインターバンクのやり取りを「ブラックボックス」に伏せて、「本質規定としての原理論」にとどめた、とも解釈できる。しかし「分析基準としての原理論」へと拡張するには、最近の宇野学派の概念である「組織化」論を適用する必要がある。

 

D.2.3 「組織化」論と支払準備

山口の議論から出発するならば、信用リスクは存在せず、流動性リスクは銀行間組織で解消できるが、金利リスクは残る、という前提で考えることになる。

準備が不足する可能性への対処を、産業資本の場合と同様に考えるならば、まずは銀行が自身で準備金[13]を用意する。次に他の銀行から市場機構の仕組みとして他行からの借入などで準備金を賄う[14]。このような調整が円滑であるようにするためには「組織化」が発展する必要がある。

「組織化」には多様な議論があるか、内生的貨幣供給説との関連で、ここでは、①田中[2017]の2つの類型のうちの水平的な共同組織関係236-239, 240と、さくら2019180事前対処説2つに諸点をあてる。この2つは、個別資本の利潤追求の行動の中に存在し、銀行間組織を形成する原動力となる

この2つを相互に重複しない対概念として(元の著者が意図するニュアンスを捨象して)説明すれば次のようになる。まず、水平的な共同組織関係では、単発的なスポット取引が集中する場[15]を作ることで、準備の調達が必要な時に円滑に確保できるようになる。これに対して、事前対処は、金利リスク[16]など状況の変化によって、将来、スポットでは準備金を確保できない可能性を考慮し、事前に取引内容を画定させておくアプローチである。この二つは組織の類型ではなく、個別資本の中にあり、組織を形成する原動力の概念である

 

表2 銀行間組織の形成の2要因



①共水平的な同組織関係では、個別の銀行業資本は私的利害を追求しつつ、自己の債務の流通を拡大するために、個別資本がその参加者でありながらも、個別資本の外部に共同組織を形成する。これは手形交換所や中央銀行といった非営利の共同組織になる。しかしより一般化すれば、「非営利」というよりも、非営利を含みつつ、構成主体の個別銀行に対して「非競争」という意味になるだろう[17]

この水平的共同組織が各行の相殺と貸借において完全であれば、個別の市中銀行は与信に際して預金設定で貨幣発行をした後で、支払請求が超過しても受取超過の他行からインターバンクの与信を受けることができる。そうして内生的貨幣供給が可能になる。しかし、将来、準備不足時に受信できない、あるいは高い金利になるといった事態が想定されれば事前に支払準備を用意しておく必要が生じ、内生的貨幣供給に制限がかかる。しかし②事前対処ができていれば内生的貨幣供給への制限が緩和される。

②事前対処説では、将来の準備金不足に備えて、あらかじめ準備金を受信できる契約が結ばれる[18]。これはクレジットラインcredit lineに相当する。Horizontalistの議論を事前対処説に適用すると、市中銀行に対して中銀はunlimited line of creditを供与することを意味する[19]Unlimitedでなければ、与信枠の範囲で内生的貨幣供給は可能になる。

 ただしunlimited line of creditであってもStructuralistの想定では金利が引き上げられる。事前対処説は、契約内容の不断の変更の可能性が、あらかじめの契約の中に組み込まれると論じているの(さくら[2019]160)ので、Strucuralistのような解釈もできる。

ところで田中[2017]は、ここで取り上げた水平的な組織化の他に、水平的な組織関係による調整の限界に対して準備残高不足の銀行に与信する「銀行の銀行」が現れる垂直的な組織関係も論じている(田中[2017]240-241)。こうして水平型と垂直型という2つの銀行間組織ができる。

しかしここでは内生的貨幣供給になるためには事前に準備金の確保が必要かどうか、という論点に絞るため、事前的対処credit lineの有無が焦点となる。水平的であっても垂直的であっても事前的対処があれば内生的貨幣供給は可能になる。「事前的対処」と「垂直的組織」は重なる部分もあるが同じではない。たとえば、中央銀行があっても中銀の負債勘定を決済の場として提供するだけ[20]、あるいは与信をしても事前に与信の保証がなければ、市中銀行にとって内生的貨幣供給には役立たない、または不十分である。

しかし、いずれにしても、「組織化」の諸説を論理的に整合化する必要がある。

 

E.まとめと展望

 冒頭の課題にそくしていえば、まず、①現在の「主流派」NCは、貨幣量は操作目標としては計量的に有効ではないので、インフレ率と産出量ギャップを見ながら自然利子率に整合的になるように利子率を外生的に決定する。その結果、貨幣量は受動的に決まる。計量的で道具的な意味で、利子率は外生、貨幣量は内生、ということになる。

 PKでは、分配変数としての利子率が設定され、その利子率に基づいてcreditworthyな借り手の量に応じて与信量が決まり、その結果として貨幣量が決まる。貨幣量は、与信による発行と返済による還流というプロセスによって不断に変動する。

 ②貨幣における【内生/外生】の区分について、まず㋐論理的生成では本稿はⓐ価値形態論の具体的展開には立ち入らず、ⓑ銀行貨幣の商品価値の基礎に絞った。PKの内生的貨幣供給説は政府の規定によるfiat moneyとして外生的にみなす説が多い。しかし、銀行貨幣は、将来の返済を確証しながら与信に発行されるので、貨幣は商品価値で裏付けられる。内生的貨幣供給説の中でもこの関係を重視する論者は、単純にfiat moneyとは言えない、あるいはfiat moneyというにしても、政府が納税手段としたから、とは言えなくなり、貨幣の論理的生成について商品価値に基礎を置いて内生的な面に言及したり、あるいは空白にしたりすることがある。

 最近の宇野学派の「商品貨幣説」は貨幣の論理的生成については商品価値に基礎を置くという意味で内生的である。ただし本稿では価値形態による貨幣の生成は論じなかった。

 ③個別の銀行の貨幣発行が内生的になるためには銀行間組織が必要である。宇野学派以外ではあらかじめ、公共の利益のための政府や中央銀行が前提されることが多いが、宇野学派の行動論的アプローチでは、個別資本の利害に基づく行動によって、銀行間組織が形成されることが特徴である。この記事では、個別資本の利潤追求行動の中にある、組織形成の原動力について、2つの要素を互いに重複しない対概念として説明した。事前的対処の組織化がなければ内生的な貨幣供給には制限が強くなる完全に内生的貨幣供給になるには、事前的対処のより強い形のHorizontalistの想定が必要になる。その意味で宇野学派では完全には内生的貨幣供給説にならないといえるが、そもそも完全な内生的貨幣供給説が必要かどうか、という問題は残る。

 

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[1] クナップらのかつての表券主義Chatalismに、現代のマクロ経済政策の要素を加えたもの。

[2] 斉藤[202316頁も同様の主張。

[3] LavoiePKHorizontalist

[4] 別名、New Neoclassical Synthesis

[5] 1980年代末にはFRBBOEで操作目標を貨幣量から利子率に変更したので、この時点ですでに内生的貨幣供給説になったともいえそうだが、理論的に定着したのは2000年代からである。

[6] インフレ率や産出量ギャップに基づいて政策金利が決定されるとすれば、政策金利の決定自身も内生的ともいえそうだが、ふつうは、中銀の反応関数とよぶようである。

[7] フランスのマルクス経済学者

[8] このBaronianによる事前、事後の概念は、フランスの先行するマルクス経済学者の用法を援用しているようである(Evans, 1997, 29)。

[9] 岩田[2022][2024], Iwata, 2024で論じた。

[10] Baronian, 2023: 92は中銀の利子率設定が外生的になり切れない、としてMooreを批判している。

[11] これと同様の議論として、Structuralistは、市中銀行は与信拡大で流動性が悪化するとと主張するが、Horizontalistは、利子収入があるので悪化しない、と反論している(Lavoie, 2022: 211

[12] 発券銀行があり、非発券銀行の預金から発券銀行の銀行券の引き出しがあったとしても、その市中銀行から発券銀行への支払請求だと考えれば、この想定は不要となる。物品貨幣がない、という想定だけでよい、

[13] 物品貨幣でなければこの準備金は他行預金である。

[14] ただし、産業資本と銀行業資本では準備金の性質が異なる。産業資本では販売の不確定に対して自身の生産の継続に必要な支出を賄うためだが、銀行業資本での準備金は販売の不確定性とは関係ない。販売の不確定性が銀行業資本に影響するとすれば準備金に関連する流動性リスクではなく、支払不能の信用リスクである。ここは大きなテーマだが今回は省略する。

[15] 小幡『経済原論』の「多数の売り手と買い手が集中し、一斉に取引することで一物一価を制度的に実現する特殊な市場」「取引所」(245)に相当する。ただしザラバ方式では一物一価にはならないので、ここでは「一物一価」は過剰な条件である。

[16] ここでは準備金の議論をしているので、準備を事後的に調達する際に金利が以前の想定よりも高くなってしまうことを指す。

[17] 具体的には田中[2017244頁の16行目の「非営利」は「非競争」に置き換えられる。

[18] 田中[2017]では241

[19] ただし、実際に準備金が無限に増加するわけではない。中銀の与信は外生的貨幣供給説では中銀による国債買い切りオペと思われることが多いようだが、量的緩和以外の通常のオペレーションでは、各市中銀行が支払準備の一時的な不足を補うため、国債レポ取引のような、ごく短期の与信を利用する(Lavoie, 2022: 228)。残高として巨額になるわけではない。

[20] 過去のアムステルダム銀行。 

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