新しい地代論についての質疑応答(2023年3月研究会)

 


 報告原稿「変容論的アプローチの適用による地代論の知識への拡張と地代論そのものの再構成についてについて、いろいろと質問をいただいた。改めて感謝を申し上げます。

研究会終了後、改めて回答を考えたのでここに掲載します。


A氏質問1「表3の『本質的に不均質』と『他のモノとは非連続的な差異」との違いはどういうことか?」

←日高説の前提(①同じ生産性の土地が多数ある。②異なる生産性の土地の間には非連続的な格差がある)の成立・不成立から考える。

 「本質的に不均質」では、すべてが不等で多数あれば、近傍のものとの差異は微小になる。

 「他のモノとは非連続的な差異」では、均質で同じとなるモノのグループが比較的少数の数で存在する。そうすると、異なるグループとの関係では、有意な大きさの差異が生じる。

図解すると、

図1

タイプ1では「本質的に不均質」なので、横軸に多数の生産条件、縦軸にそれぞれの生産条件で平均利潤が得られる価格とると

生産性の高い順で並べると

図2

差異が微小になる。

タイプ2の場合は、

図3

それぞれ同じモノは弾力的に増やせるが、異なるモノとの間には非連続的な格差がある。

ただし、少しずつ異なる知識があれば、非連続的な格差の間にも別の多数の知識による異なる生産性が鵜数に存在すると考えることもできる。ただし、地代論としては、知識が所有されて地代論を生むには知的所有権の設定が必要で、そのためには既存の知識との間に明確な格差が必要になる。

 

A氏質問2「産業資本が地代を得るのは許容範囲ではないか?」

1)地代論は階級的分立が前提なので、産業資本と本源的自然力所有者との階級的分立の可能性をできるだけ迫ってみる。ところで、産業資本と本源的自然力タイプ2との一体化が分離しえないという考えだと、その本源的自然力タイプ2による超過利潤は結局、地代ではなく、特別利潤のことになる。特別利潤の「一時的」を「特許権の存続期間」と言い換えると同じになることがわかる。

2)この分立があるかないかで地代の性質が異なる。分立がなく、産業資本の内部に本源的自然力タイプ2があれば、本源的自然力タイプ2が特定の産業資本の生産資本に拘束されたことになり、地代はDRである。分立して、本源的自然力タイプ2が特定の産業資本の生産資本に拘束されないので、多数の産業資本の生産資本に遍在しうるので、AR2になる。分立がなければ特別利潤になる。 

 【新しい地代論5】「特別利潤から本源的自然力タイプ2への論理展開:本源的自然量の所有と利用における結合と分離」図1,2参照

 質問者は現実の産業資本が特許を持っているという現実感覚にとらわれて、理論的な抽象化が不十分にとどまっている可能性がある。この点は「補足原稿」の「C.3 タイプ2DRがありうるか?」で特に論じた。

3)とはいえ、質問者の言う通り、産業資本内に本源的自然力タイプ2があり、利潤のほかに地代を得ることもある。しかしこれは概念的に分離されないと、一般的利潤率の概念がなくなる。この概念的分化を実際の会計実務に即してみると、まず本源的自然力タイプ2は産業資本内で潜在的に無形資産を構成する。この段階では自己創設の暖簾となり、顕示的には認識されない。M&Aに伴うPPAではその無形資産(本源的自然力タイプ2)が認識され、それがもたらす超過収益が測定され、さらにその効果の続く将来期間の超過収益を現在価値に換算する。こうしてBS内で本源的自然力が認識され、測定されることで、産業資本内でも本源的自然力タイプ2は、産業資本の本体とは別物と認識することが可能になる。

ただし、もちろん、タイプ1に比べると本源的自然力所有者階級の自立化は弱い、と言わざるを得ない。

ここまで(1)~(3)の理論的な手順を追ったうえであれば、質問の「産業資本が地代を得るのは許容範囲」は成立する。ただし、そうすると「産業資本が土地を所有して地代を取得するのは許容範囲ではないか?」と言われると否定しづらくなる。つまり、問題は地代論における知識と土地との共通性と相違を変容として明確化することである。

 

B氏質問1「優等地の耕作拒否による絶対地代を考えるべきではないか?」

 優等地も多数あり、互いに競争しているので、差額地代しか取れない。というよりも、同一ランクの土地所有者同士が結託して価格を吊り上げる、という日高・小幡の想定が、本源的自然力タイプ1では無理だ、というのが今回の報告と補足原稿の重要な主張。本質的に不均質であり、しかも、地理的に散らばっており、所有者間が結託できる必然性がない。

 また、土地の賃貸借を土地の一定期間の利用権という商品売買だとすると、その商品が売りつくされるまで価格を下げ続ける、というのは現在の原理論の想定とは異なる(補足原稿「B.3 絶対地代(AR)の説明」参照)。

19世紀半ばのマルクスの時代であれば、巨大土地所有者と、比較的小さな農業資本家という階級構成だったので絶対地代にはリアリティがあったのかもしれない(※柘植)が、原理的には優等地でも最劣等地でも、同一ランクの土地所有者たちが多数結託して価格を引き上げるのは無理。※柘植徳雄「資本家な借地経営の土地問題とその後」(『土地を活かす英知と政策』1988、農山漁村文化協会、所収)


B氏質問2「知識への地代論的接近は、誰が最初か。小幡『経済原論』以前に先行研究はあるか?」

詳しくは知らない。

特別な知識がレントを生む、というのはかなり以前から(J.S.Mill)からあるという説もあらしい。

Hubacek and van den Bergh [2006]  こう言っている。

HeMillrealized that there are always better qualities of land, such as better soil and sites of remarkable beauty, or better modes of production through apatent or better business skills.These lead to extra profits, which in essence are similar to rents.p.10

と言っている。ただし、ミルのどこに書いてあるのか、私には見つからなかった。

Rotta and Teixeira [2019] はこう言っている。

Within the Marxist tradition, an early mention of a category akin to “knowledgerent” is from Ernest Mandel (1975:192) in his theory of “technological rents” as the surplus profits derived from monopolized innovations that reduce production costs. Haddad (1998) uses the term “knowledge-rents” more precisely to indicate the revenues

whose origin lies in the labor of “knowledge workers” employed at private companies. Perelman (2003:305) and Zeller (2008) further establish a comparison between land property rights and patents. But despite their insights, these authors do not develop a consistent value theory of knowledge-rents as we do in Teixeira and Rotta (2012) and Rotta (2018).

ここで引用された文献は、

Mandel, Ernest. 1975. Late Capitalism. London: NLB.

Haddad, Fernando. 1998. Em Defesa do Socialismo. Petrópolis: Vozes

Perelman, Michael. 2003. Intellectual Property Rights and the Commodity Form: New

Dimensions in the Legislated Transfer of Surplus Value. Review of Radical

Political Economics 35(3):304-311.

Zeller, Christian. 2008. From the Gene to the Globe: Extracting Rents Based on

Intellectual Property Monopolies. Review of International Political Economy 15

(1):86-115.

 その他の文献はRotta and Teixeira [2019]参照 

 

Zeller[2008]が有名。デヴィッド・ハーヴェイなどのマルクス主義経済地理学の潮流で、知的所有権を独占地代で説明する。そもそも1970年代ころには地代論は農業から離れて、生産性の違いに基づくDRよりも、都市の住宅地を階級対立に基づいて絶対地代や独占地代で分析する都市経済学の方が強くなっていた(Haila [1990]など)。こうした研究動向の変化に乗っていれば、地代論で知識を説くとすれば、DRではなく、独占地代の方が自然な接続であろう。とはいえ、宇野学派の現在の原理論を基礎にすればDRを基礎にARを追加するのが正しい方法だろう。(次の質疑応答へ)

 

B氏質問3「知識に関して、差額地代、絶対地代、独占地代についてそれぞれ例を挙げて教えてほしい」

 ㋐産業資本と本源的自然力所有者階級が分立していれば、そこで得られる地代はARになる。小幡『経済原論』205頁問題132

 ㋑知識が特定の産業資本で生産資本に拘束され、量的に制限されていればDRになる。これは特別利潤の構造。補足原稿「C.3 タイプ2DRがありうるか?」

つまり、ア)知識(本源的自然力)所有者の階級的分立があればAR、そうではなく、イ)特定の産業資本の生産資本に拘束されていればDR。そのため原理論の地代論では、本源的自然力タイプ2でも、階級的分立の形を説く必要がある。

独占地代は理論というよりも「理論の穴」になる。そのため独占地代という言葉を不用意に使うよりも、絶対地代において、潜在的な次の生産条件があまりにコストが高いと独占地代のような状況になる、としたほうが良いと思う。補足原稿「C.2 タイプ2における地代の特徴」で述べた。


C氏質問「土地への固定投資はどうなるか?」

←ブログの「本源的自然力への固定資本投下と本源的自然力の恒久的改良」に書いた。

(G氏には他にも質問を受けたが。直後に2人の質問が続いたので忘れた) 


D氏質問「知識というときの内容について、概念の確認をしたい。技術と知識の関係はどうなのか? また、どういう等級の土地があるか、を知るのも知識ではないか? このように知識にはいろんな要素がある」

←地代論で扱える土地は、主要な生産要素となる土地だけ、という限定があるのと同様に、地代論で扱える知識も、生産に利用され、生産性の格差が原価のレベルで認識可能な場合に限る。知的所有権の言葉で言えば特許などにあたるもの。今回の報告では、表現の煩雑さを避けるため、そういう限定をしたうえで、「知識」とした、いきなり「知識」一般を対象としていないことは報告の流れでは自明だろう。そのうえで、「知識」という言葉が独り歩きして地代論の対象から外れそうになる危険があるとすれば、特許法の定義が利用できるだろう。特許法第2条「この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」つまり自然法則そのものではなく、自然法則を利用する技術となる。なお、技術とは技能とは異なる。技術は自然過程にかかわるもので、技能は労働者の能力にかかわるものである(小幡『経済原論』119頁)。

tだし、D氏、次のE氏の問題意識は地代論の拡張ではなく、地代とは全く別に「知識」一般に向けられている可能性もある。報告の「知識」が「知識一般」の意味でとられるならば広すぎるのは明らかだ。しかし「知識」一般が原理論の課題にならないのは、土地一般が原理論の課題にならないのと同じである。伝統的な地代論で最終需要の住宅地や商業用地などは取り扱われないのに、対象を農地とは言わずに土地というのと同様に、今回の報告でも、最終消費の知識、流通過程に作用する知識などは本稿では取り扱わないにもかかわらず、生産技術とは言わずに知識とよんだ。今後、さらに広い知識の領域へと拡張する可能性を含めるためだ。

ただし「知識」一般についての質問や意見が続出するようであれば、今後は「知識」と言わずに「生産技術にかかわる知識」と言い換えて報告するように心がけたい。

 なお、法律や法解釈をそのまま原理論に持ち込むのは違和感のある場合もあるかもしれないが、商品所有者同士の紛争の経験と、それらを解決して白黒はっきりさせるように書かれた法律に在る厳密さは原理論にも利用可能だろう。民法、経済法、会計規則は唯物史観の上部構造の中でも下部構造に貼り付いた最も下部にあるので原理論との対応も適切になる場合が多い。

 

E氏質問「知識と技術を区別するのも一つの方法だろう。知識を占有するというのはどうも無理だ。ニュートンの力学方程式 f = ma は占有できない。しかし、それを特定の目的のために「利用する」蒸気機関の技術は占有できる。なぜか?特定の利用形態が、だれの目にも「可視」化できるから・・・このあたりのツメがもう一つ必要なのではないか。可視化とは、だれにでも主張できるような物化??」

「知識の占有」とはどういう意味だろうか? おそらく他者が知ることを防ぐという意味で、機密情報のことになるだろう。そうすると、不正競争防止として知的所有権の範囲になり、知識の占有は可能だ。ただし、ニュートンの力学方程式 f = maはもともと占有の意図がなく、公開してあるので、もはや占有は不可能である。しかし、本稿の課題は「知識の占有=機密情報」とは異なり、「知識の所有」である。「知識の所有」とは、特許で明細書が公示されるように、内容は公開されたうえで他者が利用できない、ことを意味する。D氏の質問への回答で述べたように自然科学の法則そのものは所有できないが、それを利用した技術は所有できる。ただし、自然科学の法則でも、公開せずに秘密を守り続けた場合には「知識の占有」が可能である。おそらくE氏の質問には「占有」と「所有」の意味の区別の必要や、無体の要素の所有が、有体物の所有とはいかに異なるものであるかの理解、このあたりのツメがもう一つ必要なのではないでしょうか。

 可視化については、知識など無体の要素は有体物になって初めての権利の主張が可能になるし、権利の侵害も主張になる。 

Drahos翻訳(6244頁 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/51543/1/IPLPJ39_008.pdf

 

F氏質問「表3の「土地などは物理的に利用制限可能、知識などは法的に利用制限可能」という対比には疑問がある。土地も法的に私的所有として他者の利用は制限されるのではないか?」

ここは不注意な書き方だったようだ。それでも、有体物の場合は法的な所有権による保護が問題になる前に占有している場合が多いので、物理的な占有が所有を基礎づける、と考えれば表の通りでよいと言える。原始取得という概念を考えれば、所有権よりも先に占有があるのではないか。

そうではなく、占有ではなく所有権から出発すると、知識に限らず、動産も土地のような不動産も、あらゆる財産権は法律で保護される。おそらく質問者の意図はこれだろう。しかしこの表で言いたかったことは、土地のような有体物は所有権による支配の範囲が物理的に制限される(または、明確である)のに対して、知識のような無体の要素は物理的に制限されないので、法律によってのみ制限可能、ということである。

Drahos翻訳(4116-117頁 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/49030/1/IPLPJ37_004.pdf

では、有体物は所有保護がなくとも商品売買は可能だが、無体の要素は所有権保護があって初めて売買可能になると論じている。


G氏質問「これまで原理論では土地は陳腐化せず、永続すると想定されてきた。しかし、知識は陳腐化する。両者の違いはどう扱うのか?」

 ←日高などの原理論では土地の恒久的改良は想定され、そのための改良費用も焼却されず、利子のみを得ればよい、回収したければ売ればよい、というが、椎名重明は恒久性を批判し、劣化はなくとも陳腐化するので償却も必要になる、と反論している。椎名[1973]『近代的土地所有』13

この問題はブログの記事「本源的自然力への固定資本投下と本源的自然力の恒久的改良」「D.2 恒久的土地改良について」で説明した。要するに、土地そのものの生産性は恒久で劣化がないとしても、土地から得られる地代は基本的には差額地代なので、調整的な生産条件の高低で地代は変化するし、土地の生産性がかなり上がれば地代はなくなる。これは恒久的な改良は劣化しないが、陳腐化する例である。そのため恒久的土地改良に支出された費用は地代取得が無限に同じ額が続けば、年々の利得は利子率相当でよく、全額の回収は土地を売ればよいかもしれないが、調整的な生産条件が上昇した結果、陳腐化して地代が減る、またはなくなることも想定すれば、償却amortizationする必要がある。地代の基本は生産性の差というのはマルクス以来の重要なテーゼだが、従来の原理論における恒久的改良や土地価格の部分ではそれが抜け落ちているように見える。


 

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