古代貨幣論における物品貨幣説の復権
ここ20年ほどの間の考古学研究は古代貨幣の姿を明らかにしつつある。金属貨幣は。国家によるコイン鋳造から始まるのではなく、一定の重さに切った金属片が貨幣として機能していたことを明らかにするようになった。
ただ、マルクス経済学では貨幣の論理的生成は秤量貨幣からはじまり、その後、鋳貨として一定の重さを持つものだと論じる。そのため、マルクス経済学にとっては、こうした近年の考古学的見解は当然のことのように見えるが、物品貨幣を否定するState theory of moneyやCredit Theory of Moneyによる古代貨幣の説明を批判するものとして意義はある。State theory of moneyとCredit Theory of Moneyは内生的貨幣供給説の一種になる場合が多いので、内生的貨幣供給説をめぐる状況の変化を踏まえることで、考古学におけるこの見解が「物品貨幣の復権」といえることが分かる。
この記事は過去の記事「『商品貨幣説と信用貨幣: 現代資本主義の原理論的基礎付け』最終版」(特に物品貨幣)と「内生的貨幣供給理論への批判 :「商品貨幣説」と「組織化」論の観点から」の内容を含んでいる
「w現在の理論的な前提
内生的貨幣供給説はポストケインジアンなどによって1980年代から本格的に主張されるようになった。それは1980年代のマネタリストや、2000年代の量的緩和の主張、さらに根本的には主流とされたミクロ経済学ベースのマクロ経済学など「主流派」への批判の根拠となっていた。しかし、量的和自体の効果がないことが自明になるにつれて、中銀などの実務レベルでは内生的貨幣供給説が明確に主張されるようになった。同時に、「主流派」においても、テイラールールを取り込み、New Consensus、あるいはNeo Wickselianになると、利子率操作が重要で貨幣量は問題ではなくなる。そうすると「主流派」も内生的貨幣供給説に近くなる。
そもそも内生的貨幣供給説とは貨幣の供給方法を説明するだけなので、貨幣とは何かを問題するものではない。そのため内生的貨幣供給説の中にはポストケインジアンも「主流派」も様々な貨幣理論や経済理論が共存しうる。
マルクス経済学でも1950年の銀行券論争では内生的貨幣供給説に近い議論がされていた。
内生的貨幣供給説が一般的に認められると、内生的貨幣供給説それ自体は主流派への批判のポイントではなくなる。そこで、ポストケインジアンでは、主流派に対する批判として、内生的貨幣供給説に代わるものが模索されるようになる。また同時に、非主流派の中では内生的貨幣供給説を極端に進めるものもいくつか現れた。
マルクス経済学の側では(必ずしも内生的貨幣供給説の影響というわけでもないが)、金貨幣をベースにすることでは現在の貨幣を説明しきれないため、物品貨幣とは異なる信用貨幣を原理論の価値形態論のレベルで説く試みがされるようになった。つまり金を前提としないが、商品価値に根拠を置く信用貨幣論の試みである。
極端な内生的貨幣供給説
内生的貨幣供給説を極端に進める説の一つは、State theory of moneyに近いものとして現れた。そのうちの一つはMMT(Modern Monetary Theory)で、これは事実上、国家はいくらでも貨幣を発行できるという主張である。国家という市場外から存在が貨幣を投入するならMMTは外生的貨幣供給説だ、という批判もあるが、国家が必要に応じて自己の債務として貨幣が発行できるなら、内生的ともいえる面もある。もう一つは古代貨幣についてである
古代貨幣をめぐって
ミクロ・マクロ経済学の貨幣の発生論は、物々交換の不便を貨幣が取り除く、というものである。マルクス経済学では多数の商品による価値表現が一般的等価物を生み出す、あるいは宇野学派では、商品交換への欲求が一般的等価物を生み出す。これらはいずれも商品交換(あるいはその欲求)が、同じく商品の一種である商品貨幣を生み出す。
ただし、現代の宇野学派では商品貨幣を「商品価値を根拠に持つ貨幣」と再定義し、物財そのものが流通する物品貨幣と、商品価値を根拠に与信によって発行される信用貨幣の二つに分類する。そのため通説で「商品貨幣」といわれるものは、現代の宇野学派では「物品貨幣」となる。
これらに対してCredit Theory of Money、あるいはState theory of moneyとCredit Theory of Moneyの合体した説の中には、貨幣の歴史的発生を根拠に、貨幣の本質を論じる場合がある。これらの説が前提にしている貨幣の歴史的発生とは、コイン鋳造以前に、国家の税や財政の会計記録にあらわされる債権債務関係で生じる信用こそが貨幣の歴史的発生であるとする。そしてミクロ・マクロ経済学やマルクス経済学の貨幣発生論は、物々交換の存在を前提にする商品貨幣説だといって批判する。この説の主な論者にはグレーバー、イネス、楊枝嗣朗などがある。グレーバーの影響は考古学においても大きいようである(Ialongo, 2024,4)。また、古代において物品貨幣を否定する見解はポランニー(再分配国家と市場の二分法)からも大きな影響を受けており、物品貨幣の復権はポランニー的な歴史観を否定する意味で重要となる(ibid., 3, 6)。これらの点ではIalongo 2024が、chartalism vs. metalismもふくめ、貨幣論のさまざまなアプローチを踏まえていて論じており、理論的にも興味深い。
古代貨幣論における物品貨幣説の復権
古代貨幣についてはかつては文字に残された記録の研究が中心だったが、ここ20年ほどの間に考古学的な研究が広がってきた。そこでは、”Hackmetal”の存在が重視されている。つまり、銀や青銅などを一定の重さにぶつ切り(hack)にしたものである。日本の近世でも銀貨は切りながら使うものがあったが、最近の考古学研究的な貨幣研究の重要な主張は、天秤などに使う「計量用の重りweight scale」とHackmetalの重さが同じ特徴を持つ、ということである。Hackmetal自体が「重り」だったら意味がないが、そうではなく重りは石などで作られ、その重さに合わせて銀や青銅などがhackされていたようである。具体的には1シェケいうような基本単位でhackされ、それ以外に、その重さの整数倍や、整数で割ったhackmetalが多く見つかる、ということのようである。これらのHakcmetalは重量で計測されるので、形は様々である。これに近いものは日本の無文銀銭がある。
Hack-silverの例 Ialongoand Lago, 2021, 7
Ialongo, 2021, p. 6には以下のグラフがあり、balance weight (重り)と青銅片、それぞれの重さの分布を分析し、同様になっていることを示している。横軸は重さでこの時代のヨーロッパの1シェケルは9.4~10.2グラム(ibid., 5)。縦軸は統計量で、そのグラム数が周期になっている場合に大きな値をとる。

こうした研究に基づけば、MetalistとNominalistの対立では、Metalist、つまり素朴な物品貨幣説が支持されることになりそうだが、必ずしもそうではない。つまり青銅では合金になるが、個々のHackbronzeの構成比が同じとは限らない、という点でMetalistは正しいとは言えないという主張もされている(ibid., 6)。
コイン鋳造開始は、それ以前の金属貨幣流通の状態を根本的に変えるものではない(ibid., 6)。コイン鋳造の発明inventionは貨幣の歴史で重視されることが多いが、それは貨幣の歴史の一つに過ぎない。それと同様に重要なのは重量の計測技術の発明である(ibid., 12)
ミクロ・マクロ経済学の貨幣発生論も、マルクス経済学での貨幣の論理的生成論もともに秤量貨幣を前提にしている。その観点からHackmetal以前の秤量貨幣の方が貨幣の歴史的起源ともいえるが、Hackmetalの存在はCredit Theory of Money、あるいはState theory of moneyが主張する貨幣の歴史的発生への批判にはなる。
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